能の過去、現在、未来?(ジョン・オ��グルビー)
2024.11.29
能の過去、現在、未来?(ジョン・オグルビー)
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PROFILE|プロフィール
ジョン・オグルビー
ジョン・オグルビー

パフォーミングアーティスト/能楽師。「シアター能楽」の創設メンバーである。 これまでに、ウースター・グループ、リチャード・フォアマンの『存在論的ヒステリック』、ピーター・シュマンの『パンと人形』、田中泯の『舞塾』など数多くの公演に携わり、ヨーロッパ、北米、アジア各地で活躍。ニューヨークのパフォーマンスグループ「GAle GAtes et al.」の創設メンバーでもある。喜多流能楽師範。武蔵野大学と法政大学で能や日本舞踊の講義も行っている。

プロフィール写真撮影:北澤壮太

1990年代、ニューヨークで俳優として活動していた私は、物語性を排除し、雰囲気を重視したパフォーマンスが主流となっていたダウンタウンのシーンに身を置いていました。私のヒーローは、ロバート・ウィルソン、リチャード・フォアマン、ジュリー・テイモアといった演出家たち、そしてウースター・グループやマブー・マインズといったパフォーマンス集団でした。彼らはすべてが非常に実験的で、しばしば皮肉に満ちていました。そして1994年、私はニューヨークのジャパン・ソサエティで初めて能を観劇し、唖然としました。 制約された最小限の動きと、演者から発せられる理解不能な音の向こうに、それまで経験したことのないような正確さと細部へのこだわりがあったのです。これは、「俳優」が外部の演出家の要求に忠実に従っているだけの作品ではなく(当時、ニューヨークのダウンタウンのシアターではよく見られたのです)、それよりも深いものでした。何百年もの伝統に身をゆだね、より少ない表現でより多くを伝える方法を模索するという形式に対するこだわりを真摯に感じました。

「Less is more(過ぎたるは及ばざるがごとし)」という言葉は、芸術の世界でよく引用される格言です。一方で、私の出身国であるアメリカでは、グレイトフル・デッドというバンドが「too much of everything is just enough(何事も多すぎるくらいがちょうどいい)」という言葉を広めました。 アメリカは、モノの過剰生産・過剰利用によって成長し、繁栄してきた国です。 25年前に能を学ぶために日本に移り住んだとき、私はいくつかの演技テクニックを習得してニューヨークに戻り、自分が探求している作品に取り入れるつもりでした。

しかし、能を学べば学ぶほど、本当の意味で特定の技術を抽出して持ち帰ることは不可能だと気づきました。能は、その世界と密接に絡み合っているからです。もし何かを持ち帰ろうとするのであれば「能のすべて」でなければなりませんが、それはできません。能を演じるには、「能の村」そのものが必要なのです。
公演名:青い月のメンフィス 撮影:石田裕
公演名:青い月のメンフィス 撮影:石田裕
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