神聖なる画材
2024.09.30
神聖なる画材
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PROFILE|プロフィール
アラン・ウエスト
アラン・ウエスト

日本画家。アメリカ、ワシントンDC出身。1982年初来日。カーネギーメロン大学絵画科卒業。東京藝術大学大学院日本画科修了。
金、銀箔を駆使した豪華絢爛な琳派の伝統と、その線に特徴を持つ狩野派の筆法を受け継ぎながら、現代的かつ独創的な感性で自然を表現。現在、台東区谷中に繪処アランウエストを開廊し、個人、法人から絵の制作依頼を受けながら、独自の美の世界を開拓している。
作品は、国内外のホテル、マンション、レストラン、神社仏閣、法人、公共施設等に収蔵されている。能の世界にも明るく、能の国内外の公演の背景画として巨大掛け軸を提供するなど、積極的に関わっている。

日本画家にとって最低限必要な画材がいくつかあります。紙、岩絵具、膠(にかわ)、筆などですが、その中でもっとも神聖なものとして、私は紙を挙げたいと思います。今年は大河ドラマ「光る君へ」の中で幾度となく「越前の美しい紙」という表現が出てきて、平安時代はいかに紙が高価なものであったかが注目され、一般の方々にも越前紙と呼ばれる福井県越前市で作られた紙が知られるところとなっています。

その中でも和紙のひとつである鳥の子紙は、金箔や銀箔を多用する私にとっては欠かせない紙の一種です。今から40年ほど前にこの鶏の卵のように白い紙に出会ってから、その美しさと丈夫さに魅了されています。和紙との出会い以前は量産されている紙しか知らなかったので、紙そのものに特に関心を持つこともありませんでした。しかし、日本画で掛け軸や屏風絵を手がけるようになってからは、紙そのものへの関心が高まり、それまでの紙に対する意識とはだいぶ変わったように思います。
岡太神社・大瀧神社
岡太神社・大瀧神社
よく日本は「資源のない国」と表現されることがありますが、他国にはない日本独自の資源というものがあると私は感じています。その中でももっとも優れた資源は、いにしえからの知恵と幾代にもわたって継承されてきた職人の技ではないでしょうか。そして、越前紙も、長い歴史の中で受け継がれ磨かれてきた職人さんたちの結晶として現代まで生きてきていると感じています。越前紙は全て自然の素材からできていて、その素材のことを知り尽くしている職人さんたちだからこそ作り上げることのできる美しい和紙なのです。それは普段の生活で使われている、さまざまな用途のために作られた一般の紙類とは一線を画したものです。

少し専門的な話になりますが、越前紙は楮(こうぞ)と呼ばれる桑の木と、三椏(みつまた)、雁皮(がんぴ)と呼ばれる沈丁花科の木から取れる、1メートルほどもある絹のような繊維を水槽の中に沈ませて、水中で複雑に絡み合わせ、そこから水を抜くことで3次元から2次元のものとなり、布よりも丈夫な紙ができるのです。

そして興味深いことに、この技術は神様より授かったとされています。それが越前市の岡太(おかもと)神社・大瀧神社に祀られている紙の神様とされている川上御前です。その起源は1500年前とされ、50年に1度、川上御前に感謝を捧げるための大祭が行われます。私は運良く、いつも掛け軸や屏風絵などの表具でお世話になっている株式会社マスミの横尾社長からのお誘いで、2018年の大祭に越前紙を使う者として参加する機会に恵まれました。仕事柄、特に鳥の子紙にはいつもお世話になっているので、その感謝の気持ちを紙の神様に直接お伝えすることができるとあって、かなり気持ちが高揚しました。そこに参加させていただいた3日間の特別な経験をここで少しご紹介したいと思います。
初日は、白装束に身を包んだ50名の神主さんたちによって、お神輿に乗せられた川上御前がゆっくりと山から降ろされ岡太神社に移されました。宮内庁による雅楽が奏でられ、厳かにお能の仕舞も披露されました。その後、敬宮愛子内親王より、日本における和紙についてのご報告が川上御前にご挨拶として述べられました。

2日目は黒い袈裟を着た30人のお坊さんたちが焼香を炊きながらお経を唱えました。選ばれた和紙職人たちが順番に川上御前にご挨拶をし、その後、製紙会社の頭取や私のように和紙を使わせていただいている書家や画家たちが続き、それぞれが二拝二拍手一拝して大きな鈴を鳴らし、また一拝、そのまま内陣に背を向けないように後ろに下がりました。

そして最終日はお琴と三味線の演奏、その後に願い事を書いた杉のお札が大きな水瓶の下で焚かれました。神主さんが沸騰しているお湯の中に榊の枝を入れ、それを参拝者に威勢よく振りながら祝詞を捧げました。燃える杉のお札から上がる煙と頭上から降り注がれる熱い水滴の中で、それまでに経験したことのないような厳かな気持ちになりました。紙の神様であられる川上御前に心の中で感謝の気持ちをお伝えしました。このような素晴らしい技術をこの地の人々に教え授けてくだり、ありがとうございます、と。やがて日が暮れて、その大きな焚き火が炭の燃えさしほどになった頃、狩衣に着替えた神主さんたちはマスクと手袋をして、御神酒を口に含むと、和紙に包まれた川上御前をお神輿に移し、ゆっくりとした足取りで山の頂上まで担いでお戻しになりました。
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