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【対談】高野公三子・飯田豊「都市を観察しつづける定点観測、そこでの考現学」

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メディア研究者である立命館大学産業社会学部准教授・飯田豊氏とお送りする特集企画「都市とメディアの過去/現在/未来」。今回は、株式会社パルコが運営するメディア『ACROSS』編集長の高野公三子氏をお迎えし、都市とメディア環境の変化、都市を観察する方法としての考現学について、飯田氏自らインタビューを行いました。
東京のストリートを生きる若者を観察しつづけてきた高野氏が、現在の都市文化に何を思うのか、都市とメディアをめぐる多様な対話をお届けします。
PROFILE|プロフィール
高野公三子

(株)パルコ『ACROSS』編集長


パルコのファッション&カルチャーのシンクタンク「ACROSS」の代表。社内および関連会社、ならびに外部企業等からのリサーチや共同研究、コンサルティング業務などを行なっている。編集室の近著に『ストリートファッション1980−2020定点観測40年の記録』(PARCO出版)。共著としては、『ファッションは語りはじめた~現代日本のファッション批評』(フィルムアート社)、『ジャパニーズデザイナー』(ダイヤモンド社)他。昭和女子大学、文化学園大学院講師。

PROFILE|プロフィール
飯田豊

立命館大学産業社会学部准教授。専門はメディア論、メディア技術史、文化社会学。1979年、広島県生まれ。東京大学大学院 学際情報学府 博士課程 単位取得退学。著書に『テレビが見世物だったころ:初期テレビジョンの考古学』(青弓社、2016年)、共著に『メディア論』(放送大学教育振興会、2018年)、編著に『メディア技術史:デジタル社会の系譜と行方[改訂版]』(北樹出版、2017年)、共編著に『現代文化への社会学:90年代と「いま」を比較する』(北樹出版、2018年)、『現代メディア・イベント論:パブリック・ビューイングからゲーム実況まで』(勁草書房、2017年)などがある。

「定点観測」から見えてくる、都市の変化

定点観測のはじまり

高野ストリートファッションのマーケティング調査である「定点観測」は、1980年の8月に第1回目が始まりました。『ACROSS(アクロス)』の前身である『月刊パルコレポート』を見ると、1970年代には「ポップアイ」というスナップがありました。当時は街角のおしゃれスナップに近く、写真は全身の場合も足元だけの場合もあるのですが、街に浮上していたファッションを撮っていました。1970~80年代の雑誌は、大胆なエディトリアルデザインが出てきた時期です。この企画は外部の方が入り、地味でお硬いマーケティングの雑誌のなかで、そのページだけは紙媒体ならではの面白いレイアウトになっていました。
こういった前史があり1980年8月に定点観測を行ったのは、1973年にパルコが渋谷にでき、若者が池袋や新宿ではなく渋谷に集まるという現象が確かにあったからです。定点観測の目的は、売り上げなどの結果の分析ではない「先を読むマーケティング」をするために、路上で最先端と思われる若者に話を聞くというものでした。つまり、街に若者がたくさん集まり、そこに詰まっている多様な情報を取得しようとしたというわけです。
1980年代は、渋谷と原宿両方にスポットがあたっていましたが、若者と都市はずっと密接な関係にありました。2000年過ぎたあたりからは、街の情報の核にあるストリートの主役が幅広い年齢層に変わったといえると思います。
それ以降は、必ずしも都心部にいる人達が最先端とも限らなくなりました。アフター・インターネットとしてスマホが9割以上浸透した2010年代くらいから、今あるものと過去に露出したものがミックスすることにより、時間軸がかなり見えにくくなってきましたね。街からトレンドを見るというのは、ずっと観察しつづけていないとわからなくなる現象になっています。主役となる年齢層が変わったこと、また地域性にも変化が生じたことで、定点観測が始まった頃のストリートとは根本的に変わってきていると感じています。

人が集まる「場」の変化

高野かつては確実に路上が集まる場所であったし、商業施設も集まる場所として強固に魅力的なものとしてあったと思います。表参道でのフリーマーケットや歩行者天国など「そこに行けばみんながいる」という場所があり、そういった場所性はクラブカルチャーでも強く作用し、国内外に繋がる独特のネットワーク型コミュニティが形成されていました。
また、単に集まるということではなく、人と人の繋がりを場所がつくるということも重要です。2000年代以降、必ずしも街そのもの、施設そのもの、箱そのものというよりは、あらかじめ人がネットワークで繋がり、ある場所に集まるという状況になったのかなと思います。それが確実に言えるようになったのは、mixiが登場した時期だと思いますね。
こういったメディア環境の変化が都市風景に与えた変化という点に関しては、スナップに集約して言うと、1990年代には紙媒体とストリートが等価になったと言われています。『東京ストリートニュース』のように見開きに100人くらい掲載されていて、街そのものが誌面となっているものです。それ以前は、おしゃれな人や編集者の視点が優位だったのですが、1990年代後半にはそれがフラットになっていきます。
2000年代前半はブログが一気に浸透して、そこでスナップを見せることが流行しました。『ACROSS』がオンライン化したのも、2000年です。調べてみると、当時は本当にスナップとそれをウェブで公開するブロガーが急増した時期です。また、そういった各地のスナップを地元メディアが取り上げ、ストリートスナップという行為が、普通の人が社会を撮るという行為として浸透したのが2000年代前半くらいかなと思います。ここでは、撮る/撮られる主体がフラットになっています。
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