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モンテー(スイス・ヴァレー州、アルプス地方)出身。
幼少期より金属加工に強い関心を抱き、17歳のときに日本刀の持つ精神性と造形美に深く魅了されたことをきっかけに、刀鍛冶の道を志す。
来日後、日本の伝統的な鍛刀技術を学ぶために入門。5年間にわたる厳しい弟子修業を経て技術を体得し、1週間に及ぶ国家試験に挑戦。外国人として初となる刀鍛冶の国家資格を取得する。
2024年には文化庁より正式に日本刀製作の許可(作刀承認)を受け、外国人として初めて公的に認められた日本刀鍛冶職人となる。アルプスの自然に育まれた感性と、日本の伝統技術への深い敬意を融合させながら、現代における日本刀の新たな可能性を追求している。
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17歳のとき、フランスを旅していた私は、あるデパートで開催されていた展示販売で一振りの日本刀に出会いました。多くの人がそれを工芸美術品として眺めるなか、当時鉄工所で見習いをしていた私は、まったく別の視点からその刀を見ていました。
——この美しい曲線は、どうやって生まれるのだろう。
——どうすれば、こんな鉄が鍛えられるのだろう。
芸術品としてではなく、職人の目で。純粋な好奇心が胸の奥から湧き上がってきたのを、今でもはっきり覚えています。
帰国後、私は刀について徹底的に調べ始めました。インターネットの記事を読み、図書館に通い、関連書籍を読み漁る日々。学べば学ぶほど、1000年近く前からの技術がほぼそのままの形で現代まで受け継がれているという事実に心を打たれました。そして何より、現代にも刀鍛冶が存在していることに驚きました。
「まだ刀鍛冶がいるのなら、自分もなるしかない」そう思うようになったのは、ごく自然な流れでした。
日本の刀鍛冶の修業は厳しい——そうイメージしていました。しかし私は15歳から19歳までの4年間、スイスの鉄工所で修業をしていました。揺るぎない指導と厳しい叱責の毎日。決して甘くない環境で鍛えられた経験があったからこそ、日本の刀の世界へ飛び込むことに恐れはありませんでした。
日本の伝統工芸の修業は独特です。体系化されたカリキュラムがあるわけではなく、何年目に何を習得するという明確な基準もありません。親方の手伝いをしながら、少しずつ技術を身につけていく。進み方は工房ごとに、そして弟子ごとに異なります。
私の1年目、2年目は、掃除、炭切り、小物づくりの日々でした。刀に直接触れられるようになったのは3年目からです。作刀の技術は非常に厳しく、成功したと思った瞬間に一打外せば、1週間分の仕事が無になることもある。だからこそ、基礎だけを積み重ねた最初の数年間は、振り返ればとても有意義な時間でした。
一方で、私は日本の師弟関係に疑問も抱いています。
伝統工芸の世界では、「いずれ弟子がライバルになる」という理由から、すべてを教えないという考え方が少なからず存在します。自分が100持っているとしても、弟子には70ほどしか伝えない——そうした慣習があると聞きました。
スイスの師弟関係は正反対でした。指導者は、弟子が自分を超えることを誇りに思います。弟子の成長は、自らの指導力の証明だからです。
文化を単純に比較することはできません。しかし、後継者育成のあり方については、再考の余地があると感じています。戦後から日本における刀鍛冶の数は減り続けています。不況だけが理由ではないのではないか、教育の問題もあるのではないか——そう思わずにはいられません。
2つの国の修業制度を経験したからこそ、私は刀鍛冶の育成のあり方にも、いつか貢献したいと考えています。
修業中、自分で刀を自由に作ることはできませんでした。姿を研究し、古作から学びながらも、実際に形にできない日々は、正直もどかしさもありました。だからこそ独立したいという気持ちが芽生え、努力を重ね、自分の思う刀を作れる今が、本当にうれしいのです。
