JA/EN

AI検索

関連ハッシュタグ

Articles

一粒が紡ぐ、伝統とトレンド──トーホービーズがつなぐビーズカルチャーの未来

2025.11.07
手仕事の温もりと、ファッションの最前線をつなぐ小さな輝き――ビーズ。その可能性を追い続けてきたのが、広島に本社を構える老舗メーカー・トーホービーズである。昭和26年の創業以来、国内外のデザイナーや職人から愛され、いまや世界各国のビーズアーティストたちを支える存在となっている。
大量生産やトレンドの変化が加速するなかでも、「一粒のビーズに込められた美しさ」を守り続ける姿勢は変わらない。近年では、アパレル産業やアーティストとの協業、若手クリエイター支援など、ビーズカルチャーの新たな可能性を拓く活動にも積極的だ。
今回は、トーホービーズの代表・山仲巌さんに、伝統のものづくりと現代のビーズ刺繍カルチャーの接点、そしてこれからの未来について話を伺った。

PROFILE

山仲 巌(やまなか いわお)

トーホー株式会社 代表取締役

戦前から続くビーズの歴史と、トーホービーズの歩み

手芸ブームで再び注目を集めるグラスビーズの世界。昔も今も、量販店では欠かせない定番アイテムであり、一粒一粒から生まれる創作は、多彩な表現の舞台を広げている。私たちが日常で目にするグラスビーズの生産を手がけてきたトーホービーズは、どのような歴史を歩んできたのだろうか。
「第2次世界大戦が始まる前のころまでは、グラスビーズを使う職人さんがたくさんいたんです。ただ、戦争が始まるとビーズの需要はすっかりなくなってしまいました。戦後の少し落ち着いたころ、私の祖父や数社が改めて立ち上がり、もう一度ビーズづくりを始めたのが最初のきっかけですね」
昭和30年台の創業者の写真
「終戦後、世の中が少しずつ明るくなって、徐々にファッションの需要が増えていくなかで、私たちも動き出しました。戦前のグラスビーズづくりは“家内制手工業”のような形で、さまざまな工程をそれぞれの職人さんが自宅で担っていたんです。グラスビーズの製造にはいくつもの工程があるので、まさに分業体制で生産していました。
それを一つの工場にまとめて、工業製品として安定的に生産しようという取り組みを始めたのが、1950年代の前半ごろです。私自身は戦前の現場を見たことはありませんが、昔のビーズは、ほとんどが手づくりに近いものでした」
昭和40年代の社員メンバーの写真
戦前の日本では、まだドレスのような洋装が一般的ではなく、グラスビーズの多くは和装の帯締めや草履の装飾、ビーズバッグなどに使われていた。トーホービーズはそうした需要に応え、職人たちの手仕事を支える素材メーカーとしてビーズを供給していた。
しかし、時代が進むにつれて日本のグラスビーズ産業は大きな転換期を迎える。昭和30年代後半になると、国内の服飾に携わる職人が急速に減少し、生産拠点も海外へと広がっていった。
「トーホービーズも時代の流れに合わせて、海外の職人さんや工場に向けてグラスビーズを供給するようになりました。昭和30〜40年代には、すでに“海外にグラスビーズを届けるメーカー”としての基盤ができていたと思います。
日本国内で刺繍職人が減っていくなかでも、“世界の刺繍職人とともにビーズをつくる”という形で、私たちは歩みを進めてきました」

一粒に込められた技術──グラスビーズの製造工程

一粒のビーズが完成するまでには、長い工程を経る必要がある。ガラスの原料づくりから始まり、ビーズの形が整うまでの過程は、驚くほどの手間と技術が詰まっている。
「私たちトーホービーズではグラスビーズを製造していますが、その始まりは“ガラスの原料づくり”からなんです。ガラスの主成分は砂になります。これにソーダ灰や石灰石を混ぜ、約20時間かけて高温で溶かしていくことで、ビーズのもととなるガラスができます」
「溶けたガラスは、水あめのようにドロドロとした状態になり、それを細長く引き延ばして“ガラスの管”をつくり、その管をビーズのサイズにカットしていきます。
「ただ、切り出したままのガラスは角が鋭く、そのまま糸を通すとすぐに切れてしまうため、熱を加えて角を丸める“研磨”の工程を経て、ようやく私たちが知っている“ビーズの形”になっていきます」
「その後、洗浄と加熱で艶を出し、仕上げに“二次加工”を行う。こうすることで、ガラスの表面にメタリック調やオーロラ加工といった多彩な表情が生まれるという。
「昔は、工程の一つひとつを別々の職人が担う完全な分業制でしたが、私たちはそれらを一つの工場に集約し、安定した品質で大量に生産できるようにしました。
表面に色をつける“化粧加工”は、私たちの時代になってから生まれた新しい技術です。この技術は、『もっといろんな色や質感が出せるんじゃないか?』という発想から生まれたもので、そこから現在の多彩なビーズの世界が広がっていきました。
トーホービーズの強みは、粒の揃いの良さと仕上がりの美しさです。均一な形だからこそ、アーティストや職人の方々が思い描いたデザインを正確に再現できる。それが、私たちの誇りでもありますね」

