PROFILE|プロフィール
清川 航(きよかわ わたる)
1990年福岡県久留米市生まれ。
久留米絣研究舎代表。
90年代Yohji Yamamoto、レディースコレクションラインでパタンナーとして10年以上在籍し、30年以上服をつくり続けるデザイナー瀬上貴司とともに型・生地・縫製の3つの柱による伝統工芸とファッションの融合、「布芸」を提案している。
久留米絣研究舎HP
会社Instagram
「日本の服飾史概観」
日本の服装の歴史を振り返ると、中国、大陸からの文化として輸入されたものが、奈良~平安にかけて貴族階級を中心に
今の着物に近い、美しい色彩とやわらかく穏やかな造形が成立していった。
織豊の時期には、甲冑という実用的なミリタリー文化も興り、そこには戦乱の狂気にも関わらず、奇想的なユーモアも垣間見ることができる。
また同時に、重要なキーワードである侘び寂び的感性の文化や着物、
真逆の金屏風のような力強く、絢爛な文化も醸成されてきた。
江戸の安定期の頃には、大衆への広まり、合理化、一定程度の産業化された着物、普段着が馴染むようになる。
そして幕末頃、日本に「洋服」が着物、和服に対する概念として入ってきた。
まずは男性の軍事関連の仕事着に始まり、
鹿鳴館で男性がスーツを、女性がドレスを着る文化が興った。
そこから淡々と、普段着にも洋服が定着していくことになる。
着物は、イベントでのみ、限定的に着られる民族衣装になった。
「西洋の近現代の服飾史概観」
西洋では、貴族の専売特許だったドレスが、一般大衆にも広がり
新しい富裕層のためのオートクチュールや、ドレスの近代化(ワンピース)が進んだ。そしてオートクチュールの考え方から、
世の中のニーズにより産業化され、プレタポルテ(既製服)が主流になった。
この頃からChanel、SAINT LAURENT、Balenciaga、Diorなどのいわゆるハイブランドを筆頭に、パリコレクションが形成されていく。
世界の歴史、情勢の中で、ヨーロッパ発の文化こそが、世界中で最も尊いものとして受け入れられてきた中で、その舞台で日本人が奇想的なアヴァンギャルド(コンセプチュアルな)衝撃を与えた出来事も起こった。
服は常に、人の「新しいものが欲しい」という欲望に応えてきた。
「現代の服飾」
ユニクロがあり、安価で定番の間違えのない服が手に入るようになった。
海外通販など、IT分野における様々な技術の進歩により、
一定程度の欲望と見た目を担保することができる服は、誰でも気軽に手に入れられる時代になった。そしていわゆるハイブランドは、消費主義的なプロモーション、SNSを使ったバブル的な熱狂を生み出して神格化する時代。
ファッション以外でも、膨大な量の娯楽が台頭してきた。
では、新しい服、これからの服はどんなものを創造できるだろうか。
「着物からKIRUMONOへ」
そこで私たちは、
日本の着物地を使用した洋服洋服のテクノロジー(バイヤス使い、曲線、立体的な造形)を取り入れ、
そこに日本の着物の普遍的な解釈(直線、平面的)を意識的に織り交ぜ、服を創っている。
例えば、上記を体現しているのがマリアドレスというアイテムになる。
幅約38cmの着物生地をらせん状に取り、裾に多くの分量を出しながら、上に向かって細く、特にウエスト上半身あたりを、バイアスにとり、頭から抜けていく線を女性が美しく見えるラインで切っていくように構成されている。
そのシルエットの中で、
人体の骨格、筋肉の位置に沿い、視覚的にウエストが細く見える線をいれながら、立体をだすカーブ同士の縫合を考え、配置されている。
ワンピースを非常にヨーロッパ的な解釈で構成しつつ、日本の質素な(正し上質な)生地で組み上げることで、和の雰囲気を醸した唯一のドレスに仕立てている。
また、逆に直線、平面的なという着物のキーワードを用いつつワンピースを再構築したものが
キルモノワンピースである。
着物と同じように、すべてのパーツを直線で取り、尚且つちょうど1反分を使用して組み上げ、収集率(生地から実際に使う部分の比率)もほぼ100%近く になる。
着物を現代的に解釈して、新しい形を与える。
先述のマリアドレスとは対照的に、人体から離れていくワンピースであり、直線のみでどうやって人体を覆っていくのかを考える。
普通、直線的なパターンであれば組み上がる服も平面的なものになるが、箱のような立体裁断から発想している為、平面パターンでは構成し得ない形に組み上げている。
このように、どこかで忘れられてきた着物の文化と
現代の洋服とがどのように影響し合い、進化できるのかを模索している。
「私たちの重要性は何か」
世界では、着物ではなく洋服文化が受け入れられている。
そして、服は常に人の新しいものが欲しい欲望に応えてきた。
そこに日本人が奇想的なアヴァンギャルド(コンセプチュアルな)という解答で応えてきた歴史もある。私たちの解答は、世界中で受け入れられた洋服文化の中に、日本の着物、文化、歴史の文脈を引用して、現代に繋げること。
それが応えになり得るのかは、わからない。
しかし、どこかで忘れられてきたものを思い出させる人たちが、
現れないといけないのかもしれない。