江戸切子の起源は、江戸時代後期の1834年(天保5年)に遡ります。江戸大伝馬町のびいどろ問屋であった加賀屋久兵衛が、金剛砂(こんごうしゃ)という研磨剤を用いて、ガラスの表面に彫刻を施したのがその始まりとされています。
当時の江戸は、すでに日本最大の消費都市であり、富裕な町人や武士階級によって巨大な市場が形成されていました。長崎の出島を通じて輸入された海外のカットガラス製品は、「びいどろ」や「ぎやまん」と呼ばれ、人々の憧れの的でした。しかし、それらは非常に高価で、誰もが手にできるものではありませんでした。
加賀屋久兵衛の試みは、この高価な舶来品を国内の技術で再現しようとする、当時の職人の創意工夫から生まれたものです。それは、海外の奢侈品を研究し、国内市場の需要に応えるために生産方法を適応させるという、日本の工芸史における一つの典型的な姿でした。江戸という巨大な消費地と、そこに住まう人々の洗練された美意識「粋(いき)」が、この新しい工芸品を育む土壌となったのです。派手な豪華さではなく、近づいてよく見たときに初めて真価が分かるという粋の精神は、江戸切子の美意識と深く通じています。