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平成のヒットブランド・アルバローザがカリスマで唯一無二のブランドだった理由

2024.12.24
アルバローザに対してどのようなイメージがあるだろうか?
アルバローザは、ファッション誌だけではなく、さまざまなメディアで話題になったブランドだ。特に、90年代後半からは、ギャルの憧れのブランドとしてファッション誌やメディアで特集を組まれていた。
しかし、ビジネスとして絶好調にも関わらず、ブランド本来とのイメージがかけ離れたことを理由に2005年には全店舗が閉店。
そんなアルバローザは、創業からどのような歴史を歩んできたのだろうか?そして、本来どのようなブランドだったのか。
今回は、株式会社アルバローザ 代表取締役社長の加藤るみ氏にお話を伺った。

PROFILE

加藤 るみ(かとう るみ)

株式会社アルバローザ 代表取締役社長

「加藤商店」から誕生

アルバローザは、1975年に加藤保(後の株式会社アルバローザ会長)が設立したブランドである。それ以前、加藤氏は「カトー」という前身ブランドを手掛けていた。
「1970年の日本繊維新聞の特集記事によると、株式会社加藤商店のカトーというブランドは、服飾アクセサリー部門から出発して、1967年には婦人服の方にも進出したようです。
『カトー』は夏物の嗜好が非常に強い傾向があるということが書かれていました。当時からリゾートや海を意識する商品づくりだったのかもしれません」
この時に企業戦略として築き上げられた「カトーポリシー」がある。
「『カトーポリシー』は、基本ブランドイメージを崩さなければ、どんな冒険でもやらせるという企業姿勢や、デザイナー・イコール・マーチャンダイザーという当時では進歩的な考え方です。
商品づくりの根底に流れているのは、女性らしさを表現するということで、いくらボーイッシュなカジュアル物でも、女性らしさ、品の良さを失わない商品づくりをしていました。
また、色についても、流行色や他にない色を探すのではなく、カトー・カラーをそのまま通していることが、逆に新鮮に見えていたようです。
このポリシーは、すべてアルバローザへと引き継がれていきました」
そして、1975年に新しいブランドとして『アルバローザ』を立ち上げる。
「アルバローザの社名は、イタリア人女性でキャビンアテンダントの方のお名前からとりました。“バラ色の夜明け”というイタリア語です。
この美しい名前にふさわしい素敵な作品を作って、近い将来世界に通じるブランドになるよう頑張りたいという思いが込められていました」
当初から、アルバローザは明確なブランドコンセプトを持っていた。

Healthy like sunshine
Sexy like sunset
Fresh like sea breeze
And above all
Fun like flash back
-ヘルシーであり、セクシーであり、新鮮であること。そしてすべてが楽しいものである-

「1990年のカタログにも掲載されているこの言葉が、アルバローザのコンセプトワードです。
清々しくて健康的な朝の時間も、女性らしくオシャレをして過ごす夜の時間も、潮風を浴びて活動的に楽しむ時間も、アルバローザが共にある。
アルバローザの商品づくりのベースには、夏が好きで、海が好きで、陽気なリゾートが好きなHealthyでSexyな一人の女性のライフスタイルが一貫して流れています。
このコンセプトを軸に、海とパラダイスをイメージし、ホテルやショッピングの際にも着られるなど、リゾート地のさまざまなシチュエーションでのスタイルを提案してきました」

