PROFILE|プロフィール
小内光(おさないひかり)
アーティスト/詩人。1993年新潟県出身。微細な触覚や嗅覚の中へ分け入る表現を通して、人の身体に訪れる寿命と思い出の永続性の関係を扱う。主な著作に「300年のヒント」「わたしの虹色の手足、わたしの虹色の楽器」「宝石の展望台から湖が見える」がある。
駅前のスーパーから重たいビニール袋を2つ3つ腕に下げて、玄関に入ると荷物を床に置いた次には全部の服を脱ぐ。その足でシャワーを浴びてからやっと部屋に入る。ベッドと本棚、洋服のラックでもういっぱいの5畳の部屋。スマートフォンをアルコール入りのウェットティッシュで拭きあげ、ドアノブも拭き、買ってきた納豆のパッケージも拭き、袋に捨てて密閉しまた玄関に出す。
今書いていても、それを自発的にやっていたなんて信じられない。わたしは本来、こと衛生に関しては非常におおらかな人間なのだ。このあたりのどこかで広がっているという目に見えないウイルスと、久しぶりの一人暮らしの居心地の悪さとが大きな不安となって心に居座り、自分の皮膚や息すらも信用できなくなってわたしは考えうる全ての行いでそれを取り除こうとしていた。
仕事をやめ、諸事情により大急ぎで決めた阿佐ケ谷駅徒歩10分ワンルームの部屋は、本当なら仮住まいのつもりだった。どうせ寝に帰るだけなのだからどんなでもいいだろうと、大して内見もしないまま好きなジェラート屋さんの近くにあった敷金礼金なしの安アパートを選んだ。こんなはずではなかった、と正直この引っ越しを少し後悔しはじめていた。ベッドの上しか座る場所のないアパートの一室で、特にすべきことのないまま迎えた2020年の春のことは、人生の中でも特別な時間だったとはっきり言える。
友人たちはまだ仕事がリモートになるかならないかの瀬戸際でとても忙しそうにしていた。家の中にじっとしていることが苦手で、本を読んだりメールの返信をするだけでもいちいち駅前の喫茶店に出かけていたわたしは、突然全ての場所という場所から締め出されたような気分になった。引っ越してすぐの部屋というのはそもそも居心地の悪いものだ。長い旅行から帰ってきたときのように、何か恐ろしいものが忍び込んでいないか注意深く観察しながら、ぬいぐるみやポストカードやマグカップの力を借りて少しずつ自分の「家」にしていく。ヤドカリの引っ越しを思い出す。ヤドカリも引っ越したてはしばらく背中の居心地の悪い、どこかに帰りたいような寂しい思いをするだろうか。小さな部屋の中では自分の体だけが悪目立ちする。ガリバーの冒険で、横たわったガリバーの体に植物の棘のような小さな剣が無数に刺さっているシーン。わたしはこんな状況が始まってすぐにこんこんと沸き続ける時間にやられてしまって、ただひたすらに眠り続けた。