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【リレーコラム】着ることで知る 衣服を通して体験する歴史の中の女性たちのアティチュード(須藤絢乃)

2025.03.25

PROFILE

須藤 絢乃(すどう あやの)

1986年大阪生まれ。2011年京都市立芸術大学大学院修士課程修了。在学中にフランス国立高等美術学校に留学。2009年京都市立芸術大学作品展市長賞受賞。ミオ写真奨励賞2010にて、森村泰昌より審査員特別賞受賞。<幻影 Gespenster>でキヤノン写真新世紀2014グランプリ受賞。主な作品に、性別にとらわれない理想の姿に変装した自身や友人を写した〈Metamorphose〉(2011年- )、実在する行方不明の女の子に扮して撮影したセルフポートレート<幻影 Gespenster>(2013-14年)、他人が自分のように見えてくる現象をモチーフにした<面影 Autoscopy>(2015年)などがある。1839當代藝廊(台湾、2011年)にて初個展開催後、国内外の展覧会やアートフェアに出展。主な展覧会に「写真都市―ウィリアム・クラインと22世紀を生きる写真家たち」展(21_21 design sight、東京、2018年)「愛について アジアン・コンテンポラリー」展(東京都写真美術館、東京、2018年)VITA MACHINICALIS(MEM、東京、2022年)、MISSING(MEM、東京、2024年)他多数。
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2024年11月から12月22日まで開催したセルフポートレートを用いた個展「MISSING」では、ひとたびメディアなどでよく見られるようになり、誰もが知る存在となりながら、その時代が去ると同時に姿を消していった近代日本の女性たちに焦点を合わせ、現代に残された不鮮明な写真たちから彼女たちの姿を再現し、私自らが彼女たちになりきるという手法をとったセルフポートレートの写真を発表した。
今回の作品で取り上げた人物の中から同時代に生きた2人の女性を紹介しながら、彼女たちの纏った衣服から感じ取った、当時の時代背景や女性の立場などを考察した。
須藤絢乃《鬼が栖むか蛇が栖むか》より
一人目は、川島芳子。本名は愛新覚羅顯㺭(あいしんかくらけんし)。ラストエンペラーで知られる中国最後の帝国、清王朝を率いた皇族、愛新覚羅一族の末裔である。清王朝末期から満州建国に至る動乱の中、幼い彼女は政略的に日本の権力者に養子に出される。その養父による性的虐待のトラウマから、ピストル自殺未遂を起こすが、その後彼女は長い髪を刈り上げ、男性として生きる決断をする。「いつかはジャンヌ・ダルクのように陣頭に立って、失われた満洲朝の地を回復してみたい」(川島芳子著『動乱の蔭に』P.40)と彼女は私製の軍服に身を包み、日本統治の満州において日本軍公認の自警団を率いた。戦後には中華民国によって戦犯として処刑されるが、処刑は非公開で行われ、芳子自身は身代わりを立て、その後中国本土に行方を眩まし、寿命を全うしたという説がある。
現在でもよく耳にする「男装の麗人」という表現は、作家である村松梢風が川島芳子をモチーフにした小説の作中で使用したのが初とされる。
私はかねてより、彼女の稀有な人生をセルフポートレートという手法で作品にしたいと望んでいた。私の祖父母は日本統治下の満州に出兵していたため、父は終戦の前年である1944年に満州で生まれている。幸いなことに父方の家族は終戦前に日本に帰国し、私は今ここにいるのだが、父の生まれた満州に、今は存在しない国として私は長らく興味を持っていた。満州国の歴史について調べているうちに川島芳子という存在に出会ったと記憶している。
