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【リレーコラム】「強く、セクシー。そして、しなやかなマチュア像」 緑川ミラノが寄り添った“アジア人を美しく”──日出ずる国から始まるコルセットの物語(緑川ミラノ)

2024.11.01

PROFILE

緑川 ミラノ(みどりかわ みらの)

コルセットdesigner、スタイリスト。美と退廃のブランドBaby Doll Tokyoとして1999年から活動中。
コルセットを中心にしたコーデ、エレガントなドレスのスタイリングを提唱する。
レディー・ガガ来日時のライブ衣装、浜崎あゆみ、杉本彩、土屋アンナなどへファッション誌、ライブ、映画、TV出演の衣装提供、デザイン、スタイリングなどを幅広く担当する。
プライベートではロマンスとエロスと刺激を求める夜の探検家でもある。全国のSMバー、スナック巡りなど。隊員ゆるっと募集中。
Instagram

私が一番初めに直接の影響を受けたのは、1990年マドンナのためにジャン=ポール・ゴルチェがデザインした衣装です。コーン・ブラのコルセットのスタイリングを見て、いつかコルセットなどのフェティッシュなアイテムを日常の洋服に取り込んでみたいと思っていました。
当時日本には本格的なコルセットをファッションの一部として扱うお店はなく、私はミス・アントワネットという方との運命的な出会いがあり、ロサンゼルスのVersatile Fashionsというコルセットを作っているアトリエに足繁く通いました。80年代からクラブでフェティッシュなパーティーなどを主催していた有名な方で、彼女が私の「コルセットの師匠」なのです。
ネイルカラーがいつも派手で、自爪で7センチほどあり魔女みたいに曲がっていて、いつも細くキラキラした棒を使い電話をかけるお姿が印象に残っています。
私の好きなコルセットを中心としたスタイルを提案する「美と退廃のセレクトショップ」として2000年に立ち上げたのがBaby Doll Tokyoです。
初めはコルセットを輸入していたのですが、日本人は欧米人と骨格が違ううえに輸入物はサイズも大きいので、ピッタリとフィットせず微妙に浮きが出てしまいます。アメリカではインチ単位でコルセットやコスチュームをつくっているので、5mm単位でものをつくる日本人の感覚からすると大雑把。1cmや2cmの浮きぐらいでは気にならないのですね。
Baby Doll Tokyo原宿館で販売するものも、私自身の着用するコルセットも、自分のサイズに合わせてオーダーメイドで別注していましたが、アトリエに気になる点の調整をお願いしても、話が通じないのです。
それならば……と意を決してオリジナルをつくることになったのです。
お店を始めた頃は、中世の貴婦人の極細なウエストに憧れてほぼ毎日コルセットをつけたまま過ごしていました。ところがコルセット・トレーニングによる締めすぎが原因でリンパの流れが悪くなり、ちょっとした衝撃で骨折や喘息になるなどして体調を崩してしまいました。肋骨の骨折に近いヒビも2度経験があります。
大好きなコルセットを長く身につけることができるようにと、私はより深くコルセットと向き合うようになりました。そこで人体や骨格の構造を勉強して開発したのが、「アジア人を美しく見せる」オリジナルのコルセットだったのです。
当時は海外の市場でも、主に流通していたのは胸までカバーされた「オーバーバスト・コルセット」。
私は骨盤や腰椎を安定させるというコルセットのそもそもの機能にも注目し、くびれが最も美しく補正されるショート丈の「アンダーバスト・コルセット」「ショート・コルセット」を作ることにたどり着きました。

