伝統は革新の連続──危機を乗り越えた伊予水引、変革の物語
会員限定記事2025.10.21
伝統は革新の連続──危機を乗り越えた伊予水引、変革の物語
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一つの産業が、時代の大きな変化にどう向き合い、自らを変革させてきたのか。その軌跡は、現代を生きる私たちにも多くの示唆を与えてくれます。
愛媛県を主要産地とする伊予水引は、その長い歴史の中で、幾度もの断絶の危機に直面しながら、その度に新たな価値を創造し、技術と文化を未来へと結んできました。その変遷を辿ることは、単に一つの工芸の歴史を知ることに留まらず、変化の時代における適応と革新の在り方を考える上で、非常に興味深い視点を提供してくれると感じます。
本記事では、伊予水引が歩んできた道のりを、時代の転換点に焦点を当てて深掘りしていきます。

始まりは遣隋使? 武士の必需品「元結」が築いた礎

水引が日本の贈答文化に登場する起源は、飛鳥時代にまで遡ると言われています。遣隋使として大陸に渡った小野妹子が帰国した際、隋からの返礼品に紅白の麻紐が結ばれていました。これが、祝い事に紅白の紐を用いる慣習の始まりと伝えられています。この逸話は、結ぶという行為が、古くから国家間の儀礼においても重要な意味を持っていたことを示唆しています。

その後、時代は下り、伊予の地で水引製造が始まる直接のきっかけは江戸時代に訪れます。伊予松山藩において、武士が髷(まげ)を結うために用いる紙製の紐「元結(もとゆい)」の製造が、藩の殖産興業政策の一環として奨励されたのです。

これは、藩に仕える下級武士たちの内職として定着し、伊予の地における製紙加工技術の礎を築きました。この時点での元結は、儀礼的な装飾品ではなく、武士の身分を維持するための実用的な必需品でした。安定した封建社会の中で、元結づくりは伊予の地に一つの産業として根付き、その後の発展に向けた土台を形成していったのです。


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