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王道であり頂点のスニーカー 「NIKE AIR FORCE 1(ナイキ エアフォース1)」はなぜここまで人気なのか?
1982年に誕生し、誰もが知る不朽の名作といえる「ナイキ エアフォース1」。その当時としては高い機能性とデザイン性を兼ね備えた同モデルは、バスケットボールシューズの枠を超えて人気を博し、1990年代のヒップホップブームにより、スニーカーを知らない一般層にまでその認知が広がっていった。
現在も絶大な支持を集めている同モデルの歴史や誕生秘話、その魅力やここまでの人気を得るようになった理由を、「スニーカーショップSKIT」の代表である鎌本勝茂さんに伺った。
デザインを手がけたのはブルース・キルゴア氏
もはや不朽の名作ともなっている「エアフォース1」が「ナイキエア」を搭載した初のバスケットボールシューズとして登場したのは1982年のこと。その誕生秘話について鎌本さんはこう語る。
「デザインを手がけたのは、後に『エアジョーダン1』、『エアジョーダン2』をデザインすることとなるブルース・キルゴア氏。彼は『ナイキ』に入社するまで自動車の設備や家電のデザインを手がけていたそうです。
そんな彼が、歴史的なランニングシューズである『テイルウインド』にも採用された『ナイキエア』を搭載したバスケットボールシューズを作るという使命を受け、生み出したのが『エアフォース1』でした」

この「エアフォース1」、実は最初はバスケットボールシューズならではのハイカットモデルのみのラインナップで、それを追う形でローカットモデルが発売されたという。ヒール部分に内蔵されたフルレングスの「ナイキエア」とアウトソールのピボットポイント、フィッティングを高めるためのアンクルストラップなど、当時としては画期的な機能を搭載していた。

「『エアフォース1』は当時の最高級バスケットボールシューズで、『ナイキ』は会社としても大きな成功を収めましたが、次のステップの狙いはその開発事例をどうつなげていくかにあったようで、1982年に誕生してから1985年までの3年間しか販売されず、1986年には『エアフォース2』が発売されます」
大人気だった「エアフォース1」が3年しか販売されなかったことも驚きだが、現在ではその存在すら知る人もまれな「エアフォース2」がリリースされていたことも興味深いところだ。
日本での「エアフォース1」ブームは裏原宿から
「エアフォース1」の進化版である「エアフォース2」が1986年に発売され、それに伴い「エアフォース1」は生産終了となるのだが、ユーザーからの人気は根強く、復活を望む声も多かったという。「エアフォース1」の逸話について鎌本さんはこう続ける。
「新作である『エアフォース2』も人気でしたが、ユーザーからは『エアフォース1』をリクエストする声が多くて、それに応えるべくボルチモア地区の『チャーリー・ルドー・スポーツ』、『ダウンタウン・ロッカールーム』、『シンデレラ・シューズ』という3つのシューズショップが、『ナイキ』本社に『エアフォース1』の再販を直談判したそうです。『ナイキ』側もその申し出を受け、その3店舗のみで『エアフォース1』の再販を決定しました。
再販の噂を聞きつけ、ボルチモアの3ショップには『エアフォース1』を求めるユーザーが殺到したといいます。その3ショップが月ごとに“スウッシュ”の色を変えて発売したのが“カラー オブ ザ マンス”といわれる別注モデルとなり、いわゆる“ショップ別注”のはしりだったといわれているんですよ」
世界中にファンを持つといわれる「エアフォース1」がここまで人気になった理由を鎌本さんはこう考察する。
「アメリカではヒップホップ アーティストのネリーが『エアフォース1』にちなんだ曲である『エア・フォース・ワンズ』を発表し、ヒットチャートに入ったり、ファッションブランドやショップとのコラボモデルが発売されたりするなど、ストリートカルチャーと蜜月な関係を築いていきます。