鳴り止まない電話

Baby Doll Tokyoのオープン当時は、コルセットをSMプレイやステージコスチュームとして着ることがほとんどのお客様でした。お店のお客様が求めてくださるのも、フェティッシュやエロスに寄ったコスチューム的なものが中心でした。私自身は日常コーデにもコルセットを取り入れたくて、デイリーな洋服やワンピースにも合わせるスタイリングを提案、お店にいるときもそういうファッションを楽しんでいました。
オリジナルのベルト感覚で着用できるショート・コルセットを開発したことで、スタイリングの幅も大きく広がりました。スタイリストさんが興味を持ってくださるようになり、私のスタイリングがそのままファッション誌に取り上げていただく機会も増えていきました。
2004年から2005年にかけては、お店と私にとって大きな転換期でした。
日本に君臨するスーパースターである浜崎あゆみさんが、ディレクターでありスタイリストの伊藤景さんをはじめ、鈴江さん、USHIKOさんたちの素敵なスタイリングによって、当店のコルセットをファッション誌「VIVI」にて見開きでご着用くださいました。
撮影は日本を代表する写真家、下村一喜 さんです。
モデル:浜崎あゆみ 撮影:下村一喜
メディアに出たとたん3日間ぐらいお店の電話が鳴りっぱなしという状態に。当時は原宿に怪しいアダルトショップができたと近所の方から白い目で見られていました。ポストにはごみを入れられることがあったり、電話で「違法のBAR経営してませんよね?」と問い合わせがあったり。ゴミ出しを少しでも間違えるとすごく怒られてました。とにかく近所の神宮前地元の方が冷たかった記憶があります(笑)。
ところが歌姫である浜崎さんのページ、しかも見開きで私のデザインした深紅のドレスが掲載されてからは、皆さんからの対応がやさしく変わったように感じます。メディアの勢い、一枚の絵の影響力の凄みを肌で感じ取った時でした。
その後も倖田來未さんや安室奈美恵さんがコルセットを衣装やジャケット写真に使ってくださるようになり、いずれも大きな反響をいただきました。
ドラマティックで強く、美のある女性のイメージを表現していた頃で、それに惹かれる方たち、フェティッシュパーティーを嗜む方、ドラァグクイーンから女優やアーティストの方々まで、ジャンルに関係なく私のお店にいらっしゃるようになりました。2005年から2008年は芸能界のお客様が一気に増え、年に1回開催していたパーティーも300人程度から最終的には1,000人規模にまで大きくなったのです。変装してお忍びで来てくださった有名な女優、芸人の方もいましたね。
私が理想としてきたのは「強くてセクシー。そしてしなやかな、マチュアな大人の女性像。」
アイドルや2.5次元のカルチャーとはあまり接点がなかったのですが、今回私にバトンを渡してくださった相沢梨紗さんのように、私のスタイリングに興味を持ってくださる方も現れるようになりとてもうれしく感じています。

時代の空気とチューニングを合わせるように

2000年ごろから注目されるようになったゴシック&ロリータファッションでもコルセットやレースを取り入れたコーディネートが見られるようになり、Baby Doll Tokyoともつながりができるようになりました。もともとロリータ・ファッションのスタイリングはヴィクトリアン調やロココ調を基調にした、Aラインのシルエットが多く見られます。ロリータの少女性にこだわるならば、ふんわりして胴長に見えるスタイルがよいので“くびれ”は必要ないのですが、様式美として美しくシルエットを出し、綺麗に着ようとするとコルセットが生きてきます。ロリータの文化としてとことん少女性を求める方と、ヴィクトリアンやロココの様式美を求める方では、ゴシック&ロリータファッションでも求めるシルエットがまったく違うと私は感じています。
最初はなんとなく「コルセットを着てみたい」という程度のふんわりした思いでお店に来た方が、いろいろ試着しながら私とコミュニケーションを重ねるうちに、本人でも気づいていなかった「自分が求める女性像」に気づいてくださることがあります。一人のお客様に何時間もかけることも多く、それはさながら心理カウンセリングのようでもありました。
新しいトレンドを追うようなことはありませんが、その時々のファッションのトレンドも意識しています。スカート丈の流行はもちろん、「今年は胸が詰まっていて、背中が開いているな」というように、服のディティールやカラーなどに関するトレンドは意識しています。スタイリングをする相手がより輝くようにチューニングを変えていくことで、コスチュームやボンデージファッションなどの枠を超えたスタイリングができるのです。

「スケバン」「セーラー服」。まさかのレディー・ガガの来日衣装をデザイン担当

2010年代になり、レディー・ガガという大きなアイコンのスタイリングに携われるチャンスがやってきました。2010年、ある業界向けのレセプションパーティーで、彼女がシークレットで登場して歌ってくださったのが最初の接点でした。
私がお酒を飲んでいた2mくらい先に全身タイツを着たレディー・ガガが突然現れて歌いだしたのですが、音源を聴いているのかと思うくらい歌がうまく、気迫?オーラがすごくて魂が吹き飛ばされそうになった瞬間を今でも鮮明に覚えています。
その翌年の東日本大震災の後に、お世話になっている某雑誌編集者からのご縁があって、チャリティで来日する彼女のために衣装を提案する機会が巡ってきました。衣装を通じて復興と助け合い、応援の気持ちと願いを込めました。
何事にもめげない女戦士のようなイメージに加えて、日本らしさを表現するために80年代のドラマに出てくる“タフなスケバン”のイメージ。背中には明朝体・漢字で「我我」とカッティングの文字を施したのでした。このひらめきは、私が尊敬するOi-chanという業界の大先輩がX(旧Twitter)でレディー・ガガをこう表現されていて、その印象がキッカケでした。
『SMAP×SMAP』にレディー・ガガが登場した際の衣装
最初はコンペに落ちたと聞いてがっかりしていたところ、直前で担当の方から「ミラノさんのコスチュームに決定しました!」と電話をいただき、半信半疑でドキドキしながら放映時間を待っていました。
TVで「SMAP×SMAP」を観てみると、全身が私のデザインによるものだったので驚きました。その後、ニューヨークのライブの前にも白いセーラー服を着てくださったのです。その後の反響も本当に大きいもので、しばらくの間、お店の対応に追われていました。
彼女と私は世代も近いですし、彼女のビジュアルを決めているニコラ・フォルミケッティさんとも好きな文化が近いのだと思います。狙ってデザインしようと思って出来上がるものではなく、直感的でした。
時代の空気感、そしてその時々の彼女の音楽やファッションなどをチェックしているうちにチューニングが合い、自動的に衣装デザインのイメージのダウンロードが始まるような、不思議な感覚でした。
レディー・ガガの衣装

