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30周年を迎えた元祖ハイテクスニーカー 「ナイキ エア マックス95」が スニーカー業界に与えた影響とは?
1995年に誕生し、スニーカー史に残る名作中の名作である「ナイキ エア マックス95」。その独創的なデザインとカラーリングは世界中に衝撃を与えた。現在も絶大な支持を集めている同モデルが今年、30周年を迎えた。この特別なモデルの歴史や誕生秘話、そしてその魅力を、「スニーカーショップSKIT」の代表である鎌本勝茂さんに伺った。
著名人の着用で店頭から姿を消した「エア マックス95」
日本のスニーカーシーンを激変させた「エア マックス95」。「ナイキ」のエアシリーズで初めて前足部のエアまで可視化されたモデルだ。どんなコンセプトで生まれたシューズだったのだろうか。鎌本さんはこう語る。
「デザイナーは当時入社4年目というまだ若手だったセルジオ・ロザーノです。人体解剖学の本からインスピレーションを受け、人の皮膚や筋肉、肋骨をイメージしてデザインされたそうです。

実は発売当初は日本でもそこまで人気はなく、ランニングカテゴリーなので、高校の陸上部員がトレーニング用に履いていたのを見かけました。エアが搭載されているのでクッショニングはいいのですが、サイドに縫い目が多いことから本格使用するには耐久性に問題があったらしいです。
ただ街のスケーターたちはトレンドをキャッチするのが早かったので、このモデルを履いている人もチラホラいました。
そこから日本で人気が出たのは三ツ矢サイダーのポスターでの“イチロー”や、ドコモのポケベルのCMでの“広末涼子“、そしてファッション雑誌でお笑い芸人の“ロンドンブーツ1号2号”が履いたことがきっかけでしたね」
スマホやインターネットが普及していない1990年代当時は、テレビや雑誌がもっとも有力な情報源だった。また1996年の正月に発売された『週刊朝日』新春特別号の表紙で“木村拓哉”が「エア マックス95」のレッドを履いた影響で、1996年の年明けから、いきなり「エア マックス95」が店頭から消えたという逸話も残っている。
ただ街のスケーターたちはトレンドをキャッチするのが早かったので、このモデルを履いている人もチラホラいました。
そこから日本で人気が出たのは三ツ矢サイダーのポスターでの“イチロー”や、ドコモのポケベルのCMでの“広末涼子“、そしてファッション雑誌でお笑い芸人の“ロンドンブーツ1号2号”が履いたことがきっかけでしたね」
スマホやインターネットが普及していない1990年代当時は、テレビや雑誌がもっとも有力な情報源だった。また1996年の正月に発売された『週刊朝日』新春特別号の表紙で“木村拓哉”が「エア マックス95」のレッドを履いた影響で、1996年の年明けから、いきなり「エア マックス95」が店頭から消えたという逸話も残っている。


1996年当時、すでにスニーカーショップの店頭に立っていた鎌本さんもこう続ける。
「当時は著名人が履いた雑誌の切り抜きや、イチローが履いている“三ツ矢サイダー”のポスターを持ってきて“このスニーカー売っていませんか?”と聞いてくる人もいました。もちろん店頭には在庫はありませんでしたが……」
入手困難になったレアモデルは、履いている人から強奪する「エアマックス狩り」という悪しき社会現象を巻き起こすほどの人気を獲得していったのだ。
「当時は著名人が履いた雑誌の切り抜きや、イチローが履いている“三ツ矢サイダー”のポスターを持ってきて“このスニーカー売っていませんか?”と聞いてくる人もいました。もちろん店頭には在庫はありませんでしたが……」
入手困難になったレアモデルは、履いている人から強奪する「エアマックス狩り」という悪しき社会現象を巻き起こすほどの人気を獲得していったのだ。
日本のスニーカーブームを創り出した稀有な存在
鎌本さんが知る「エア マックス95」の逸話を聞いてみるとこう答えてくれた。「社会現象にまでなったこのモデル。当時ナイキにいた方に聞いた話なのですが、この人気を受けて『ナイキ ジャパン』で独自に『エア マックス95』を追加オーダーして販売したらしいのです。

もちろん、それでも市場に行き渡ることはなかったのですが、当時としては大英断ですよね。その影響から日本で発売されたオリジナルモデルなど、日本で流通していたものでもシューズの製造年月日が何種類か存在するような状況が生まれたのです」
また当時の熱狂ぶりをこうも語ってくれた。
また当時の熱狂ぶりをこうも語ってくれた。


「当時は、インターネットも普及していなかったので、情報はショップに電話するなどして収集していた時代。『マルイ』のスポーツグッズを扱う『マルイフィールド』という店舗で“〇月〇日に『エア マックス95』を発売します”と張り紙で告知したら、5日前ぐらいから徹夜の並びが出る状態だったそうです。
1995年当時はカードで買い物する人も少数派だったので『エア マックス95』を発売した店舗では、1万円札がレジに収まりきれずあふれた状態になっていたそうです。日本のスニーカーブームを創り出したのは、まさに同モデルといえますね」
1995年当時はカードで買い物する人も少数派だったので『エア マックス95』を発売した店舗では、1万円札がレジに収まりきれずあふれた状態になっていたそうです。日本のスニーカーブームを創り出したのは、まさに同モデルといえますね」

