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mita sneakers国井栄之×atmos小島奉文スペシャル対談! 人生で一番衝撃を受けた「NIKE AIR MAX 95」
日本のスニーカーカルチャーを牽引してきた「mita sneakers」の国井栄之さんと「atmos」の小島奉文さん。“業界に入ってから一番衝撃を受けたモデルは”という質問を投げかけると、奇しくも同じモデル「NIKE AIR MAX 95」を、人生の転機となった一足として挙げてくれた。
まったく異なる入り口からこのスニーカーに出会った2人だが、なぜこの「AIR MAX 95」が独自の視点で新たな熱狂を生み出し、現代の業界の基盤を築くに至ったのか。
今回は、スニーカー界の重鎮である国井さんと小島さんにインタビューし、「AIR MAX 95」のどこに衝撃を受けたのか、そしてそこから現代に与え続ける影響までを探っていく。
対照的な原体験と熱狂への入り口
スニーカーブームが社会現象化していた1995年の秋、2人の「AIR MAX 95」との出会い方は対照的だった。国井さんがこのシューズを手にしたのは、ファッション目的ではなく、極めて実用的な理由からだ。 当時、ローテクなスニーカーを好んで履いていたという国井さんだったが、カーレーサーを志す上での体力作りのトレーニングをするにあたり、膝への負担を軽減するハイテクなクッション性を求めていた。
「最初に買ったのは、トレーニング用としてエアクッションがあるモデル。膝に負担をかけないし、ゆっくり長く走り、持久力を養うことが目的でした。
スポーツ用品店のB&Dで普通に買いましたが、そのあとたまたま訪れた原宿のOSHMAN'Sの前を通ったらすごい人が並んでいて。覗いてみたら整理券を渡されて、もう1足買えてしまったんです」(国井栄之)

国井さんは「AIR MAX 95」を履いた瞬間、エアが潰れる感覚や身長が高く感じられる新鮮さに驚き、世の中の「スニーカー」というものに対する概念が急激に変わっていくのを肌で感じたという。
一方、当時埼玉県の中学生だった小島さんにとって、「AIR MAX 95」は手の届かない憧れの存在であり、ファッションやスニーカーにのめり込む強烈なきっかけとなった。
「僕は埼玉出身で、当時はおしゃれなものが簡単に手に入るような環境になく、そういったものは雑誌で見るしかなかった世代です。中学生としては『やばい靴が出た』という認識で、それを見るために人生で初めて原宿に行きました。
その出会いが衝撃的な原体験として残っていて、『AIR MAX 95』はいわば、ファッションやスニーカーにハマるきっかけになった1足です。この靴に出会っていなかったら、この仕事をしていないんじゃないかと思います」(小島奉文)

高校生になった小島さんは、アルバイトをしてようやく白黒ボーダーのカラーの「AIR MAX 95」を手に入れた。マイケル・ジョーダンのこともスポーツ番組からではなくスニーカー雑誌から入るなど、小島さんにとってスニーカーは常にカルチャーの象徴だったのだ。
この時期から、スニーカーというプロダクトは単なるスポーツ用品の枠を越え、ストリートの熱狂を帯びたアイテムへと変貌を遂げていく。
日本独自の解釈と別注カルチャーの夜明け
スニーカーブームの狂騒の渦中でキャリアをスタートさせた国井さんは、やがて自身でプロダクトの企画に携わるようになる。「UENO CITY ATTACKに次いで、『mita sneakers』の冠をつけて、“SMU(特別仕様)”としてやらせてもらったのが、『AIR MAX 95』の『Neo Escape』でした。


その後、ハイブリッドが出るタイミングでatmosとお互い1足ずつ企画を出したりもしましたし、後に話題となる“黒タンのプロトタイプ”を作ったときは、桜の花弁に“UENO”の文字を組み合わせたシティロゴを配しました」(国井栄之)

当時、アメリカの一部店舗限定だったカラーが日本に流入し、別注という概念が生まれ始めていた。
国井さんが仕掛けた「Neo Escape」や、開発当初のルックシーサンプルのディテールであった「黒タン」を復刻させるアプローチは、熱心なスニーカーファンの心を掴んだ。海外のブランドが主導するだけでなく、日本のリテーラーが独自の文脈や地域性をスニーカーに落とし込む動きが加速していく。
「そもそもの話ですが、OG(オリジナル)のデザイナーであるセルジオ・ロザーノさんが世に輩出したモデルたちがなかったら今の日本、いや世界のスニーカー文化はなかったと思います。『AIR MAX 95』は常にスニーカーに対して新しい概念を生み出す時に、常に側にあった逸足ですね」(国井栄之)
国井さんの試みは、ただ配色を変えるだけでなく、過去のルーツを探求し現代のプロダクトに落とし込むという点で革新的だった。このアプローチが、現代において当たり前となったコラボレーション手法の先駆けとなっていく。
「AIR MAX 95」は幾度となく復刻やアップデートを繰り返しては、今もなおシーンの中心に存在し続けている。その中で小島さんは、正規の製品販売とは異なる角度から新たな価値を生み出そうと試みた。彼が注目したのは、ロンドンを拠点に活動する若きカスタムアーティスト「Lorenz.OG(ロレンツ.OG)」の存在である。


