

Articles
一澤信三郎氏が語る、120年守り続ける職人のかばんづくり
京都、河原町からもほど近い一角に暖簾を掲げた一軒のかばん店「一澤信三郎帆布」。創業からおよそ120年を超えて、天然素材の帆布を使ったかばんを作り続けてきた老舗だ。
軽量な化学繊維のバッグがあふれる現代において、なぜ彼らは手間のかかる昔ながらの製法にこだわり、京都の1店舗のみで商いを続けるのか。
代表取締役社長である一澤信三郎氏への取材から、時代に流されないものづくりの哲学と、長く愛される「育てる道具」の本質を明らかにする。
PROFILE
一澤 信三郎(いちざわ しんざぶろう)
株式会社一澤信三郎帆布 代表取締役社長
「時代に遅れ続ける」をモットーに、自社の工房で上質な帆布素材を使い、職人たちと120年前の創業当時と変わらない丁寧なものづくりを続けている。京都で作って京都で売ることにこだわり、お客様の顔の見える商いを大切にしている。1949年生まれ。
始まりは職人の「道具袋」。ミシンと出会った120年前
一澤信三郎帆布は、日本の近代化とともに始まった。鎖国が終わり、外国から新しい文物が伝わってきた時代。先祖がたまたま出会ったミシンを仕事にしたのがすべての始まりだった。当時、一般庶民が風呂敷で荷物を運んでいた頃、彼らが作っていたのは職人や商売人のための「働くかばん」だ。使い方が荒っぽくても耐えられるよう、丈夫な素材と丁寧な縫製を心がけた。その実用本位のものづくり精神は、今も変わらずブランドの根幹を成している。
「初めは大工さんとか左官屋さんとか、そういう人らのための道具袋やな。元々の需要とは。今は違いますよ、お客さんはほとんど一般の人」

職人のための道具袋が、時代の移ろいとともに形や色を増やし、やがて一般の人々にも広まっていった。一澤信三郎帆布は、人々の暮らしに寄り添いながらその歴史を紡いできたのである。
なぜ「帆布」なのか、天然繊維が育む“その人だけのもの”
軽量で高機能な化学繊維のバッグが市場を席巻する現代においても、一澤信三郎帆布は綿や麻といった天然繊維の帆布が生活にもっとも近い素材だと考えている。「化学繊維のシャツ着たりしてるより、麻やら綿のシャツ着た方が気持ちもええでしょ、着てて。だからやっぱり、生活に近いっていうことで、綿や麻帆布にこだわり続けてんねん」

_%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%B3%E9%BA%BB.jpg?w=672&fm=webp)
信三郎さんが語るように、天然繊維には化学繊維にはない自然な温もりと心地よさがある。化学繊維のかばんは、完成したときが一番見た目が綺麗である一方、帆布のかばんは使うほどに味わいを増していく。
「使うほどにね、その経年変化っていうのかな、優化していくね。色があせたりとか、ちょっとクタクタしてきたり。そうやって使うてくれはる人のものになっていく。せやからみなさんに愛着持ってもらえる」
新品のときよりも、使い込んだ後の方が愛おしさが増す。それは、かばんが単なる「モノ」ではなく、持ち主の歴史を刻んだ「その人だけの道具」へと育っていくからに他ならない。この価値観こそ、一澤信三郎帆布が世代を超えて愛される理由のひとつだろう。

デザイナーはいない、顧客と職人で育てるかばん
一澤信三郎帆布には、新製品を考案する専属のデザイナーがいない。では、次々と生まれる多彩なかばんは、一体誰がデザインしているのか。その答えは、顧客と職人の中にある。京都の店舗で顧客と直接対話するなかで、さまざまな要望が寄せられる。「哺乳瓶と着替えが入るかばんはないか」「スマホが収納できるポケットがあったら便利」。そうした声が、新しいかばんづくりのヒントになるのだ。


「デザイナーいうても、専属っていうのはおらんな。お客さんとか、うちの職人とか社員がデザイナーやな」
もちろん顧客だけでなく、日々ものづくりに励む職人たちもまた、重要なデザイナーだ。長年帆布に触れるなかで得た知見やひらめきから、新しい形のプロトタイプが生まれることもある。

