シルクには独特の光沢感があり、吸湿性や放湿性に優れた高価な素材だ。その反面、水に弱く、虫に食われやすいという弱点があり、扱いは非常に難しい。
ところが近年、繊維業界ではあるシルクが話題をさらっている。それが中川絹糸株式会社の“洗えるシルク”「プライムシルク」だ。現在は工場をフル稼働しても生産が間に合わないほどの受注があるという。
「シルクを洗濯機で洗う」という常識外の発想はどこから得たのか、その技術はいかなるものなのか。今回、同社の取締役である中川雄仁さんに「プライムシルク」の開発秘話と紡績業界の展望について伺った。
中川絹糸株式会社 取締役
大学卒業後は外部の企業へ就職し、2021年1月に中川絹糸に入社。
当社はマユなどの原料を仕入れ、絹紡糸(けんぼうし)を作る事業を行っています。絹紡糸とは、いわゆる生糸を作る際の残糸や落ち綿などを再加工して糸にしたものです。
歴史を振り返ると、ヨーロッパの人々が日本で「生糸」を生産する際に発生した「落ち綿」を買いあさっていたという記録があるようです。日本の生糸の生産を立ち上げた人たちからすれば、「なんでそんなものを」と疑問に思ったことでしょう。
これを受け、岩倉具視使節団がヨーロッパで調査をしたところによると、彼らが目にしたのは、落ち綿を再加工して製糸するという光景でした。それがきっかけで、彼らは紡績糸を作るための設備を日本にも導入しました。そのおかげもあり、国内の紡績産業は成長していきます。
紡績産業が活発だった当時は多くの企業が絹紡糸と呼ばれる規格品を扱っていました。ところが近年、中国との価格競争によって紡績業全体が衰退していった結果、当社のみが扱っているという状態になりました。
品質が安定しているのはもちろんですが、「特殊な絹紡糸」を作れることですね。言ってしまえば、機械を使って、あたかも人が手で撚った(よった)ような雰囲気の糸を生産することができます。
手撚りの糸は撚った人の癖が糸に表れるので、それで編まれた生地は独特の風合いが出ます。画一的になる機械による糸の生産ではこの雰囲気を醸し出すことはできません。
そこで当社は紡績機械を改造して、ランダムな撚りやちょっとした節が出る仕組みを開発しました。これが他社にはまねのできない独自の強みとなり、価格競争の波に飲まれることなく生産を続けることができました。
一般的にシルクは非常に繊細で、洗うと摩擦によって「白化」と呼ばれる色が抜ける現象が起こります。そこを克服したのが「プライムシルク」の特徴です。
当社は綿の段階からあらゆる加工を施すため、糸になるまでに薬剤が均一化され、安定性が非常に高くなります。もちろん出来上がった既製品に加工をすることも可能ですが、その場合は薬剤の付着にばらつきが出やすくなります。
また、自社で精練、紡績、仕上げ加工までを一貫して行える事で、コストを抑えながら、品質の良い物を提供することが出来ています。
シルクは着物などの和装に使われることが一般的です。そのため、和装が普段着としても使用されていた昭和時代や、平成の初期までは、シルクの需要も十分にありました。時代とともに和装の需要は減少していきましたが、一定のニーズは保ち続けていました。
ところがコロナの影響で、大きく状況が変わります。結婚式や成人式ができなくなり、浅草や京都に観光に来る外国人も減少したことで、着物などの和装を着る機会は激減しました。
社会の変化に対応せず、従来通りの和装を追い求めるだけでは生き残れないということで、普段遣いや洋装でも使ってもらえる方法はないかと模索しました。その際、日常に落とし込むためには家庭用の洗濯機で洗えることが最低条件だと考えた結果、「プライムシルク」が誕生しました。
シルクはタンパク質の繊維なので人肌との親和性が高く、インナーや下着に使用すると最高の着心地を提供できます。実は、枕カバーやシーツといった寝具にも適しているのではないかと思い、現在商品開発を進めているところです。
シルクはフィブロインとセリシンと呼ばれる2種類のタンパク質から構成されます。フィブロイン同士の結合は摩擦に弱く、洗濯などで簡単に分離してしまいます。すると、その隙間に入った光が乱反射して、先ほどの「白化」という現象が起きてしまいます。
出来上がった製品を樹脂で覆うのが一番簡単ですが、それだとシルクの風合いを損ねてしまいます。
それならば、個々のフィブロイン同士の結合を強くできないかと考えました。課題としては使用する薬品によって糸の風合いを損ねてしまわないか、またその後の染色への影響が出ないかなどがありました。薬品の種類や分量の調整には試行錯誤しましたが、精練設備を保有していた事で自社で試験を繰り返す事が出来た事は大きかったです。
プライムシルクは開発して4年ほどたちますが、売れ始めたのがここ1、2年ぐらいになります。
考えられる要素としては、コロナ禍の巣ごもり需要です。在宅ワークなどの増加により、部屋で着用する衣服などにも、ちょっと良い物が欲しいというタイミングと、洗えるシルクの目新しさが結びついたことがきっかけだと思います。
同時期に、ウールの紡績・ニットメーカーである佐藤繊維さんの企画で、本製品を使用したマスク やインナーを販売していただいたのですが、想像以上のオーダーをいただきました。
現在はテレビや地方新聞などにも取材していただく機会が増え、認知度が高まってきていると感じています。
昨今の繊維・アパレル業界では環境問題への配慮が大きなテーマになっていますが、当社が扱うシルクは蚕(カイコ)を育てる段階から捨てる部分がまったくなく、もっともサステナブルな素材として知られています。ところが、和装の衰退の影響を受け、マユの生産量は右肩下がりという状況です。
現在、当社ではシルク以外の原料を使った新素材の開発に取り組んでいます。シルクの紡績で培った技術を活かしながら、時代の変化に合わせた糸の生産を行っていきます。
それに加えて、「プライムシルク」を含めた従来のシルクも、まだまだ改良の余地があると考えています。
従来の商流では、紡績メーカーは商社に糸を卸すことが多く、その先の工程でどのような生地・製品に使用されているのかを知る機会は、あまりありませんでした。
しかし、これからの時代においては、生地や製品になる工程にも関与していくことが非常に重要だと考えています。生地の段階でどのような問題が起こっているのか、消費者の反応などのフィードバックを受けて、糸の改良点や市場のニーズを知り、新製品を開発していく取り組みが重要だと考えます。
商社に丸投げするのではなく、アパレル企業やデザイナーにも直接コンタクトをとって、自社の糸の魅力を知ってもらう努力をしていかなければなりません。
もちろん、業界全体の雰囲気も変えていきたいですね。これまで他社はライバルであり、仕事は取り合うものという側面が強かったのですが、今後協力できる部分は協力して、国内の紡績・繊維業界を盛り上げていきたいと思っています。