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ミタスニーカーズ国井栄之が語る、業界の常識を覆したナイキ「エア リフト」の革新性
1995年、ナイキは足袋のようなスプリットトゥのフォルムが特徴的な、ケニアの裸足のランナーから着想を得たスニーカー「AIR RIFT(エア リフト)」を発表した。
「AIR MAX 95」という金字塔と同じ年に生まれたこの一足。異端とも言えるこのモデルが、業界の重鎮は「常識を覆した」とまで言わせる理由とは?
今回は「エア リフト」に込められた真の革新性を、ミタスニーカーズのディレクターである国井栄之さんに伺った。
歴史に残る名作が誕生した豊作の1995年
1995年は、ナイキの歴史において特別な輝きを放つ年である。社会現象を巻き起こした「AIR MAX 95」が誕生し、その斬新なデザインとフルレングスのビジブルAirユニットはスニーカー史に金字塔を打ち立てた。しかし、同じ年に実はもう一つ、常識を覆すフットウエアが静かに産声を上げていたことを知る人は、当時多くはなかったかもしれない。それが「エア リフト」である。
「業界の常識やルールを覆したフットウエアといえば?」という問いに対し、業界の重鎮として知られるミタスニーカーズの国井栄之さんが挙げたのが、この「エア リフト」だった。国井さんは、スニーカーカルチャーが爆発的な熱狂を見せた90年代をリアルタイムで体験した世代だ。

「やっぱり個人的にもリアルタイムであの熱狂を経験したなかで、“1995年”は一つのキーワードになります。ナイキだとまず分かりやすいのが『AIR MAX 95』、それから甲に負担をかけない『AIR FOOTSCAPE』、そしてもう一つ、『エア リフト』があったんです。
発売当時にファーストカラーの『エア リフト』を購入して、もちろん履き潰すほど愛用しました。サンダル感覚で裸足のまま履くことも多かったですね」
多くの人々の目が「AIR MAX 95」の未来的なグラデーションに向けられるなか、国井さんは「エア リフト」の異質なシルエットに強く惹かれ、そのユニークな履き心地をいち早く体験していたのである。
日本の足袋とケニアの大地。交差するインスピレーション
「エア リフト」の奇妙な形状は、どこから来たのか。そのルーツのひとつとして、日本の伝統的な履物「足袋」が挙げられる。親指とその他の指を分離する構造は、地面を掴むような感覚や高所での作業性に優れ、古くは大工や鳶職が愛用した。この伝統的な知恵を、ナイキは最新のテクノロジーでスポーツフットウエアへと進化させたのだ。
しかし、着想源はそれだけではない。より本質的なインスピレーションの源泉は、遠くアフリカ大陸、ケニアにあった。「エア リフト」という名称こそ、ケニアの「グレート・リフト・バレー(大地溝帯)」に由来する。さらに興味深いのは、そのコンセプトとカラーリングの背景だ。
「もともとはケニアの長距離ランナーが、グレート・リフト・バレーで裸足でのトレーニングを重ねていたことに着想を得ています。ファーストカラーのブラックとレッド、グリーンの組み合わせは、ケニアの国旗をモチーフにしたものです。

こうした名前の由来やカラーの背景は、実はあまり語られていません。ケニアカラーなのはケニアのランナーに由来しているという事実を知る人は少ないと思います」
国井さんが指摘するように、「エア リフト」は単に足袋の形を模倣しただけではない。裸足で大地を駆け、驚異的な身体能力を発揮するケニア人ランナーへのリスペクトと、その強さの秘密を解き明かそうとする探究心が、この一足には込められている。
日本の伝統とアフリカの大地、2つの文化が交差した点に、「エア リフト」の独創性はあったのである。
「エア リフト」が問いかけた「人間本来の力」
「エア リフト」がもっとも革新的だったのは、そのデザイン以上に、根底に流れる思想にあった。従来の高性能スニーカーが、クッショニングや安定性といった機能を「付加」することでアスリートの能力を拡張する、いわば「ドーピング」的なアプローチを取っていたのに対し、「エア リフト」はまったく逆の視点からランナーに働きかける手法をとった。
それは、着用者自身の「足本来の筋肉やバランス感覚、柔軟性を呼び覚ます」というコンセプトだ。国井さんは、この思想こそが「エア リフト」が後世に与えた最大の影響だと語る。
「サポートをして走らせることも大切ですが、それだけでなく、自身の足を鍛えるというコンセプトが当時あったのだと思います。いわゆる『ベアフット』の考え方で、その後の『NIKE FREE』にも繋がる系譜です。
スニーカーは足の力だけでは賄いきれない部分に機能を付加させるものですが、人間の身体は能力を使い切れていないだけで、鍛えることで本来のスペックを引き出そうという考え方があります。『エア リフト』というモデルの概念はそこにあると思うんです」

靴のサポート性に頼るのではなく、足本来の機能を取り戻し、眠っているポテンシャルを解放する。裸足でボールを蹴っていた少年が世界的なサッカー選手になったり、裸足でトレーニングを積んだランナーが国際的な大会で優勝したりする逸話のように、人間が本来持つ能力を信じるという哲学がそこにはあった。
機能を足し算していくスニーカー開発の潮流の中で、人間の能力を引き出すという引き算の発想は、まさに常識を覆すものだったのである。
「僕がデザインに携わらせていただいた『AIR FORCE “温故知新”』のカラーリングは、実は『エア リフト』からサンプリングしています。ただ好きだからという理由でカラーを拝借したわけではありません。
あのモデルはライニングに『ドライフィット』テクノロジーを搭載し、通気性を高めるという機能的な狙いがありました。その時、自分の記憶の中でもっとも通気性が高くて快適だったシューズが『エア リフト』だった。それゆえ、機能的なコンセプトとデザインソースが自分の中で繋がったんです」

この個人的な体験は、「エア リフト」が単なるプロダクトを超え、履き手の記憶に深く刻まれる存在であったことを示している。
「エア リフト」が提示した「人間本来の能力を引き出す」という思想は、現代において新たな意味を持ち始めている。昨今、圧倒的人気を誇る「メゾン マルジェラ」の“タビ”ブーツや、「Vibram FIVEFINGERS(ビブラム ファイブフィンガーズ)」など、足の自然な動きを尊重するフットウェアが再び注目を集めている。
これは、テクノロジーによる機能拡張が行き着くところまで来た現代だからこそ、人間そのものへの回帰が求められていることの表れかもしれない。
スニーカーに機能を「足す」のではなく、人間のポテンシャルを「引き出す」ことで未来を切り拓く。国井さんが語った「エア リフト」の物語は、この一足が単なる過去の名作ではなく、今なおフットウエアの未来を問い続ける、生きたイノベーションであることを示している。
PROFILE

国井 栄之(くにい・しげゆき)
mita sneakers ディレクター
東京の下町である上野から世界へ向けて独自のスニーカースタイルを提案する「mita sneakers」でディレクターを務める。数多くのブランドとのコラボモデルや別注モデルを手掛け、その手腕を発揮。現在は虎ノ門ヒルズにオープンしたショップ「Herringbone Footwear(ヘリンボーン フットウェア)」の外部ディレクターも務める。世界的プロジェクトから国内インラインのディレクションまで多岐にわたり、スニーカープロジェクトに携わるスニーカー業界の最重要人物。
Photo by Hiroyuki“Lily”Suzuki(StudioLog)
Text by Yasuyuki Ushijima(NO-TECH)









