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【リレーコラム】『手と指、マニキュア 身体に内蔵されたテクノロジーと呪術』(岩渕貞太)

PROFILE|プロフィール
岩渕貞太(いわぶちていた)
岩渕貞太(いわぶちていた)

振付家・ダンサー
玉川大学で演劇を専攻、平行して、日本舞踊と舞踏も学ぶ。2007年より2015年まで、故・室伏鴻の舞踏公演に出演、今日に及ぶ深い影響を受ける。2005年より、「身体の構造」「空間や音楽と身体の相互作用」に着目した作品を創りはじめる。2010年から、大谷能生や蓮沼執太などの音楽家と共に、身体と音楽の関係性をめぐる共同作業を公演。2012年、横浜ダンスコレクションEX2012にて、『Hetero』(共同振付:関かおり)が若手振付家のための在日フランス大使館賞受賞、フランス国立現代舞踊センター(CNDC)に滞在。自身のメソッドとして、舞踏や武術をベースに日本人の身体と感性を生かし、生物学・脳科学等から触発された表現方法論「網状身体」開発。玉川大学と桜美林大学で非常勤講師を務める。DaBYレジデンスアーティスト。
Photo by Sakiko Nomura

生まれて初めてのマニキュア

2020年8月、生まれて初めて自分の爪にマニキュアを塗った。手を洗うとき、物を取るとき、人に何か渡すとき、パソコンのキーボードを打つとき、ふと爪が視界に入るたびに自分のものであることを一瞬忘れて他人のような手にハッと驚く。誰の手なのか確かめるように指先同士を組んず解れつ絡ませたり、すり合わせたりしながら惚れ惚れと見つめてしまう。このハッとする美しい爪を持った指を愛でる。40代男性の血管が浮き出た、骨張った手、毛の生えた指先に濡れたように赤く光る爪。美しくもグロテスクな指。
漫画家の荒木飛呂彦はあるインタビューの中で、取材旅行先のイタリアで彫刻を見たときに感じたことを語っていた。イタリア彫刻の造形の美しさ、強さへの感動についてで、「手の形を見れば自ずと身体の全体像がわかる、手の形が全身の形を導いている」というような話だったと思う。『ジョジョの奇妙な冒険』第4部の最後の敵となる吉良吉影は女性の手首から先だけを愛し、手元に残し一緒に生活をする殺人鬼だ。彼は「手」という一部から存在の全体像を感じ想像上の理想的な女性を新たに作り出して愛でていたのかもしれない。「手」は身体の一部にすぎないが、全身の存在を十分に喚起させる部位だ。

手指からの変身

手や指先は私自身に大きな影響を与える。たとえば幽霊のように指先をだらりと下げて指先から手首まで順番に力を抜いていくと、身体全体がしょんぼりとして力が入らなくなっていく。身体の輪郭も内臓の存在感もうっすらと半透明になる。当たり前だが、顔には表情がある。同じように手にも表情がある。仏像は顔にも増して手の表情が豊かだ。軽く目を瞑り左右の掌を軽く合わせ手の内の肉の厚みを味わう。そしてそっと離す。そこには仏の顔のように静かに微笑む手の表情がある。気づけば顔や全身が静かに微笑んでいる。また怒りを感じたとき自分の指先、想像の爪を猫のように伸ばし、いつでも引っ掻けるように指と肘を少し曲げて構えてみる。自然と足の指が地面を掴み、眉間や鼻筋が縮まって牙が出るように唇が捲れ、身も心も攻撃態勢になる。指先、手は私を幽霊にも仏にも、猫にも変身させてくれる。

手の感応と官能

手は物を感応させる。物に対して何も思うことなく、粗雑に扱うとき、物はただの物体としてそこにある。しかし、柔らかな仏の手でコップやペン、本など身近にあるものを触ってみると物の質感が変容する。その重み、軽み、温度が滑らかに立ち現れ、その物自体の肌理が細やかに柔らかく変容する。物を大切に扱う手が、その物を大切な物に変化させていく。表面を吸いつけ、指先は舌が肌を這うように滑っていく。そのような手で物を触っていると物の奥行きに触れていく感触になる。私の体温が物に移っていき、物の温度が私に移ってくる。段々とお互いの温度は近づいていき、2人の境界線が曖昧になる。大切な物を扱う柔らかな手で表面を撫でさすり、愛撫するとき、その表面だけでなく物の内奥に触れている。もちろん思い入れのある大切な物は初めからそのような手つきで触れるが、思い入れがなくても、大切と思っていなくても、手の表情が自分自身を変え、物の手触りを変え、物と私の関係を変える。物と私の身体の境界線が溶け出し、私の思いが物に流れ込んでいき、物の質感が身体に流れ込んでくる。人との触れ合いもまた甘く官能的であり危険な場だ。人や動物などを触っているとき、私たちは互いの身体やその奥にあるものを食べ合って交換(交歓)している。

マニキュアと踊り

再び、初めて自分の指にマニキュアを塗ったときのことを思い返す。トイレに入りペーパーを取ろうとした瞬間に目に入ってきた、赤く光る美しい爪。美しく、そしてグロテスクな指先。私の指ではない美しい他者の指先が突如目の前に現れる驚きと官能。自分が男性であることが液状化し、自分自身を混乱させる。我にかえりトイレを出る。トイレを出たあともマニキュアを施したこの美しい指先は、扉を開けたり、食器を洗ったりする生活の中で爪先を傷つけないよう、それに似つかわしい繊細で柔らかな、時に凛とした強さを持った動きを私に要求してくる。爪を見つめ、掌をくるくると翻し、軽く指を折り曲げ、クネクネと動かし自分の手の感触を確かめ、味わう。人差し指で、小指で薬指で空気の間を縫いとる。小指や薬指はこそばゆく細かな振動を感じとる触覚となって空気の間を踊り始める。腕を撫で、首を摩り、顔を覆う。自分で自分を食べるウロボロス。気がつけば掌だけでなく全身の表情が変わり、景色が甘く湿り気を帯びてくる。観客のいない、自分のためだけに踊られる官能的なダンス。爪が身体を変容させる呪術。
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