時代が求めるニーズとすべてが噛み合った90年代

意外にも、アルバローザは創業時から5年ほどは洋服を作っておらず、しばらくは雑貨が中心だったという。
しかし、80年代前半から、次第に洋服も扱うようになり、それに伴って業務内容の改革をし始めた。
「当時は、まだ小さなブランドだったのですが、お取引先とブランドの価値を毀損しない商売をしていきたいということで、割と早い段階で卸先は絞り込ませていただききました。
今思えば生意気だったとは思うのですが、結局は最後まで、その時から続いている卸先さんと商売をしていたので、信頼関係が築けていたと思います」
この正規取扱店との信頼関係は、後の偽造品対策にもなったという。
「正規取扱店」で販売された商品のみが、アルバローザが責任を持ってお届けしている商品と言い切れたからだ。
その後、アルバローザは1985年に横浜相鉄ジョイナスに初めての直営店をオープンし、1987年には商標を登録。
「横浜相鉄ジョイナス店」2001年5月24日 リニューアルオープン時の写真。1985年に最初の直営店としてオープンしたジョイナス店は、最後まで約5坪の小さなお店
同じく平成を代表とする「me Jane」ともアルバローザは深い関係があったという。
「SHIBUYA109に店舗を構えていたセレクトショップ『me Jane』は、昔からお取引をさせていただいていたお店です。
以前は『サヤ』という店名でしたが、1990年に店名を『me Jane』 に変え、リニューアルしました。
その時に、アルバローザの商品をメインで扱う店舗にしてくださったのです。太コールのショートパンツを、サンプル展示だけで予約販売したところ、1,800枚の受注があったと、当時のバイヤーさんが仰っています。
今でも、アルバローザのショップが109にあったと思われている方がいらっしゃいますが、109にあったのは、正規取扱店の『me Jane』さんです」
1991年にはアルバローザの象徴とも言える、ハイビスカスプリントが誕生。1992年には最初のブランケットコートが登場した。
「ブランケットコート」『TRUE BLUE―1993年WINTER RESORT COLLECTION』より。ブランケットコートは1992年に誕生してから2005年まで、秋冬の定番の商品
1996年には、マルイ横浜東口店がオープンし、この店舗から、イエロー×ホワイトのストライプのショッパーが使われるようになる。
「ショッパー」1996年9月20日マルイ横浜東口店オープン時に登場
また、同年にはSHIBUYA109が全館リニューアルオープン。
SHIBUYA109は、それまでの地味だったイメージを覆し、女子高生をターゲットにした人気ファッションビルへと変貌を遂げた。
1998年にマルイシティ渋谷にアルバローザがオープンしたのは、筆者と同世代ならば記憶にある人も多いと思う。
「マルイシティ渋谷店」2002年4月13日 移設オープン時の写真。2002年から南美布さんのDJによるオリジナル店頭BGMを流していた
まさに90年代のアルバローザは、時代の流行とタイミングのすべてが噛み合った。
しかし、その人気が高まるとともに、今度はアルバローザが意図しない形で勝手なイメージがひとり歩きしていくようになった。

メディアが作ってしまったアルバローザのイメージと偽造品問題

アルバローザは80年代の『Fine』から90年代の『JJ』へとメディア展開を広げ、1991年の『JJ』アンケートではシャネル、D.K.N.Y.に次ぐ「カッコイイ」ブランド3位に選ばれた。
1992年には、『JJ』誌上で「パラダイスガール」というネーミングを打ち出したが、この言葉は「パラギャル」と独自解釈され、本来のブランドイメージとは異なる形で普及していった。
「パラダイスガールという言葉は、1年も経たないうちに世の中で『パラギャル』と訳されるようになり、他の雑誌媒体でも本来と異なったイメージで使われるようになっていきました。そこで卸先にも、貸し出しの際は媒体と内容、イメージに注意するようお願いし、会社としても広報露出を絞ることにしました」
90年代後半に入ってもメディア露出制限の姿勢は変わらず、『egg』『Ranzuki』などのギャル雑誌へのリースは行わなかったが、無断で特集やプレゼント企画が組まれることが多々あった。
アルバローザのブランドイメージを変えてしまったもうひとつの要因が偽造品問題だ。
「『JJ』で注目されたこともあり、アルバローザの名前やお店も多くの方に知っていただけるようになった頃から、オリジナルプリント柄を真似してくるメーカーが増えました。
さらに、90年代後半になると、織ネームと紙タグを偽造し、ロゴをプリントした韓国製の偽造品が大量に市場に出回りました」
偽造品トレーナー。織ネームとタグが偽造されている。このデザインは正規品には無い
2004年時点で正規取扱店70店舗に対し、確認された偽造品取扱店は173店舗に上った。
   
