薄暗い印象だったパリ北東部にぽつりぽつりと新た な明かりが灯り始めている。そのひとつとして今注目されているのが、シャネルが傘下に約40あるアトリエのうち、11をパリ市内19区へ移動させオープンしたLe 19M(ル・ディズヌフ・エム)だ。
北東部にあるパリ19区、および隣接するオーベルビリエといえば、パリに住む人々からすると擦れたイメージのある地域だ。好んでその場所へ行くこともなく、治安も決して良いエリアではない。しかし2024年に迫るパリ五輪を機会に、関連施設などが今までの街並みを塗りつぶすかのように建ち始め、通りを隔てた向こう側とは、再開発前後で別の街と思えるような光景が生まれている。
同時に、オーベルビリエは巨大な繊維問屋街を抱える街でもある。2000年頃から中国系移民の卸業者がこの地に集まりだし、今ではヨーロッパ最大の繊維街が形成されている。労働者階級向けの巨大な団地が立ち並び、「まとめ買いのみ」と張り紙がされた商店がひしめくように軒を連ねる。あわせてアフリカ系の出自を持つ人々も多く暮らし、異国で根を張ってきた彼らの力強さを否応にも感じられるだろう。
それら新旧、整然と雑然がせめぎ合う19区とオーベルビリエとの市境に、ル・ディズヌフ・エムはできた。建物の設計は、マルセイユにあるヨーロッパ地中海博物館も担当した イタリア人建築家リュディ・リチオッティ。高さ24メートル、231の外骨格モジュールで構成され、白い織物が建物全体を覆ったようなデザインだ。それが、至る所にスプレーで落書きされたパリの環状道路ペリフェリックを睥睨(へいげい)するように建っている。
ル・ディズヌフ・エムは「メゾンダール(Maisons d’art)」と呼ばれるシャネルを支える卓越した職人たちが働く工房の集合体である。約600人の職人が2万5,500平方メートルある一つ屋根の下に日々集い、シャネルというファッションおよびラグジュアリー業界でもっとも偉大なブランドを支えている。
ル・ディズヌフ・エムの「19」はシャネルの創始者であるガブリエル・シャネルの誕生日、8月19日の「19」であり、シャネルのラッキーナンバーとされる数字。19区にあるという意味も含まれる。「M」は「メティエ(Métiers:技工)」「モード(Mode:ファッション)」「マン(Main:手)」を表す。
ル・ディズヌフ・エムは、職人たちの仕事場であることに加えて、左翼の地上階には、彼らが披露する職人技との接点を得られる場「ラ・ギャルリー・デュ・ディズヌフ・エム」が設けられている。ここでは「メティエダール(Métiers d’art)」と称されるシャネルを支える職人技の作品を展示する企画展などを開催。職人たちによるワークショップも開かれる。予約制で一般開放されており、これら催しを通じて来館者は職人たちの息吹に触れられるのだ。
加えて飲食スペース「ル・カフェ・デュ・ディズヌフ・エム」もあり、同カフェは文化施設などのクリエーションを専門に担当するフランスのエージェンシー「グラン・キュイジーヌ」とのパートナーシップにより立ち上げられた。グラン・キュイジーヌの創始者であるパトリシア・ムニエとマット・ガレは、アートと美食に焦点を当てた国際シンクタンク「ジェリナス!」を運営していることでも知られている。
実際に館内へ入ってみよう。入り口の荷物チェックを通り抜けると、明るく開放的な空間の中で、ル・ディズヌフ・エムの係員がまず出迎えてくれた。この日担当してくれたのは、ブロンドの髪と薄いエメラルドグリーンの目が美しい小柄な女性、アストリッドさん。荷物を木製のクロークに預けて、ル・ディズヌフ・エムのコンセプトから順に、館内の説明をしてくれた。
ル・ディズヌフ・エムに入居する11のメゾンダールとは、 金銀細工とジュエリー加工の「ゴッサンス」、羽根細工の「ルマリエ」、刺繍とツイードの「ルサージュ」とそのインテリア部門である「ルサージュ・アンテルユール」、刺繍の「アトリエ・モンテックス」とそのインテリア部門の「ステュディオMTX」、帽子の「メゾン・ミッシェル」、靴の「マサロ」、プリーツの「ロニョン」、縫製の「パロマ」、水着およびランジェリーの「エレス」のこと。今回はメティエダールの装飾とデザインに焦点を当てた特別展を見学した(2023年4月16日まで開催)。メゾンダールの中からゴッサンス、ルマリエ、ルサージュ・アンテルユール、ステュディオMTXにフォーカスしたものだ。
ゴッサンスは1950年代からシャネルとコラボレーションしてきた金銀細工メゾンであり、ルマリエは、元々の技術は歴史的にオートクチュールに用いられてきたが、現在では装身具などに門戸を広げている。30年以上にわたり家具や装飾用の手作り刺繍を担ってきたのは、ルサージュ・アンテルユール。そしてステュディオMTXは、2013年にアトリエ・モンテックスにより生み出されたメゾンとして、その刺繍技術をインテリアデザインに応用した工房だ。予約制である ため人がごった返していることもなく、シャネルを支える職人技をじっくりと鑑賞できた。
展示会を見学した後は、館内入口付近のスペースで開かれたワークショップへ。この日はフローリストでありアクセサリーデザイナーでもあるクレール・イセッピさんの手ほどきで、生花を使った指から腕へ巻き付けるタイプの、指輪一体型のブレスレットを2時間かけて作った。これら催しを通して、人々はシャネルが長年育んできた文化と技術、精神に触れるのだ。
古くはモンマルトルからモンパルナスへ。近年ではマレの北方10区から20区へと、時代を経るごとにパリにおける新進芸術の集う場所は動いてきた。文化が集うことで注目され、地価が上がることで次世代の卵たちはより安い場所を求めて動いていく。
ル・ディズヌフ・エムで作った美しく繊細なブレスレットを土産物に、綺麗に整えられた建物から外界に出てみると、道路の向こう側に広がるのはやはりまだ混沌の19区だった。荒い運転で相手の車と衝突し、道の真ん中で互いに怒鳴りあう人々と、異変をかぎつけ急行した警察官。
しかしこのような19区も、ル・ディズヌフ・エムのような施設を核に、今後注目のエリアとしてピークを迎えていくかもしれない。一方で、地区としての求心力が高まることで、新たな文化の初期胎動の場所としては、いずれ至る終焉の道へ歩み始めたともいえる。パリは今日も少しずつ進化している。
ヘッダーキャプション:(C) Le 19M
SHUZUI Yukinobu
愛知県出身、パリ在住
ロンドン大学クイーン・メアリー公共政策学修士修了。東京で雑誌記者、渡仏後は朝日放送(ANN)パリ支局勤務などを経て、現在は『地球の歩き方』フランス特派員。フランス外務省外国人記者証所持。主な取材分野は日仏の比較文化と社会、観光。