1995年に誕生し、スニーカー史に残る名作中の名作である「ナイキ エア マックス95」。その独創的なデザインとカラーリングは世界中に衝撃を与えた。現在も絶大な支持を集めている同モデルが今年、30周年を迎えた。この特別なモデルの歴史や誕生秘話、そしてその魅力を、「
スニーカーショップSKIT」の代表である鎌本勝茂さんに伺った。
著名人の着用で店頭から姿を消した「エア マックス95」
日本のスニーカーシーンを激変させた「エア マックス95」。「ナイキ」のエアシリーズで初めて前足部のエアまで可視化されたモデルだ。どんなコンセプトで生まれたシューズだったのだろうか。鎌本さんはこう語る。
通称“イエローグラデ”の「エア マックス95」。同モデルを象徴するネオンイエローのグラデーションが人気。こちらは2020年復刻モデル。44,000円(税込)「デザイナーは当時入社4年目というまだ若手だったセルジオ・ロザーノです。人体解剖学の本からインスピレーションを受け、人の皮膚や筋肉、肋骨をイメージしてデザインされたそうです。
これまでヒールだけだったビジブルエアは、このモデルから前足部まで可視化できるようになった。グラデーションカラーは人体の構造にインスピレーションを受けている実は発売当初は日本でもそこまで人気はなく、ランニングカテゴリーなので、高校の陸上部員がトレーニング用に履いていたのを見かけました。エアが搭載されているのでクッショニングはいいのですが、サイドに縫い目が多いことから本格使用するには耐久性に問題があったらしいです。
ただ街のスケーターたちはトレンドをキャッチするのが早かったので、このモデルを履いている人もチラホラいました。
そこから日本で人気が出たのは三ツ矢サイダーのポスターでの“イチロー”や、ドコモのポケベルのCMでの“広末涼子“、そしてファッション雑誌でお笑い芸人の“ロンドンブーツ1号2号”が履いたことがきっかけでしたね」
スマホやインターネットが普及していない1990年代当時は、テレビや雑誌がもっとも有力な情報源だった。また1996年の正月に発売された『週刊朝日』新春特別号の表紙で“木村拓哉 ”が「エア マックス95」のレッドを履いた影響で、1996年の年明けから、いきなり「エア マックス95」が店頭から消えたという逸話も残っている。