日本の学生服として広く親しまれてきた「詰襟」。明治の軍服をルーツに持ち、近年では人気漫画『鬼滅の刃』の鬼殺隊の隊服としても注目を集めるなど、時代を超えて愛され続けている。
私たちの青春の象徴でもあったこの服は、一体どのような歴史を歩んできたのだろうか。大正時代から詰襟を作り続ける
菅公学生服株式会社(カンコー)の原田季典さんに、その進化の物語を伺った。
PROFILE|プロフィール
原田 季典(はらだ としのり)
1995年菅公学生服株式会社入社、スクール開発業務を担当。
名古屋・東京の企画職を経て2013年学生工学研究所に所属。
2018 年より営業職を経て、現在構造改革推進室に所属。
なぜ、軍服が学生服になったのか
まず「詰襟」とは、どのような服なのでしょうか。
その名の通り、首のところが詰まった服を指します。原型は諸説ありますが、中世ヨーロッパの『ダブレット』という衣服が進化して立襟がついたものが現在のものと近いです。19世紀頃から日本を含む世界中の軍隊で採用されるようになりました。なぜ各国の軍隊で広く採用されたのでしょうか。
防寒・防護に向いていること、襟に階級章をつけやすいことが挙げられます。さらに日本の場合は、和服が軍艦での活動や銃撃戦には向いていなかったことも大きいですね。銃撃戦の場合、そでが広がっている和服では動きにくく、逆に詰襟は非常に動きやすいんです。
和服では限界があったんですね。
和服は、刀での戦闘には向いているんです。そでが横向きについているので、上下左右に腕を動かせるんですよ。