2022.06.10

【リレーコラム】自分の「好み」を伝える苦痛の緩和策――趣味という闘争における抜け道を探して(髙橋かおり)

PROFILE|プロフィール
髙橋かおり (たかはしかおり)
髙橋かおり (たかはしかおり)

立教大学社会情報教育研究センター助教。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。専門は文化社会学、芸術社会学、質的調査法。

「芸術に関わる人たち」の生活と経験、キャリアとアイデンティティについて、聞き取り調査や参与観察をもとに研究をしている。芸術に関わる人たちを研究対象にしているが、本人は楽器も弾けず、絵も下手で、演技も踊りも特にうまくはない。

研究業績については以下のURLを参照。

https://researchmap.jp/k.artkhs

自分の「好み」を言いたくない

私が服を一人で買いに行けるようになったのは、たぶん20代中頃だと思う。友達と服を買いに行ったことも、人生で数えるほどしかない。

理由はいくつかある。

そもそも、服は家族から譲ってもらうことが多く、すでに家の中で飽和状態にあった。さらに大学に進学した後、しばらく演劇や舞台公演に裏方としてかかわっていたため、基本黒い服であれば困らないという環境にもいた。

しかし、これらはすべて消極的な理由である。

一番の理由は「他人に『好み』を伝えることが苦手」だったからである。ある色や形、デザインを好みだということは、自分の人格や性格を評価されることにつながるのではないだろうか、その評価が非常に怖かった。

なぜここまでして私は「好み」を伝えるのが嫌なのか。これは別に服に限ったことではない。何かの好みを伝えることへの恐怖は、食事のメニュー(そもそも10代のころは偏食だった)や旅行の行き先においてもそうであった。

そのような私にとって、「好み」を手がかりに話が盛り上がる、というのはあまり安心のできる場ではない。今日では「推し語り」など、自分の好きな対象(推し)を熱心に語ることが好意的にとらえられる傾向にある。「趣味縁」(浅野 2011)といわれるように、古くはmixiのコミュニティ、近年ではマッチングアプリの共通点など、人々は基本的に同じものを好む人でつながろうとする。

しかし、同じものを好む人同士は小さな差異で破綻しがちである。「好み」を伝えることが自慢や争いになる場面を目撃することは少なくない。アイドルファンのいわゆる「同担拒否」(辻 2018)に見られるように、同じ対象を好む人を避ける人もいる。

私の場合はこのような熱のある闘争を先回り先回りして考えた結果、「他人に『好み』を伝えることを回避する」という私の消極性につながったのであろう。「好み」を表明したとたん、趣味という闘争に巻き込まれていくのである(1)

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他人の「好み」を認める

「社会学ではしばしば、『好きなもの研究』は避けたほうがよいと言われることがあります(東 2016)。」(秋谷・團・松井 2021:120)

このような記述は、この引用に限らずよく見聞きする。特に文化を研究対象とする研究者には頻繁に向けられる言葉といえる。

しかし、「好きなもの研究は他の研究より特別難しいわけでも楽なわけでもない」(東 2016:133)。東園子が論じたように、研究としての意義を見出して適切な問いを立てることができ、研究者モードとファンモードのバランスをうまくとることができれば、「好きなもの」を対象としていても研究は成立する。

東の研究対象は「やおい」や「ボーイズラブ(BL)」と呼ばれる同人誌創作に関わる人たちと、宝塚歌劇団のファンたちである。東自身はもともと宝塚歌劇団のファンであったが、やおいやボーイズラブは調査をする中で徐々に好きになっていった(「ミイラ取りがミイラになった」)という。自分のこれまでのファン経験を踏まえて他のファンの経験と比較をすることで、研究を進めていった(東 2015:299,2016:141)。

東の調査遍歴と「好きなもの」研究へのアドバイスから趣味という闘争への別の戦い方を考えるならば、差異を認識したうえで他者を、「好きなもの」を理解しようとし、そこから関係を作り出そうとする方法もあり得る。同質性だけが、つながるきっかけではない。「同担拒否」の論理も別の見方をすれば同じである。同じ対象を好む人を回避する一方、類似した別の対象を好む人とは関係を維持しているのである。

誰かの「好み」を否定せず、自分の「好み」を伝える作法

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私たちが趣味という闘争から逃れられないのは確かである。しかし、自らの「好み」と異なる人や集団と出会った際、自分の「好み」が否定されたと考えるのは過剰防衛かもしれない。

ハイアートとポピュラーカルチャーの区別や、メインストリームとアンダーグラウンドの線引きを過度に内面化したり、その線引きを自分の「好み」の理由にしたりすることは、どこか物悲しいように、私は思える。自らの「好み」の良さや理由を伝えるとき、何か別のものを貶める必要はないのではないか。それぞれの人の「好み」の理由や経歴を尊重する関わり方を身に付ける方が、文化経験や他者への理解は豊かになりえる。

振り返ってみると、私の研究への向き合い方もそうだったのかもしれない。私はこれまで、演劇、美術、音楽と複数のフィールドにまたがり、「芸術に関わる人たち」に聞き取りをしてきた。これらの対象が「好きなもの」なのかと言われると、即答できない。ここには自分が対象とする文化事象を一つに限定することで、それを自らの「好み」として判別され、趣味という闘争に巻き込まれるのが嫌だったからという消極的理由もあったかもしれない。

しかし実際には、いくつかの分野の人たちとそれぞれに関わることで、それぞれに異なりつつも共通点のある彼らの「好み」への没入の経験や、語りに出会うことができている。自分が怖くて語れないからこそ、たくさんの人の語りを聞き、戦い方のバリエーションを知ることで、少しでも闘争のなかを生き延びていきたいのである。研究を通じて得た知見を残していくことは、誰かにとっては、少なくとも私にとっては、趣味という闘争における苦痛の緩和策になりえるのかもしれない。

先回りをして自らの服の「好み」への批判を避けようとした私の服装は現在、他人から「変わっているね」といわれることが多い。それがどのように変わっているのかは自分でもよくわからない。「好み」の主張を避けた結果「変わっている」という状況になった私の「好み」とは、いったい何なのだろうか。今でもよくわからない。

(1)趣味という闘争としてのブルデューの議論の整理は岸(2020)を参照。より詳しくはBourdiue(1979=1990[2020])を参照。

参考文献
秋谷直矩・團康晃・松井広志,2021,『楽しみの技法――趣味実践の社会学』ナカニシヤ出版.
浅野智彦,2011,『趣味縁から始まる若者参加』岩波書店.
東園子,2015,『宝塚・やおい、愛の読み替え――女性とポピュラーカルチャーの社会学』新曜社.
――――,2016,「好きなもの研究の方法――あるいは問いの立て方、磨き方」
前田拓也・秋谷直矩・朴沙羅・木下衆編,『最強の社会調査入門――これから質的調査を始める人のために』ナカニシヤ出版,132-143.
Bourdiue, Pierre, 1979, La Distinction: Critique Sociale du Jugement, Éditions de Minuit. (石井洋二郎訳,[1990]2020,『ディスタンクシオン―-社会学的判断力批判Ⅰ・Ⅱ』藤原書店.)
岸政彦,2020,『100分 de 名著――ブルデュー「ディスタンクシオン」』NHK出版.
辻泉,2018,「『同担拒否』再考――アイドルとファンの関係、ファン・コミュニティ」『新社会学研究』3:34-49.

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