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【対談】冲方丁・遠藤謙「価値観の変化をもたらすための、常識の安心感とラディカルな自由さ」

ロボットや義足の研究者であり、株式会社Xiborg・遠藤謙氏とお送りする特集企画「身体/衣服と機能」。今回は、作家の冲方丁氏をお迎えし、対談を行いました。
共に身体に対する先進的な価値観を持ち、スペキュラティブな提案を作品とプロダクトという異なるアプローチで提示する冲方氏と遠藤氏。そんな両氏が交わした、障がいをめぐるまなざしとテクノロジーの関わり、価値観の変化をもたらすために必要なアプローチまで、多岐にわたる対話をお届けします。
PROFILE|プロフィール
冲方丁

作家
1977年岐阜県生まれ。1996年『黒い季節』で角川スニーカー大賞金賞を受賞しデビュー。2003年『マルドゥック・スクランブル』で日本SF大賞、2010年『天地明察』で吉川英治文学新人賞、本屋大賞、舟橋聖一文学賞、北東文芸賞、2012年『光圀伝』で山田風太郎賞を受賞。ほか『戦の国』『麒麟児』など。

PROFILE|プロフィール
遠藤謙

株式会社Xiborg代表取締役
慶應義塾大学修士課程修了後、渡米。マサチューセッツ工科大学メディアラボバイオメカトロニクスグループにて、人間の身体能力の解析や下腿義足の開発に従事。2012年博士取得。一方、マサチューセッツ工科大学D-labにて講師を勤め、途上国向けの義肢装具に関する講義を担当。現在、ソニーコンピュータサイエンス研究所リサーチャー。ロボット技術を用いた身体能力の拡張に関する研究に携わる。2012年、MITが出版する科学雑誌Technology Reviewが選ぶ35才以下のイノベータ35人(TR35)に選出された。2014年ダボス会議ヤンググローバルリーダー。

障がいをめぐる価値観の現時点

「かわいそう」から、「かっこいい」「ずるい」に

遠藤冲方さんと初めてお会いしたのは、ビックサイトで開催された「攻殻機動隊 ARISE」の関連イベントでしたね。個人的にもっとお話を伺いたいと思い、その後、オフィスに来てくださったんです。テクノロジーをめぐる議論の許容範囲が広いので、僕にとっては自分のテクノロジーの探究範囲を広げてくれている存在です。
冲方私は色々な想像をめぐらせストーリーを抽出していくのですが、生の声に勝るものはないので、実際に人間と向き合っている遠藤さんからお聞きしたことを作品にも反映させていただきました。特に、「足が悪いままだと歩けないけど、義足にしてしまえば走れるかもしれない」と聞いたのがすごく印象的で、人間の価値観に鋭く問いかける一言だったと思います。今でも残っているフレーズで、今、義肢の方がどんな価値観や考えを持っているのか、ぜひ伺っていきたいと思います。
遠藤先日パラリンピックが開催されましたが、おそらく意図的に、今回は障がい者が頑張っていると報道されることが少なかったと思います。もう少し、競技として楽しもうと思う方も増え、見方も変わって来ているなと感じました。今まではチャリティ番組のような障がい者が試練を乗り越える感動ストーリーで、それも僕は否定するつもりはないですが、今回のパラリンピックでは違うことが起こっているなと。
そこにはやはり、テクノロジーが影響を与え、貢献している部分があり、SF作品で語られているような議論を現実が後追いできていると思っています。僕自身は速く走るために脚を切って義足にして出場するのはOKかと問われると違和感はないのですが、それが倫理的に許されているのかと考えると、自分の感覚はずれているのかもしれません。
冲方バスケットボールでしたっけ、出場資格として脚を切らないと問われた方がいたのは。
遠藤そうですね、出場資格がなくなった方がいらっしゃいましたね。
冲方そうしたら、切るという判断には至らなかったのですね。
やっぱり自分の身体の一部という感覚があり、使えないからといって障がい者の方もすぐ捨てられないというか、捨てるという感覚自体、今までの価値観とのせめぎ合いだと思うんですよね。歯はすぐ抜いてしまうじゃないですか、それは本物と見まごうものがパカッとはめられるからで、失った、捨てたという感覚はないでしょうね。
確かに遠藤さんがおっしゃっていたように、障がい者へのまなざしは、ずるい、かっこいいなど、より身近な感じになっているように思います。日本人はかわいそうなものを遠ざける傾向があるので、例えば手足のない子どもが一般の小学校にはなかなかいないのかといったら、他の親御さんがかわいそうだから見たくないということで排除されていったと思うんです。かわいそうとならなくなって、そこから価値観が変わってるんじゃないかと思います。
昔の義足の形状はぼてっとしたもので、昔、近所の喫茶店に毎日来ている片腕のおじさんがいたのですが、やっぱりぼてっとした義手をしていらっしゃって、子どもにとってはやはり怖い印象だったのだろうなと。それが今は義肢義足が洗練されて、「かっこいい」と言われる時代ですからね。心のどこかで自分も欲しい、特に年齢を重ねて歩けなくなったら欲しいと僕は思うんじゃないかと。そのときに僕はどんな価値観を持っているのだろうか、そろそろ脚を変えようかとなるのかは、まだ読めないですね。
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#Wearable Device
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