今日の信楽焼に直接、繋がる窯業が本格的に始まったのは、鎌倉時代の中期、13世紀のことです。その頃、作られていたのは、美術品や嗜好品ではありませんでした 。甕(かめ)や壺(つぼ)、擂鉢(すりばち)といった、当時の人々の農業を中心とした日々の暮らしに欠かせない、実用的な「道具」がその中心だったのです。
特に興味深いのは、当時の信楽焼が、技術的には先進地であった常滑焼(とこなめやき)の影響を強く受けていたという点です。これは、信楽焼が最初から独自の道を歩んだのではなく、他の産地の優れた技術を学び、取り入れることから始まったことを示しています。その製品は、あくまで機能性を第一に考えられたものであり、流通範囲も近江(おうみ、現在の滋賀県)や京、大和(やまと、現在の奈良県)といった近隣地域に限られていました。この時代の信楽焼は、まだ全国にその名を知られる存在ではなく、地域の人々の生活を支える、工芸でした。
