2022.10.03

いつも女子たちのそばにいた「ティーン誌」のルーツとは? 雑誌不在の今だからこそ改めて深掘りしてみた

紙の雑誌に勢いがない。出版の世界でやってきた人間にとっては忸怩たる思いだが、特に、もっとも元気があったはずの中高生=ティーンエイジャー向けのファッション情報誌は、もはや絶滅危惧種となりつつある。

スマホに取って替わられたから? 少子化のせい? 外的要因だけではなく、もしかすると雑誌自体の熱量が、救いようのないくらい下がってしまっていたのでは?

 そんな想いを抱きつつ、改めてティーン誌のルーツと、その時代背景を時系列で探ってみた。

ベビーブーム到来、子どもも大人も洋服は家庭で縫うことが多かった

終戦直後、いわゆるベビーブームが訪れ、その親たちに向けた『主婦の友』や『主婦と生活』といった婦人雑誌は非常によく売れていた。

これらの雑誌は衣食住に関する情報を幅広く紹介して好評を博しており、生活情報誌としての色合いが強いものだった。

同時期の1949年には、ファッション誌の草分け的存在である『ドレスメーキング』が創刊される。

この雑誌は他の主婦向け雑誌とは違っていて、日本で初めて服飾デザイナーを本格的に養成する教育機関であったといわれる『ドレスメーカー女学院(現在の杉野学園 ドレスメーカー学院)』の監修のもと、ほぼ全ての服の型紙と作り方が載っているスタイルブック。急速に洋装が浸透した時代の、洋裁ブームを牽引する存在だった。

そのころは洋服が欲しい場合、街の洋品店やデパートに行ってオーダーするか、家庭で手作りをするのが普通。かつては"吊しの服"と呼ばれていた既製服が一般に浸透するのは、1960年代半ば以降のことだ。

そのため当時は雑誌などのファッション記事を見ても、現代のように「気に入った商品を見つけて購入する」ことはできず、「お店にオーダーするときの参考にする」もしくは「自分の家で作る」ことしかできなかったのだ。

画像: 『ドレスメーキングのかわいい子供服』最初期の1963年号と、円熟期の84年号。1991年に廃刊。
『ドレスメーキングのかわいい子供服』最初期の1963年号と、円熟期の84年号。1991年に廃刊。

既製服ブレイク前夜の1962年、子供向けのファッションスタイル誌が誕生

型紙付き・作り方つきのファッション誌として地位を確立した『ドレスメーキング』から派生して、1962年に発刊された季刊誌が『ドレスメーキングのかわいい子供服』(’69年より『ドレスメーキングのかわいいこども服』に改題)である。

タイトルのとおり、紹介しているのは主に子供服だったが、特集によってはティーンエイジャーのモデルや外国人モデルを起用したり、力の入ったファッションシューティングもあり、のちにティーン向け雑誌へ発展していく萌芽のようなものが見て取れる。

画像: 『mc Sister』創刊号は、メイクやヘアも特集、既製服の広告がたっぷり入っていた。35年続いたのち廃刊
『mc Sister』創刊号は、メイクやヘアも特集、既製服の広告がたっぷり入っていた。35年続いたのち廃刊

1966年『mc Sister』創刊、既製服をフルに掲載した新時代の大学生向け雑誌

ヤング向け女性ファッション誌の草分けが1966年に創刊号が発刊された『mc Sister』だ。

"mc"は『MEN'S CLUB』の略であり、当初の内容は大学生向けで、流行していたアイビーや海外のキャンパスライフを紹介。手作りや型紙つきのスタイルはなく、テレビCM放映で絶好調だった『レナウン』の服をたっぷりと掲載するなど、既製服の時代の到来を感じさせるものだった。

また’68年には漫画誌『週刊マーガレット』のお姉さん雑誌として『週刊セブンティーン』も創刊された。こちらはティーンエイジャー向け雑誌ではあるが、漫画や読み物、芸能に関する記事が多く、ファッションを本格的に取り上げているわけではなかった。

画像: 当時競合誌がなかったという、ティーン誌の草分け『ドレスメーキングのジュニアスタイル』創刊号。
当時競合誌がなかったという、ティーン誌の草分け『ドレスメーキングのジュニアスタイル』創刊号。

1970年から女性誌が創刊ラッシュ、中高生のファッションに特化したティーンエイジャー向け雑誌が誕生

既製服が隆盛を極めるなか、1970年の『anan』、’71年の『non-no』、’75年の『JJ』など、20歳前後の大学生からヤングキャリア向けのファッション誌が次々と創刊。

一方で’76年には、『ドレスメーキングのかわいい子ども服』から派生した『ドレスメーキングのジュニアスタイル』が創刊される。

この雑誌は、はっきりと中・高生のためのファッションブックと謳っており、編集後記に"競合誌がない"という記述があることからも、ティーン向けファッション誌のはしりだということができるだろう。

