土佐打刃物を育んだ3つの理由:高知の森と気候、そして「杣」の物語
会員限定記事2025.12.16
土佐打刃物を育んだ3つの理由:高知の森と気候、そして「杣」の物語
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1つの工芸が、特定の土地に深く根を張り、何世紀にもわたって受け継がれていく。その背景には、偶然とは言い切れない、数々の必然的な要因の連鎖が存在します。
私は編集者として各地のものづくりを取材するなかで、その土地の風土や歴史が、いかに工芸品の性格を形作るかを目の当たりにしてきました。
今回、探究するのは土佐打刃物です。なぜこの高知という土地で、400年以上も続く強靭な刃物文化が花開いたのか。その地理的、そして歴史的な理由を探っていきたいと思います。

全ての土台となった、高知の地理と風土

土佐打刃物の歴史は、鎌倉時代に大和国から移住した刀鍛冶(かたなかじ)の集団に源流を持つとされています。その後、戦国時代には領内に多くの鍛冶屋が存在する一大産業基盤が確立していました。

この長く豊かな歴史を育んだ背景には、高知県、旧土佐国の特異な地理的条件があります。南は広大な太平洋に面し、北は険しい四国山地によって隔てられる地形は、海と山の双方から豊かな恵みを受けると同時に、独自の文化圏を形成しました。

温暖で雨量が多い気候は、豊かな植生を育み、人々の生活と産業に大きな影響を与えてきました。土佐打刃物という工芸は、こうした高知の風土と分かちがたく結びつきながら、その姿を形作ってきたのです。


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