【南部鉄器の基本を知る】なぜ、南部鉄器は世代を超えて愛されるのか? 400年の歴史に秘められた用の美
2025.08.01
【南部鉄器の基本を知る】なぜ、南部鉄器は世代を超えて愛されるのか? 400年の歴史に秘められた用の美
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身の回りにある多くのモノが、短いサイクルで消費されていく現代において、一つの道具と長く付き合い、世代を超えて受け継いでいくという考え方に、心を惹かれます。岩手県で400年以上にわたり育まれてきた南部鉄器は、まさにそのような、時を超えて愛される道具の一つです。
本記事では、その歴史的な背景、暮らしを豊かにする機能性、そして工芸を育んだ土地の恵みについて、基本的な情報を解説します。

南部鉄器とは? 400年の歴史と2つの源流

南部鉄器とは、岩手県の盛岡市と奥州市水沢という2つの地域で生産される鉄鋳物の総称です。その歴史は約400年前に遡ります。

この一つの名称の下には、起源の異なる2つの流れが存在します。

一つは江戸時代初期、盛岡を治めた南部藩の藩主が京都から釜師を召し抱え、茶の湯釜を作らせたことから始まる美術工芸品としての流れです。

もう一つはそれよりさらに古く、平安時代後期にまで遡る奥州市水沢を起源とする、鍋や釜といった民衆の生活に寄り添う日用品としての流れです。

芸術性の高い茶道具を源流とする盛岡の鉄器と、実用性を追求した水沢の鉄器は、それぞれ独自の発展を遂げました。この2つの産地の鋳物組合が、1959年に共同で「岩手県南部鉄器協同組合連合会」を設立し、両産地で作られる製品を「南部鉄器」という統一ブランドで展開することを決定したのです。

この統合により、南部鉄器は美術工芸品としての格式と、日用品としての親しみやすさという2つの側面を併せ持つことになりました。

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