「強く、セクシー。そして、しなやかなマチュア像」

私はこれまでいろいろなSMクラブ、サロン、バーで働く女王様のスタイリングも手がけてきましたが、そこでも最初はコルセット同様の悩みがありました。ラバーやエナメルのコスチュームは手足が長い方が見栄えがよいですが、日本人の女の子の体格や体型では似合わない方がどうしても出てきます。タイトフィットなコスチュームだけを着ていると、次第に物足りなくもなってきます。
たとえば緊縛の縄が上手で性格も典型的な女王様なのに、ルックスが華奢で小柄なお人形みたいな子を撮影するときなどは、どうやったら女王様の威厳があるように見せられるかを考えながら試行錯誤しました。モデル体型の方でしたらなんでも様になりますが、幼い印象の女性にフェティッシュなコスチュームを着せても女王様らしくは見えません。
そしてそのような場所で働く方はそれなりの指名を取らねばならないというミッションがあります。「どうしたらこの人がもっとセクシーで素敵な女王として見えるだろう? ユニークな内面をどう外見に反映すればいいの……?」と最初は悩むことが多かったのです。
そこで私は、ラバーやエナメルファッションの妖艶さやかっこよさの部分だけをポイントとして取り入れ、そこに柔らかい素材やレースなどを組み合わせて表現するようになりました。それは現在まで変わらない、私のスタイリングの強みになっています。
インスピレーションと情熱だけで始めたファッションの仕事ですが、20年以上経った現在もなお新鮮で、これほどまで長くやってきたという気がしません。フェティッシュなアイテムを日常のファッションの一部に取り入れる女性を目にする機会も、随分多くなりました。

夢にまで見た最高のメンバーでキモノ・コルセットの作品撮影

Instagramなどのテクノロジーが発達し海外の方からの問い合わせも増え、和を意識するようになりました。ある撮影を機に、着付けの先生である土屋眞弓さんとの出逢いがありました。凛とした佇まいと所作の美しい着物姿に一目惚れしてしまい、そのことを考えていると着物に合うコルセットのデザインや構想が直感的に浮かんできました。そこから何かに導かれるようにアイデアが湧き、製作の方々の力をお借りしてなんとかサンプル作りまで辿り着きました。コロナ後の初めての新作、もしかすると世界中の方々がインスタで見るかもしれない……。そんな私の病のような妄想から、モダンでエレガント、大正ロマンの趣きを令和化したイメージ。和洋折衷でBaby Doll Tokyoらしく国内外の方が見て響くようなビジュアル……言葉では浮かびますが、どうやって絵に落とし込めばいいのか悩み抜き、恐れ多くも自分が心の底から最高だと憧れる表現者の方々、空間にオファーさせていただきました。
撮影場所は本物にこだわり、大正時代に建てられた鳩山会館で行いました。歴史ある洋館ならではの重厚感の中、本革のキモノ・コルセットと足袋を装着したモデルの土屋アンナさんは、
谷崎文学に登場しそうなほどのドラマティックなポージングと表情で、さまざまなな女性像を演じてくださいました。撮影中、私はやらねばならないことがたくさんあるのですが、何度も見惚れて手が止まることもあり、夢を見ているようでした。
そんな夢のような一瞬に永遠を感じるようなクリエーションができたのは、写真家の下村一喜さん、着物スタイリングと着付けの土屋眞弓さん、ヘアスタイリングの奈良裕也さん、フラワーアレンジメントの花千代さん、メイクアップのクワハラヒロトさんから沢山のアイデアとテクニックを授けていただいたからです。皆さんのご尽力がなければこの一枚の絵は完成しませんでした。
モデル:土屋アンナ 撮影:下村一喜  ヘア:奈良裕也 メイク:クワハラヒロト

最後に……

ファッションとテクノロジーというお題でバトンがやってきたのですが、なんでもアナログにこなしてきた私には縁が無いテーマかと打ちひしがれていました。
ただ、ここに書いてきた表現や写真がこうしてインターネット上で記事になり、私を知っていただくこと自体がテクノロジーの恩恵ではないかと感じました。
今後もコルセットの文化を通じて始まった緑川ミラノの発信を温かい目で見守っていただければ幸いです。

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