型紙や手作りのノウハウも満載で、既製服ブランドの最新スタイルが見られるうえに、その型紙が載っていて自分で手作りできるという、いいとこ取りの内容だった。

さらに’78年には『ファイン』が創刊。こちらはサーファーのカルチャーやファッションを紹介する雑誌で、読者モデルやおしゃれスナップを載せ始めた、日本初のストリートファッション誌とも言える存在だった。

ちなみに人気の高かったティーン向け雑誌『オリーブ』は’82年の創刊で、後発である。

画像: ’80年、『ドレスメーキングの』が取れて『ジュニアスタイル』となる。“ティーンのファッショナブルマガジン”がコンセプトの通称『ジュニスタ』。
’80年、『ドレスメーキングの』が取れて『ジュニアスタイル』となる。“ティーンのファッショナブルマガジン”がコンセプトの通称『ジュニスタ』。

ティーン誌黎明期の雑誌作り

ティーン誌が誕生したころの雑誌作りは、現在のスタイリストがリース→コーディネート→撮影→返却、という流れとは全く違うプロセスをたどっていた! 『ドレスメーキングのジュニアスタイル』の発刊当時からファッション企画を手がけ、のちに改題した『ジュニー』の副編集長も務めた佐藤惠利子さんに、当時のことを聞いてみた。

PROFILE|プロフィール
佐藤惠利子(さとう えりこ)

ドレスメーカー学院を卒業後、’71年にアパレルに入社。既製服のパタンナーなどを経て、’77年より編集者となる。『ドレスメーキングのジュニアスタイル』には創刊直後より参加、ティーンに寄り添ったファッションページを手がけてきた。

’77年に出版社に入社後、創刊間もない『ドレスメーキングのジュニアスタイル』に配属されたということですが、当時競合誌というのはありましたか?

中高生をターゲットに、スタイルをたくさん載せて型紙を紹介するファッション誌は、他にはなかったと思います。雑誌を作るうえで『mcSister』は意識して見ていましたが、年齢層も雑誌の成り立ちも少し違ったので、競合誌とはちょっと違う感じでしたね。

当時、ティーン向けのファッション記事を作るにあたって、掲載する既製服は豊富にあったのでしょうか?

ティーン向けとなると、今のようにいろいろな服があるわけではなく、既製服を借りるメーカーさんも限られていました。入社した’77年ごろはスタイリストという職業の人がまだいなくて、編集者がすべてメーカーさんとやりとりしながら服を借りに行ってスタイリングを考え、ハイヤーで運んで撮影。原稿も自分たちで書いていました。

『ドレスメーキングのジュニアスタイル』を見ていると、掲載されている服はブランドの既製服なのに、型紙や作り方も載っています。どのように誌面を作っていたのでしょうか?

パターン室という部署が社内にあって、借りてきて撮影した服を渡して、パターンを起こしてもらっていました。もちろん、メーカーさんのほうも承知で貸してくれるわけですが、今考えると面白いですよね! もちろんコンピューターもないので、型紙や造り方などは全て手描きでトレースしていました。

画像: 『ジュニー』と改題されたのは’86年。その後イラスト調のロゴを採用。JUNIEのアルファベットの間には毎号読者へのメッセージが。
『ジュニー』と改題されたのは’86年。その後イラスト調のロゴを採用。JUNIEのアルファベットの間には毎号読者へのメッセージが。

私自身はずっと大人のファッションの世界で働いてきたので、子ども向けの服なんて……という感じで最初はすごくイヤだったんです(笑)。

実際『ドレスメーキングのジュニアスタイル』が他社に先駆けて創刊したころは、まだまだティーン向けのファッション市場は未成熟だったと思います。かわいい服はどこにでも売っているわけではないし、お金もないからなかなか買えない。でもおしゃれをしたいという熱意から、がんばって手作りする。そんな子たちに向けた、教科書的な部分がある雑誌でしたね。

『ドレスメーキングのジュニアスタイル』は、その後’80年に『ジュニアスタイル』、’86年に『ジュニー』と改題して、2005年まで続きましたが、『ジュニー』になった’86年ごろからは競合誌も増えてきて、ティーン誌もちょっとしたブームのようになって。

ちょうど団塊ジュニア世代が中高生になった時期と合致するんですが、そのころになってやっと、ティーンズファッションが確立してきた感があります。

ティーン誌はひときわデリケートな世代に向けて発信していくジャンルです。心や体の悩みもあるし、情報を盲目的に信用してしまう面もある。『ジュニアスタイル』はお堅いところがあると言われていましたが、読者をに対して無責任な情報を発信しないように、ちゃんと悩みに寄り添っていけるようにという思いで作ってきました。

それが読者の熱量と呼応して、ティーン誌を一段上のステージに押し上げたのではないかと思っています。

Text by Mika Kageyama
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