「世の中の大きな潮流の中に、アルバローザはあえて入っていきませんでした。
ファッションショーをやるわけでもなく、カタログは顧客の方にだけお渡しする程度、ネット販売もしていませんでした。
リゾートで着る服を渋谷のコミュニティーに提案したのはアルバローザではありません。ただ、ブランドが醸し出す元気さや自由さ、希少性やハイビスカスマークが彼女たちに受け入れられたことを、批判的には捉えていません」

アルバローザのものづくり、ハンドメイドのプリント

アルバローザのものづくりの理念について、加藤さんは次のように語る。
「アルバローザのものづくりのポリシーは、加藤会長からブランドを受け継いだ市川社長になっても変わっていません。
デザイナーはイメージから外れることがなければ、製作に思い切ってコストをかけてもいい方針でした。基本的にメイド・イン・ジャパンで、コストがかかっても質の高い生産をしてきたと思っています」
アルバローザの代表的な商品でもあるプリントは、毎シーズン、何柄も展開していた。そのオリジナルプリントは手捺染という手法で刷られ、シルクスクリーンの絵刷りは930種類以上残っているという。
「プリントや色の出し方は相当こだわっていました。
コストを抑えるためには、1版の中をグラデーションにして色数が増えているように見せるやり方もあるのですが、アルバローザは一色、一色、すべての色を版に起こしてプリントしていました。色の数だけ版を作るので12版や13版は当たり前でした。
また、柄の途中にリピートの繋ぎ線が入らないように、コストがかかっても大きな版を作りました。
工場も本当にアルバローザの姿勢をよく分かってくれていたので、色の出し方や色を置いていく順番など、すべてにこだわってくれていました。
そして、そういう工場さんの苦労を、ショップのスタッフにも見せて、商品の大切さとアルバローザの姿勢を理解させていました」
『VACANCES―1999年SPRING COLLECTION』カタログ: ハンドプリントパレオのカタログ。「NoaNoa」:ポリネシア語で「甘い香り」
「ブランケットコートストーリー」『ハイビスカス新聞Vol.7―A&W 2003』より。出来上がるまでに何人もの職人の手を経て作り上げられるブランケットコートのストーリーを『ハイビスカス新聞』で特集
現在、アルバローザは、InstagramとHPページを運営している。
「ここでは、正式なアルバローザのアーカイブを紹介したいという思いがあります。
また、どのような人たちがアルバローザに関わってくれてブランドが出来上がっていたのか、日本のものづくりはどうだったのかなどのインタビューも含めて、アーカイブを残さなければいけないと思って運営しています。
ネットでは画像を紹介するだけですが、『ハイビスカス新聞』だけは、当時のものを国立国会図書館で閲覧することができます」
『ハイビスカス新聞Vol.6-Summer 2003』 スタイリングブックであると同時に、アルバローザが考えていること、ブランドスタートからこだわり続けていること…アルバローザのスピリットをお客様にきちんとした文章で伝えたいという気持ちから『ハイビスカス新聞』Vol.1(2001年)~Vol.10(2005年)を発刊。 直営店・FC店にて100円で販売し、その売り上げを海洋環境保護活動のために寄付した
昨今は平成リバイバルが注目されている。そんななか、アルバローザとコラボレーションをしたい企業も多いはずだ。コラボレーションについては、どのように思っているのだろうか。
「アルバローザというブランドをきちんと理解してくれて、クリエイトしてくれる方とであればコラボレーションをしたいと思います。
アルバローザのオリジナルプリント柄を使って新しい価値を生んでくれるような取り組みにも期待します。
また、現在、商品を作ってくださっていた会社や職人さんたちがどんどん減っていっています。
日本のものづくりの技術を残すような取り組みにも協力したいですし、日本の伝統技術の中でアルバローザのプリント柄が生かされる、そういう話を頂けたらうれしいです」

ヘッダーキャプション:アルバローザのロゴ

Text by Tajimax

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