まずは、彼女が身につけていた、「私製の軍服」をどのようにして手に入れるか、というところから始まる。戦時中の軍服とは、出征する男性のために作られたものであるから、当時実際に使われていた軍服は多くあれど、戦闘目的で女性のために作られた軍服というものは存在しないと言っていいだろう。というわけで、一から仕立てることが必然となってくる。日々、軍服をフルオーダーで仕立てることができるテーラーを探すなか、たまたま見つけたのが止水工坊という中国に工房を持つ軍装に特化したテーラーだ。現代の日本国内のいわゆる軍装マニアにも一目置かれているこのテーラーが、川島芳子式の軍服を過去に再現していたという写真をSNSで見つけ、連絡をとり、注文に漕ぎつけた。頭まわりのサイズから、足首の周囲に至るまで、身体の隅々の寸法を採り、1年ほどかけて出来上がったのが写真にある川島芳子の軍装である。身体の立体に沿ったうっとりするほどの美しいパターンと丁寧な縫製、そして上質な生地にため息が漏れた。以前にも他の作品のためにフルオーダーで衣装を依頼した経験があるが、オーダーメイドの衣服の美しさをひとたび知ると、中毒になりそうだと思った。
ただ、衣装ができただけでは、軍装の道は終わらなかった。ようやく海を渡って届いたオーダーメイドの軍服に袖を通す。精密に採寸して制作したはずなのに、どうもおかしい。身体が、服に埋もれるような感覚に陥った。頭から脚まで、コルセットのように身体にピッタリと作られたその軍服を着こなすには、鍛えられた体幹が必要だとすぐに気づいた。私はそれから数ヶ月、軍医が開発したというピラティスに通いながら、毎日体幹を鍛える運動を欠かさなかった。その身体づくりを経て、最後は彼女と同じように髪を刈り上げ、この撮影に挑んだ。軍服、とりわけ正装におけるそれは、戦闘を目的とした実用性以前に、「美しく魅せる」ためのプロパガンダ的要素が大きいと、今回の制作で身体を通して体験した。勇ましく見せるための洗練されたデザインに、それを身につけるための理想の身体を求められたナショナリズムの社会背景が浮かび上がった。そうした情勢の中、清王朝復活を夢見た男装の軍人、愛新覚羅の血を引く川島芳子の存在はいかに特殊なものであったろうか。日本軍はそれを絶好のプロパガンダとして利用した。戦時中、川島芳子のブロマイドが発売されたり、レコードデビューまでしたという。彼女の姿を見て断髪した女性も現れた。彼女の男装という倒錯した美意識のみならず、性別を超越し、戦地、そして男性社会に乗り込んでいったその姿に女性たちは心を震わせたであろうと、私は想像する。
須藤絢乃《鬼が栖むか蛇が栖むか》より
そしてもう一人は阿部定という名の、第2次世界大戦開戦直前の国民が夢中になってその犯行と逃亡を追った猟奇殺人犯である。
現代においても強烈な印象を与える彼女にまつわる様々な資料の中でも、とりわけ異様な存在感を放つ、逮捕時の写真がある。刑事たちに取り囲まれた彼女が、カメラに向かってにっこりと笑っている。芸妓・娼妓としてその半生を生き、愛人の男性を自らの手で殺め、彼の局部を切り取り懐に隠しながら逃亡した彼女の、その不気味な笑顔を見て、当時の流行であった「エログロナンセンス」とよばれた文学作品とクロスオーバーするような気味の悪さと興奮を国民たちが覚えたであろうことは想像に難くない。時は二・二六事件とほぼ重なり、戒厳令下の只中に、閃光の如く現れたこのファム・ファタル(魔性の女)は当時から現代に至るまで様々な表現者の感性を刺激し、彼女をモチーフにした数々の芸術作品が生み出されてきた。私が彼女のことを強く意識したのも、時折足を運ぶ大衆演劇の芝居で上演されていた「阿部定」という作品がきっかけであった。