「彼は20代という若さで、エアバッグまで染め上げてしまうんです。日本に来てもらってイベントを行いましたが、商標権などの問題から販売することはできなかったので、ギブアウェイにしました。彼が作ったチョコレートのパッケージに当たりチケットを入れて、ランダムで当たった人だけがシューズをもらえるという企画だったのですが、サプライズで大好評でした」(小島奉文)
通常の販売ルートに乗せない、いわゆる“グレーゾーン”のアクティベーションは、2000件近い応募を集め、遠方からも熱狂的なファンを呼び寄せた。技術的に困難とされるエアバッグの染色を成功させた製品加工のインパクトは、完成されたかに思える名作に、まだ新たな解釈の余地があることを証明した。

「“グレーゾーン”ではありましたが、イベントはかなりの反響がありました。彼にプロセスの説明やトークショーをやってもらって、有意義な時間になりました。『AIR MAX 95』にはいろいろな楽しみ方があることを再認識しました」(小島奉文)
小島さんが仕掛けたこのイベントは、単なる商品としてのスニーカーの消費にとどまらず、体験としての熱狂を現代のファンに提供した。過去の伝説をただなぞるのではなく、次世代の才能と共に新たなストーリーを付加していく姿勢がそこにあったのだ。
カルチャーの骨格と次世代への継承
発売から30年余りが経過した現在でも、「AIR MAX 95」の存在感は色褪せていない。当時の熱狂を肌で知る世代だけでなく、今の若者たちにもその価値は自然と受け継がれている。現代のストリートにおいて、このモデルはどのような意味を持っているのか。「今当たり前になっているコラボレーションやSMU、日本未発売、スニーカーブティックといった言葉や概念の骨格を作ったのが、まさにこの『AIR MAX 95』です。それがあるからこそ、その時々の人が行なってきたことが現在のインスピレーション源となり、日本のスニーカーカルチャーの土台ができたのだと思います」(国井栄之)


国井さんは、現在のスニーカー業界を支えるさまざまなシステムや文化の起点が、この一足にあったと分析する。また小島さんも、デザインの普遍性が現代のファッションシーンにも適応していると指摘する。象徴的なネオンカラーだけでなく、インラインの落ち着いたカラーリングが、現代の若者の間で特に支持を集めているという。
「今の若者は、イエローグラデのネオンカラーが目立ちすぎるので、スタイルに馴染む合わせやすいカラーを好む傾向があります。うちの会社でも若い子たちに自然に継承されていますし、なかなかこれほど語り継がれているモデルはないですね。『AIR MAX 95』は50年後も存在し続けるんじゃないかと思います」(小島奉文)
小島さん自身、5歳になる息子にキッズサイズの「AIR MAX 95」を履かせており、世代を超えて愛用される光景に喜びを見出している。子どもが履いたときに抱くソールの高さによる高揚感は、かつて国井さんが初めて足を入れたときに感じた驚きと通じるものがある。カルチャーの骨格は、確実に次の世代へと手渡されている。

現在、スニーカーに独自の価値を見出し、熱狂する若者たちは、先人が築き上げた文化の延長線上を歩んでいる。さらに、過去を振り返ることなくアグレッシブに前進する若い世代も、いつか自分たちのルーツをたどるとき、必ずこの「AIR MAX 95」の存在に行き着くはずだ。
PROFILE

国井 栄之(くにい しげゆき)
mita sneakers ディレクター
東京の下町である上野から世界へ向けて独自のスニーカースタイルを提案する「mita sneakers」でディレクターを務める。数多くのブランドとのコラボモデルや別注モデルを手掛け、その手腕を発揮。現在は虎ノ門ヒルズにオープンしたショップ「Herringbone Footwear(ヘリンボーン フットウェア)」の外部ディレクターも務める。世界的プロジェクトから国内インラインのディレクションまで多岐にわたり、スニーカープロジェクトに携わるスニーカー業界の最重要人物。
PROFILE

小島 奉文(こじま ひろふみ)
Atmosプロダクト&クリエイティブシニアディレクター
1981年生まれ、埼玉県出身。文化服装学院を卒業後、2001年より「atmos」の前身である「CHAPTER」でキャリアをスタート。その後atmosにてバイヤーなどさまざまなポジションを歴任し、現職に就任。2016年に開催された歴代NIKE「AIR MAX」の人気投票で、小島さんがデザインを手掛けた〈AIR MAX 1 atmos “Elephant”(エアマックス1 アトモス “エレファント”)〉が世界一の票数を獲得。世界中のスニーカーフリークがその動向を注目する。
Photo by Hiroyuki“Lily”Suzuki(StudioLog)
Text by Yasuyuki Ushijima(NO-TECH)