日本では1990年代後半から2000年代にかけてハイテクスニーカーブームが巻き起こりますが、そのブームのカウンターカルチャーとして、古着好きの間で『エアフォース1』の人気が高まりました。また同時期に藤原ヒロシさんなどの裏原宿界隈の人たちも『エアフォース1』を履くようになり、それが日本でのブーム再燃を呼びました。

一部の人は『エアフォース1』のスネークモデルの発売が、『エアフォース1』の日本での人気を決定づけたと考察しているようですが、僕は裏原宿界隈の人たちが履くようになったことが大きかったと考えています」
その後は日本でもコラボモデルやショップ別注モデルなどが雨後の筍のように多数登場し、ユーザーの購買意欲を高め、その人気を確かなものとしていったのは言うまでもない。
「エアフォース1」は100年後も廃れない!
2017年にはニューヨーク近代美術館(MoMA)の企画展「Items: Is Fashion Modern?(アイテム:ファッションはモダンか?)」で1980年代初頭に発売された「エアフォース1」が3点展示された。この企画展では、20世紀から21世紀にかけて世界に強いインパクトを与えたウエアやアクセサリー111点が取り上げられた。「エアフォース1」がスニーカー業界に与えた影響も計り知れない。その部分に関しても鎌本さんはこう語る。
「ここ20年で一番売れたスニーカーとしても上位にランキングされるのは間違いないと思います。もちろん昨年は『アディダス』の『サンバ』、一昨年は『ナイキ』の『ダンクLo』が人気でしたが、それでも『エアフォース1』だけは長きにわたり安定して売れ続けていると思うので、10年とか20年スパンで見ても売り上げの上位に入ってくるはずです。

若い世代は今、流行りすぎて『ジョーダン1』や『ダンク』を履いているのが恥ずかしく感じるという話も耳にします。でも『エアフォース1』はそういったことを言われたことがない。
ちょうど僕らと同世代の40代の人たちはハイテクスニーカーブームからクラシックモデルの人気まで経験してきているので、流行り廃りではなく、『エアフォース1』をフラットな目線で見ることができるんです。
『エアフォース1』は誰が履いていても恥ずかしくないスニーカーだし、さらに言えば僕らが死んで100年後でも、このモデルは廃れないと思います」
鎌本さんも「エアジョーダン」シリーズ以外で初めて買ったスニーカーが「エアフォース1」だったというから、その分、思い入れも強い。最後に「エアフォース1」の魅力について伺ってみるとこう答えてくれた。

「『エアフォース1』には似たようなカラーリングがたくさんありますが、一部分の色を変えただけで印象ががらりと変わる。その新鮮さが魅力だと思います。素材替えやカラーパターンが進化した『エアフォース1』を見ると、いまだに“カッコいいなぁ”と思ってしまいます。
もちろんマイケル・ジョーダンが好きなので『エアジョーダン』シリーズも好きですけど、シリーズの中にはこれは履かないなというモデルもあります。ただ、『エアフォース1』にはそれがないので、一生履き続けるスニーカーだと思っています」
スニーカーマニアの鎌本さんをして、ここまで言わしめるモデルは他にはない。2年後には生誕45周年を迎えるが、どんなアニバーサリーモデルが登場するか、今から楽しみでならない。
PROFILE

鎌本勝茂(かまもと かつしげ)
SKIT代表
1978年青森県生まれ。高校卒業と同時に上京し、スニーカーショップでの販売経験を積み、2001年にSKIT1号店を吉祥寺にオープン。スニーカーに関する豊富な知識と業界屈指の目利き力で、ショップには多くのスニーカーファンが訪れる。さらに映画『スニーカーヘッズ』にも出演するなど、その動向は海外のスニーカーヘッズからも注目されている。現在は吉祥寺の他、大阪、仙台、福岡にも出店する。

スニーカーショップSKIT 東京・吉祥寺店
東京都武蔵野市吉祥寺南町1-18-1 D-ASSET吉祥寺1F TEL:0422-47-6671 営業時間:11:00~19:00 https://www.k-skit.com/
Photo by Hiroyuki “Lily” Suzuki(StudioLog)
Text by Yasuyuki Ushijima(NO-TECH)
















