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2023.02.13

男性ファッションモデルという職業(門傳昌章)

ファッション雑誌をパラパラとめくりながら、最新のファッションアイテムにめどをつける。これだと思って同じ商品を買ってみても、姿見に映る自分の格好はどこか不格好だ。この雑誌のモデルと自分とはなにが違うのだろう。やっぱりモデルは別格だな。

こんな経験をした人は、少なくないはずだ。最新のファッションを華麗に着こなし、人々の憧れの的となる職業。それがファッションモデルといえるだろう。最近では、歌手や芸能人もファッションモデルとして活躍をみせている。

とはいえ、いつからファッションモデルは存在しているのだろう。そもそもファッションモデルは憧れの職業だったのだろうか。そんな疑問から、男性ファッションモデルの研究をされているシドニー大学の門傳昌章さんにお話を伺った。

PROFILE|プロフィール
門傳昌章(もんでん まさふみ)
門傳昌章(もんでん まさふみ)

シドニー大学言語文化研究学部日本研究学科専任講師。シドニー工科大学博士課程を修了。シドニー工科大学デザイン学部ポストドク研究員、西オーストラリア大学社会文化研究学部アジア研究科専任講師を経て、2022年より現職。専門は日本のポピュラー・ファッション・視覚文化と近代文化史であり、マンガ、バレエ、ミュージックビデオ、広告文化、フィギュアスケートなどについての論文多数。主な著書に『Japanese Fashion Cultures: Dress and Gender in Contemporary Japan』(Bloomsbury Academic, 2015) など。

はじめに、これまでのご研究を教えてください。

専門は日本のポピュラーカルチャーです。ファッションや雑誌、ミュージックビデオ、映画などにジェンダーや社会、歴史がどのように反映されているのかを研究しています。

ファッションの研究を始めたきっかけは、文化の国際化に興味があったからです。オーストラリアに限らず、日本のファッションは非常に珍しいもので、たとえばゴスロリに代表されるふりふりな服などを日常に落とし込むのは西洋では考えられないことでした。

また、ファッションに特化した男性雑誌も日本特有のものといえます。オーストラリアでは、せいぜいライフスタイル雑誌くらいでしょうか。その差を見ようとして、研究を始めました。ちょうど私の所属する大学でもファッション学が盛り上がりをみせていたので、その後押しもあったと思います。

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ファッションとジェンダー

ファッションモデルや衣服は、ジェンダーと結びつきが強いものですか。

ファッションは男性性と女性性を区別する役割を持っています。街なかで人とすれ違ったとき、髪型やメイクを含めたファッションで男性/女性を判断していることが多いですよね。

歴史的に見ると、性差がより衣服に反映されていたことがわかります。たとえば、男性は労働、女性は家にいるといった、性役割を強調する時代には、男性は動きやすい格好になり、女性は装飾を過剰に施した動きにくい衣服に身を包むことが良いとされていました。

こうした衣服と女性の結びつきから、ファッションモデルも女性の職業と考えられがちですが、そうとは限りません。

実際にファッションモデルの歴史を紐解くと、最初は男性が担っていたことがわかります。19世紀初頭のイギリスの話ですが、テーラーがスーツを着こなす男性を雇っていました。

日本では、どういった経緯で男性のモデル事務所が設立されたのですか。

1953年に伊東絹子さんがミス・ユニバースで3位になったことは大きな転換点だったと思います。日本人が初めて入賞した世界大会ですね。それによって「ファッションモデル」という職業がクローズアップされます。

もう1つの要因は、50年代初頭に誕生した中原淳一さんによる若者向けのファッションです。この時期にはヨーロッパのハイブランドも日本でショーを開催するようになり、男性のファッションモデルが必要なのではという意識が芽生えていきます。

その結果、1957年にファッションモデルの事務所SOS(ソサエティ オブ スタイル)が設立され、これまで社会的な地位が低かったファッションモデルの改革が行われました。

海外でもそうですが、ファッションモデルは男性にとって好ましくない職業だったんです。すてきな服を着られるという憧れもあったと思いますが、自分の身体を売り物にするという観点から好ましい仕事ではありませんでした。

とはいえ、SOSの尽力もあり、ファッションショーが終わると出待ちのファンに囲まれてサインをねだられるといったエピソードがあるように、ファッションモデルの社会的地位は徐々に高まっていきます。

人種とファッションモデル

どのような人がファッションモデルとして好まれたのですか。

ファッションの潮流と同じで、ファッションモデルもそれぞれの時代で特長が異なります。

60年代は、どちらかといえば消費者に近いモデルが人気を博していました。ところが、60年代後半に入ってきた海外ブランドは身体のラインを強調するデザインが多かったので、背が高く日本人離れしたモデルが好まれるようになります。

時代を経て80年代になると、日本では高級ファッションであるDCブランドが登場し、海外ブランドと同じように消費されるようになります。すると、スーパーモデルのような国際的なモデルと変わらないスタイルを持ちつつも、顔は日本人といった方が活躍するようになりました。

モデルを完全に外国人に任せるのではなく、ミックスモデルを採用したりするなどローカライズする点に、日本の強みが表れています。

現代では、日本人やアジア人のモデルが再び台頭してきた背景に、容姿の自己評価が上がったことが論文「モッドマン」に示されていました。なにかきっかけがあったのでしょうか。

1990年代後半から2000年代前半にかけて、日本の文化が国際的に評価される時期がありました。いままで海外の文化を受け入れる側だったのが、発信する側になったんですね。政府も「クールジャパン」と称して力を入れていたのが懐かしいです。

「クールジャパン」の是非は置いておくとして、日本の文化が評価されると同時に、俳優やタレント、モデルが活躍するようになったのは確かです。そのおかげもあって、日本人であることを卑下する必要はないと考えるようになったと考えられます。伊東絹子さんが活躍されたときと同じですね。

もちろん、モデル一本で生活できたバブル期ではないですから、俳優と兼業でモデルをされている方が多いはずです。とはいえ、2000年代以降には読者モデルの登場もあって、憧れの職業であり続けていると思います。

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憧れの職業としてのファッションモデル

あらためて、男性のファッションモデルはどのような存在だったと思われますか。


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1960年代初頭にアメリカ文化に影響されて生まれたアイビールックなどの若者向けのファッションが受容されると、それほど背の高くないスクールボーイ的なモデルが好まれ、ハイファッションやグループサウンドの影響から高身長でロン毛のモデルが登場するなど、それぞれの時代に求められていた理想の身体や美しさがモデルに反映され、社会の変化と共にあったのだなと思いますね。

今後、挑戦されたい研究がありましたら、教えてください。

90年代以降のファッションモデルの研究や国際比較などをしたいと考えていますが、ファッションショーの研究にも興味があります。

50年代から80年代にかけて、北は北海道、南は沖縄までデパートが主体になってファッションショーの巡回が行われていました。都心だけでなく、地方でも開催された意義など、ファッションを広めるという観点から分析をしていきたいですね。

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