【若狭めのう細工の基本を知る】「焼き入れ」が生む奇跡の赤、その世界へ
2025.07.30
【若狭めのう細工の基本を知る】「焼き入れ」が生む奇跡の赤、その世界へ
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福井県の若狭地方、日本海に面した美しい湊町・小浜市に、ひっそりと、しかし確かな輝きを放ち続ける伝統工芸があります。それが「若狭めのう細工」です。
その最大の特徴は、まるで燃え盛る炎をそのまま石に封じ込めたかのような、深く、そして吸い込まれるような透明感を持つ赤い色彩にあります。
この独特の色合いは、天然の石が持つ色だけでなく、「焼き入れ」という秘伝の熱処理技術によって職人の手で生み出されるものです。
日本の貴石細工のルーツとも称され、その歴史と技術の高さから国の伝統的工芸品にも指定されています。しかし現在、そのすべての技術を受け継ぐ職人は、わずか一人という大変希少な存在となっています。
この記事では、そんな若狭めのう細工の基本的な情報について、その歴史、特徴、そしてこの工芸を育んだ土地の背景などを、一つひとつ丁寧に解説していきます。

大阪から伝わった炎の技、300年の歩み

若狭地方における玉作りの歴史は古く、一説には奈良時代まで遡るとも言われています。しかし、現在の若狭めのう細工に直接つながる技術的な始まりは、江戸時代中期、8代将軍・徳川吉宗の治世であった享保年間(きょうほねんかん、1716年~1736年)に確立されたというのが定説です。

この物語の中心にいるのは、若狭の地から当時の日本の商業中心地であった大阪の眼鏡屋へ奉公に出ていた高山吉兵衛という人物です。彼はその奉公先で、瑪瑙(めのう)の原石に熱を加えることで美しい赤色に発色させる「焼き入れ」の技術を習得しました。

故郷の若狭に戻った彼は、この先進的な技術を用いて瑪瑙の丸玉作りを始め、これが若狭めのう細工という産業の礎となったのです。当初は丸い玉や、着物の帯に小物を提げるための留め具である根付(ねつけ)などが主に作られていました。

しかし明治時代に入ると、中川清助という職人の登場によって、若狭めのう細工は大きな転換期を迎えます。彼は従来の玉作りに留まらず、瑪瑙という硬い素材に精緻な彫刻を施す技術を開発し、鯉や鶏といった動物の置物など、立体的な美術工芸品を次々と生み出しました。

彼の作った作品は国内外の博覧会で高く評価され、若狭めのう細工の名は芸術品として世界に知られることになりました。このように、大阪から伝わった一つの技術が、若狭の地で職人たちの手によって芸術の域にまで高められていったのです。

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