演劇や音楽、工芸といった文化遺産のなかでも、歴史的・芸術的価値の高いものを無形文化財という。それらを体現する「わざ」を高度に習得した人を保持者といい、一般的には「人間国宝」として知られている。
今回話を伺ったのは、石川県の伝統工芸「加賀象嵌(かがぞうがん)」の第一人者であり、重要無形文化財「彫金」保持者である中川衛さん。その作品は一目惚れするほどの美しさを放っており、国内の評価もさることながら、メトロポリタン美術館や大英博物館に収蔵されるなど海外でも高い注目を集めている。
人間国宝の認定や紫綬褒章の受賞など、華やかな道を歩まれてきた中川さん。ここにたどり着くまでにはいくつもの出会いがあり、作品づくりに込める思いも変化していったようだ。中川さんを伝統工芸の道に進ませたものは何だったのか。そして、人間国宝になったいま、日本の伝統工芸の文化をどのように見ているのか。
第1回の配信では、中川さんの象嵌との出会い、そして幼少期の思い出をお送りする。
PROFILE|プロフィール
中川 衛(なかがわ まもる)
1947年石川県金沢市生まれ。彫金の技法のひとつで、石川県に伝わる伝統工芸「加賀象嵌」の第一人者。金沢美術工芸大学産業美術学科卒業後、松下電工に就職しプロダクトデザイナーとして活躍。1974年加賀象嵌の魅力に触れ、高橋介州先生に師事する。
工業デザイン一筋だった
取材は、金沢にある中川さんの工房兼自宅で行われた。2023年にパナソニック汐留美術館で開催された展覧会「中川衛──美しき金工とデザイン」の図録を取り出しながら、中川さんは自身の出発点を語り始めた。
「金沢美術工芸大学に進学し、工業デザインを専攻しました。その関係で、卒業後に松下電工(現パナソニック)に就職して、美容家電製品のデザインを担当してきました。
世の中にないものをつくるということで、流行物を追いかけたり、有名建築を見に行ったりしていましたね。
いろいろなデザインを見てきたけれど、当時は伝統工芸とはほとんど縁がなかったかな」
「加賀象嵌」との運命的な出会い
中川さんは27歳で松下電工を退職し、県の工業試験場に勤務する。デザインの引き出しを広げるために、県立美術館で開催されていた展覧会へ足を運ぶが、そこで「加賀象嵌」との運命的な出会いを果たすことになる。
「江戸時代の武士と聞くと、刀を腰に差しているイメージが強いでしょ。でも、彼らの持ち物は意外とおしゃれなものが多くて、陣羽織を見たときには感動しました。
展覧会では、鐙(あぶみ)という乗馬した際に足を乗せる金具が展示されていてね。そこに施されていたデザインの美しさに圧倒されてしまって。しかも、同じような模様が鎧兜や刀の鍔(つば)にも描かれていて、これは一体何なのだろうと興味を持ちました。
近くにいた人に聞いてみると、石川県の伝統工芸である『加賀象嵌』だと教えてくれました。『象嵌』という、金属の表面を彫って、そこに別の金属をはめ込むことで模様を浮かび上がらせる工芸があると、そのとき初めて知りました。
話を聞いていくうちに、『そんなに興味があるなら実際にやってみないか』と誘われ、鏨(たがね)という彫り道具と金鎚を借りたのが最初の一歩でした。その人が、私が師事することになる加賀象嵌の技術保持者、高橋介州先生だったのも、何かの運命だったのでしょう」
こうして、何気なく展覧会で出会った象嵌に一目惚れした中川さんは、右も左もわからない状態から工芸の道に足を踏み入れることになった。
会社員時代の中川 衛 昭和時代 個人蔵
写真撮影:大屋孝雄 写真提供:パナソニック汐留美術館