越前和紙、1500年の軌跡、権力と文化を支えた日本の紙
会員限定記事2025.10.27
越前和紙、1500年の軌跡、権力と文化を支えた日本の紙
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越前和紙の産地である福井県越前市には、紙の製法を伝えたとされる川上御前の伝説が残されています。約1500年前、継体天皇がこの地にいた際、岡太川の上流に女神が現れたと伝えられています。女神は、清らかな水に恵まれたこの土地で紙を漉き、生計を立てるよう村人に教えたといいます。この伝説は、この地における製紙の長い歴史を示唆しています。

国家事業を支えた古代の紙。正倉院に残る最古の記録

越前和紙が歴史の表舞台に登場するのは奈良時代です。現存する最古の越前和紙として、奈良の正倉院に西暦730年の日付を持つ「越前国正税帳」が収蔵されています。これは当時の戸籍や租税に関する国の公式な記録です。このことから、当時すでに越前の地が高い製紙技術を有し、国家的な事業にその紙が用いられていたことが分かります。

奈良時代は律令国家としての中央集権体制が確立され、仏教が国教として厚く保護された時代でした。全国の戸籍や公文書の作成、そして各寺院で盛んに行われた写経のために、紙の需要は急増します。このような国の需要に対し、越前和紙はその高い品質で応え、国家体制と仏教文化の普及を根底から支える重要な役割を担いました。

平安時代に入ると、その用途はさらに広がります。『源氏物語』の作者である紫式部や、『枕草子』を記した清少納言に代表される宮中の女流文学が花開くと、彼女たちが文字を綴るための優美な料紙としても、越前和紙は珍重されるようになりました。ただ記録するための道具ではなく、文化や芸術を表現するための媒体としても、その価値が認められていったのです。


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