ビーズがつなぐ世界 伝統、ファッション、そして未来へ

トーホービーズの製品は、三角形や四角形といった80種類以上の形と、1,000色を超える色展開を誇る。その無数の組み合わせから、想像もつかないほどの品種が生み出されている。その多彩さを支えるにあたって重要なのが、ガラス表面にさまざまな加工を施す“二次加工”の工程である。
たとえばウェディングドレス向けのビーズでは、穴の内側に銀のメッキを施し、まるで鏡のような輝きを生み出している。光を反射するそのビーズは、ドレスの動きに合わせてきらめきを放ち、装飾全体を一段と華やかに見せる。
「ガラスのビーズの穴の中に銀のメッキを施すというのは、簡単に言うと“鏡の加工”をしているんです。鏡は銀でもあります。だからビーズの内側に銀を施すことで、表面から見ると穴の中が鏡のように光って、キラキラと輝くんです。
ただ、銀は経年変化で黒ずんだりするんですよね。イヤリングやピアスがくすんでしまうのと同じで。でも、うちは加工によってできるだけ長く、きれいな状態を保てるように工夫しています」
トーホービーズでは、その出荷分の半分以上をアパレル向けが占める。なかでもヨーロッパのブランドが多く、現地の厳しい品質・環境基準にも常に対応できる体制を整えていると山仲さんは話す。
「日本では手芸チェーンや100円ショップのほか、海外ではアメリカやヨーロッパ、アジアのクラフトチェーンにも展開しており、特に中国の需要はすごく伸びています。ハンドメイド人気の高まりを受け、世界中のクラフトショップでうちの商品が並んでいるのを見ると、本当にうれしくなりますね」
世界中の人と人をつなぐビーズは、過去から現在、そして未来へと連なっている。ビーズの歴史を紐解くと、それは遥か昔、太古の時代にまで遡る。
「ビーズは、10万年ほど前から存在していたと言われているんです。最初のビーズは、卵の殻や貝殻に穴を開けて、ひもでぶら下げたものだったそうです。なぜそんなことをしたのかというと、“仲間の印”だったからです。
家族やコミュニティの一員であることを示すための飾りで、人間の進化の中で“仲間を意識する”ことは、生き残るうえで重要でした。強い個体が孤立するより、助け合う仲間がいる方が種の繁栄につながったのです。
ビーズをつくったから仲間を意識したのか、仲間を意識したからビーズをつくったのか、どちらが先かはわからない。けれど、ビーズが人類の進化の原点に関わっていたのは確かだと思うんです。
また、“ビーズ(beads)”という言葉も興味深く、英語の“bead”はもともと“祈る”“願う”という意味から生まれた言葉です。今でも、仏教の数珠(じゅず)やキリスト教のロザリオといった宗教的なアイテムには、穴があいて連なったビーズが使われていますよね。
祈りや願いというのは、“みんなが幸せでありたい”“一緒に生きていきたい”という共通の気持ちの表れでもある。そう考えると、ビーズというのは太古の昔から、そして今も変わらずに人と人とをつなぐ象徴のように思います」
祈りと信頼の道具として生まれ、装飾として発展し、表現の媒体として広がったビーズ。トーホービーズはその伝統を守りながら、現代のデザインやアート、世界中の手仕事文化に寄り添っている。過去と現在、そして未来──ビーズはいつの時代も、その小さな粒に大きな温もりを宿し、人と世界をつなぐ存在として光を放ち続ける。

Text by Tajimax

Tags

この記事はいかがでしたか?

シェアリンクをコピーしました

Related Articles

Related Database