私は一目見たときから阿部定の笑顔が脳裏から離れず、自分の作品を通して、あの異様さがどこから来るのかを考察したい気持ちに駆られた。この一枚の写真を調べるなかで、いくつかの興味深いことが浮かび上がった。彼女は犯行後、上野の古着屋で鼠色の鱗飛模様の着物を買い、着替えている。汚れた着物を着替える目的と変装のためという理由があっただろうが、私が着目したのは、彼女が選んだ着物の柄である。「鱗模様」というのは能や歌舞伎において蛇の化け物や女の情念を表す模様である。舞台上で一見可憐なお姫様に見える登場人物も、衣装のどこかにその鱗模様があれば、蛇性の女である印だ。阿部定が知ってか知らずか、この模様を選んだことに私は彼女の天性のファム・ファタル的感性を感じざるを得なかった。そしてその鼠色の鱗飛模様の着物というのが、逮捕時のあの有名な写真で阿部定が着用しているものと思われる。私は念の為、AIアプリによるモノクロ写真のカラー化でわずかに紫がかった鼠色の着物であると確認し、長い時間をかけて薄紫がかった鼠色の単で模様が入った着物を探し当て、実際に手に入れることができた。帯に関しては、白に近い銀の光沢があるものに見えたので、そのイメージに近いものを手に入れた。いざその組み合わせを見てみると、いかにも蛇のような不気味な美しさが際立つ。 
実際手に入れた着物
また、捕らわれた阿部定の写真をよく観察すると帯締めをつけていない。彼女の逮捕時の写真は2種類あって、帯締めをつけて比較的綺麗に着付けた姿のものと、襟元が乱れ、帯締めのない緩んだ帯が巻かれた姿のものだ。供述で自殺を仄めかしていたとされているので、これはおそらく、自殺防止のために取り調べの際に回収されたのでないかと私は考える。通常、着物の着付けにおいての帯締めは、帯を巻く最後の仕上げに必要なものなので、撮影に協力いただいた着付け師の透羽子氏に帯締めを必要としない帯の締め方を考証してもらった。撮影に際して、阿部定の写真を参考にしながら実際に彼女の襟の装いに合わせて着ると、背中が肩甲骨あたりまで露出するほど襟が抜かれていることがわかった。阿部定の逮捕時の写真は、正面のものしか見ることができないが、実際着ることで、現代の模範的な着付けに比べて、異様に映るその装いの真の姿を知ることができた。なるほど、色街に長くいた人の着こなしという感じで、その着心地は着物が身体にとろけるように沿い、想像以上に心地よく動きやすい。現代において着物を着る際は、正装の場面が多いのもあり、補正をしっかり身体に巻き付け、着崩れないようにするため、どうしても息苦しくなるものだが、阿部定の着こなしは、まるで湯上がりに羽織るローブのようにしなやかで、こんなに自然で、かつ婀娜っぽい着方ができるものなら、私も日常に着物を取り入れてみたいと憧れさえも抱いた。装いで身体のフォルムを作るという観点では、着心地も、着たときの背筋が伸びる感じも含め、川島芳子の軍装のほうが今の着物の正装に近いような気がした。
こうして川島芳子と阿部定、彼女たち2人が当時着ていた衣服を考証し、実際にそれを身に纏うことで、資料を読むだけでは知り得ない多くのことを知ることができた。このプロジェクトに取り掛かる際、衣装探しが容易でないことが最大の課題であったため、当初は3DCGやAIによる再現も考えたが、現代に生きる私が約1世紀前の衣服を実際に着て体験することで、バーチャルでは得られない多くの情報を得ることができた。着るという体験を通じて、彼女たちがいかに対照的な人生を歩んだのかをより深く考察できたことは、大きな成果であったと言える。
撮影を終え、個展に向けて作品のプリントをしていたときのこと。ほぼ人間の等身大のスケールに印刷されたイメージを眺めると、鏡を見るかのようにリアリティが増してくる。それぞれの撮影は、リサーチや準備も含めて数カ月の期間を隔てて行ったのだが、たまたま並んだ2人のプリントを見て、戦前とはいうものの、この対照的な人生を生きた2人には、果たしてどれくらいの時間の差異があったのだろうという疑問が頭をよぎった。すかさず手元にあったiPhoneでWikipediaを参照する。阿部定は1905年生まれ、川島芳子は1906年生まれ。わずか1年違いの生まれ年で、彼女たちはほぼ同じ時代を生きたことになる。私は彼女たちを隣同士に並べて展示することをその時に決めたのだった。
須藤絢乃 展「MISSING」の展示風景 会期:2024年11月30日(土)-12月22日(日) MEM 恵比寿 東京

ヘッダーキャプション:須藤絢乃《鬼が栖むか蛇が栖むか》より 

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