指物作家 兵働知也さんによる茶箱1971年3月9日、私は23歳で初めて日本を訪れました。飛行機の階段を下り、羽田空港の滑走路に足が触れた瞬間、何かが起きそうな感覚を覚えました。「カチッ」という音とともに、何かが変わっていく感覚。これが新しい人生の始まりであることを直感しました。
背後で扉が閉まったのと同時に、目の前に新たな扉が開かれたような気がしました。そこには、まるでバラ色の眼鏡をかけたような想像もできなかった美しい世界が広がっていたのです。その世界は、次の半世紀にわたって刺激や感動、活力を与えてくれることを予感させました。
仙台にあった新居のアパートに入ったとき、畳の床や襖、障子の窓がある部屋は、まるでおもちゃの家のようだと感じました。昼間は布団を押し入れにしまい、持ち物はすべて棚に収められたので、小さなアパートながらシンプルで余白のある生活空間を作り出せていました。夜になると、押し入れから布団と毛布を取り出し、昼間はこたつで足を温めていました。
コンパクトな台所には多くの驚きがありました。戸棚を開けると、そこには日本中の窯元で作られた陶磁器が並んでいました。ファッショナブルなメルマック(メラミン樹脂製)の食器を使ってきた私は、これほど多種多様な器があることに心を奪われました。
木製の精緻な椀には、私が後に「漆」と知ることになる神秘的な塗料が施されていました。漆は、日本人が9,000年もの間、食器に塗り続けてきた魔法のような素材です。それ以外にも、竹でできたカッターや茶筅(ちゃせん)、箸置き、ひょうたん型の薬味入れなど、次々に日本工芸における巧みな工夫に気づかされました。さらに別の棚には、醤油皿、陶器のおちょこと徳利、コースター、そして小さな急須が並べられていました。