また鎌本さんはそのスニーカーブーム関して、独自の見解を示すようにこう続ける。
「1992年頃の、『ナイキ』の『ダンク HI』や『エアジョーダン1』などのヴィンテージモデルが流行った時代が“第1次スニーカーブーム”といわれていて、『エアマックス狩り』などの社会現象を起こした『エア マックス95』が流行った時代が“第2次スニーカーブーム”といわれています。
ですが、自分の親世代までも『エア マックス95』の存在を知っていたと考えると、その裾野はかなり広がっていたはず。ヴィンテージの『ダンク HI』や『エアジョーダン1』はファッション好きの小さなコミュニティで巻き起こっていたブームなので、マスまで広がったことを鑑みると、“第1次スニーカーブーム”は『エア マックス95』から始まったと考えてもいいと思います。
まさに日本のスニーカーブームを創り出したのは、このモデルといっても過言ではないですね」
一足のランニングシューズから、日本のスニーカーカルチャーが生まれていったのだ。
「1992年頃の、『ナイキ』の『ダンク HI』や『エアジョーダン1』などのヴィンテージモデルが流行った時代が“第1次スニーカーブーム”といわれていて、『エアマックス狩り』などの社会現象を起こした『エア マックス95』が流行った時代が“第2次スニーカーブーム”といわれています。
ですが、自分の親世代までも『エア マックス95』の存在を知っていたと考えると、その裾野はかなり広がっていたはず。ヴィンテージの『ダンク HI』や『エアジョーダン1』はファッション好きの小さなコミュニティで巻き起こっていたブームなので、マスまで広がったことを鑑みると、“第1次スニーカーブーム”は『エア マックス95』から始まったと考えてもいいと思います。
まさに日本のスニーカーブームを創り出したのは、このモデルといっても過言ではないですね」
一足のランニングシューズから、日本のスニーカーカルチャーが生まれていったのだ。
イエローグラデの“ビッグバブル”が復刻!?
今年は「エア マックス95」が生まれて30周年となる。アニバーサリーイヤーだけに復刻も期待される。その状況について鎌本さんはこう語ってくれた。
「今年は周年記念なので、人気のイエローグラデでヒールのエアバッグが大きくなった通称“ビッグバブル”が発売されるとのことです。もうすでに渋谷の“Blue-room”という古着屋でゲリラ販売されたという情報もありますね」
やはり、今年はイエローグラデの復刻があるようだが、その争奪戦は必至の様子。
最後に「エアマックス95」の魅力を聞くと、鎌本さんはこう答えてくれた。
やはり、今年はイエローグラデの復刻があるようだが、その争奪戦は必至の様子。
最後に「エアマックス95」の魅力を聞くと、鎌本さんはこう答えてくれた。

「実は『エア マックス95』はブームが過ぎたあと、その人気は急速に低下しました。97年に復刻された際はまだその人気ぶりは健在でしたが、復刻を重ねるごとにその熱量は下がっていき、2010年代には若者が欲しいと思えるスニーカーではなく、復刻したら当時の人気を知るミドル世代が喜ぶモデルとなっていました。
ですが、2019年ごろにニューヨークに行った際に、高感度なショップのスタッフや街行くお洒落な人がこの『エア マックス95』を履いていたのです。そういった影響もあり、昨今では人気が復権して、今の世代の若者も憧れるモデルとして定着してきています。
ですが、2019年ごろにニューヨークに行った際に、高感度なショップのスタッフや街行くお洒落な人がこの『エア マックス95』を履いていたのです。そういった影響もあり、昨今では人気が復権して、今の世代の若者も憧れるモデルとして定着してきています。


自分的な位置づけですが、『エア マックス95』はもはや『エアジョーダン1』や『エアフォース1』のような永久定番となりつつあるのではないかと感じています。3月26日の“Air Max Day(エア マックス デー)”で、どんな盛り上がりを見せるか楽しみですね」
日本のスニーカーカルチャーを生んだ『エアマックス95』。そのモデルや歴史、ルーツを知れば、これから踏み出す一歩の重みも変わってくるだろう。
本日は待望の“エア マックス デー”。
思い入れのある『エア マックス95』を履いて一日を過ごすのも乙なものだ。
日本のスニーカーカルチャーを生んだ『エアマックス95』。そのモデルや歴史、ルーツを知れば、これから踏み出す一歩の重みも変わってくるだろう。
本日は待望の“エア マックス デー”。
思い入れのある『エア マックス95』を履いて一日を過ごすのも乙なものだ。
PROFILE

鎌本勝茂(かまもと かつしげ)
SKIT代表
1978年青森県生まれ。高校卒業と同時に上京し、スニーカーショップでの販売経験を積み、2001年にSKIT1号店を吉祥寺にオープン。スニーカーに関する豊富な知識と業界屈指の目利き力で、ショップには多くのスニーカーファンが訪れる。さらに映画『スニーカーヘッズ』にも出演するなど、その動向は海外のスニーカーヘッズからも注目されている。現在は吉祥寺の他、大阪、仙台、福岡にも出店する。

スニーカーショップSKIT 東京・吉祥寺店
東京都武蔵野市吉祥寺南町1-18-1 D-ASSET吉祥寺1F
TEL:0422-47-6671
営業時間:11:00~19:00
https://www.k-skit.com/
Photo by Hiroyuki “Lily” Suzuki(STUDIO LOG)
Text by Yasuyuki Ushijima(NO-TECH)

















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