最近では、信三郎氏自身が散歩中に見かけた椿の花から着想を得て、新しい柄物のトートバッグを考案したという。顧客との対話や職人の発想と同じように、京都で営まれる日々の暮らしもまた、ものづくりを支える大切な源泉となっている。

マニュアルも廃番もない、職人への信頼が生む「ものづくりの楽しさ」
約70人の職人が働く工房では、今も100年前のミシンが現役で活躍している。コンピューターミシンを使えば大量生産できて効率は上がるが、それでは決まったものしか作れない。汎用性が高く、自由な発想を形にできる昔ながらのミシンこそ、彼らのものづくりに不可欠なのだ。驚くべきことに、工房には製造マニュアルが存在しない。これは、作り手への深い信頼の証しだ。
「最終的に間違いのない製品ができあがるんやったら、その過程の作り方は、本人たちが知恵を出して工夫したらええ。その通り作れって言うたら楽は楽やけど、おもろないやろ。人間ってそんなもんやないからな」
マニュアルに縛られず、自ら考え、工夫する余地があるからこそ、作り手は「ものづくりの楽しさ」を実感できる。それが職人たちの定着率の高さにも繋がっているのだろう。定年もなければ、出産後に復帰する人も多いという。
さらに、一澤信三郎帆布には「廃番」という概念がない。店頭に並ばなくなった製品も、いつでも作れる現役の製品だ。そのため、製品の型は増え続ける一方。この少量多品種の生産スタイルもまた、職人に多様な仕事を提供し、ものづくりの醍醐味を支えている。

「布包」に込めた遊び心。かばんを伝える、しるし
一澤信三郎帆布のシンボルともいえるのが、革へんの「鞄」ではなく、布へんの「布包」という漢字。これは、革ではなく布でかばんを作る自分たちの仕事を表すために作られた、遊び心あふれる造語だ。店の暖簾に書かれている「布包」の文字は、放送作家や作詞家として知られる故・永六輔氏が手がけたものだという。ブランドの歴史と人との縁が、小さなディテールにも息づいている。
一澤信三郎帆布のかばんには、3種の異なるラベルが付けられている。古い型のかばんのネームタグには、店の住所が記されている。これも、宣伝媒体がなかった時代に、修理や新たな注文の際に顧客が店を訪ねられるようにという配慮から始まった名残だ。ブランドロゴというよりも、「製造責任の証し」なのである。

「時代に遅れ続ける」ことで、先頭に立つ
国内外から多くの人が訪れるにもかかわらず、一澤信三郎帆布は京都の1店舗だけで営業を続ける。その理由は、「製造直売」という創業以来の姿勢を貫くためだ。自分たちで作ったものを、自分たちの手で顧客に届ける。そのシンプルな商いの姿勢が、品質と信頼の礎となっている。
「自分とこで作って自分とこで売ってたら、一番間違いないし、安心できるやろ」
この直接的な関係性があるからこそ、細やかな修理対応や、企業や美術館からの別注品の依頼にも柔軟に応えることができるのだ。
そしてこの大量生産・大量消費の時代に、彼らはあえて非効率な道を選ぶ。信三郎さんは自社のスタイルを「時代に遅れ続けている」と表現する。
「そやけど時代に遅れ続けてるとね、時々先頭になることがあるって言われるんや」
時代を追いかけるのではなく、自分たちの信じる道を愚直に進む。そのブレない姿勢が、結果的に他にはない独自の価値を生み出し、人々を惹きつけているのだ。
一澤信三郎氏が見つめる「ものづくりの哲学」
「これからどうありたいか」という問いに、信三郎氏は「なるようにしかならへん」と穏やかに答えた。未来を壮大に語ることはしないが、その言葉にはこれまで守り抜いてきたものづくりへの静かな自信が滲む。「作ってる人間に、ものを作ってるっていう満足感がないとあかんしな」
作り手の喜びが、使い手の愛着を生む。このシンプルな循環こそが、一澤信三郎帆布の変わらぬ魅力源泉だ。ものづくりを愛する職人たちがいる限り、この工房のミシンの音は、次の100年も鳴り響き続けるだろう。
Text by Maho Ueda(altair inc.)











