【第2回】人生はマラソンと同じ──人間国宝・中川衛が仕事と工芸の両立で得た気づきとは
2025.06.12
【第2回】人生はマラソンと同じ──人間国宝・中川衛が仕事と工芸の両立で得た気づきとは
リンクをコピーしました
※音声読み上げ機能はAI生成のため、
読み間違いが発生する場合があります。
前回の配信では、「加賀象嵌(かがぞうがん)」の第一人者にして人間国宝である中川衛さんが、若い頃は工業デザイナーとして企業に勤め、工芸とはまったく関わりのない生活を送っていたことが明らかになった。
デザインの引き出しを増やすために、地元の展覧会へ足を運んだ中川さん。そこで「象嵌」と出会い、工芸への一歩を踏み出した。その造形美に感銘を受けながら、子どもの頃に好きだった紙飛行機の制作に通じるものを感じ取ったのかもしれない。
一度こだわり始めたら妥協しない姿勢は、試験場での勤務と工芸の習得のどちらにも向けられた。今回は、若き日の中川さんが送った過酷な修業時代の生活、そしてそこで得た気づきをお送りする。
<前回は象嵌との出会い、そして幼少期の思い出を深掘りしました。詳しくはこちら。>

時間とお金だけがなくなっていく

県の試験場で働きながら、「象嵌」との運命的な出会いを果たした中川さんは、サラリーマンと工芸作家という二足のわらじを履くことになる。だが、加賀象嵌制作に携わる日々は、中川さんが想像していたのとはまるで違うものだった。

「1年かけても、大きい作品なら3点、小さいものでも5点くらいしかつくれません。金属を彫ってから、そこに金や銀をはめ込むので、他の工芸と違って2倍くらいの時間がかかるわけです。

始めた当初は失敗もたくさんあったから、時間はあっという間に過ぎていくし、金属を買うお金もどんどん飛んでいきましたよ」

これまで工業デザインを専門にしていたため、作品をひとつつくるのに、これほど時間と費用がかかるとは想像すらしなかったと振り返る中川さん。このように時間と費用がかかることから周りにいた人たちも、いつの間にか姿を消していったという。

工芸に魅了されてその道に入っても、続けていくのが難しい構造的な問題があるようだ。

「サラリーマンは毎月給料が振り込まれるけど、工芸は作品が売れないとお金が入ってこないでしょ。その上、材料費を考えると、売値の1/3くらいしか手元に残らないんですよ。作品づくりで生活ができるようになったのは、60代になってからですね」
この記事をシェアする
リンクをコピーしました