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2022.11.26

「コスプレ化」するリクルートスーツ(田中里尚)

リクルートスーツと聞くと、テレビに映し出された、集団企業説明会に挑む学生の姿などを思い浮かべる人も多いだろう。昨今では企業説明会でも「服装は自由」としている会社も多いが、蓋を開けてみると、皆が揃えたようにリクルートスーツを着用している。
ところで、「なぜリクルートスーツを着用しなければならないのか」と疑問に思った人もいるのではないだろうか。無意識のうちに「就活=リクルートスーツ」と考えてしまう日本人にとって、リクルートスーツは一体どのような存在なのか。
今回、『リクルートスーツの社会史』などの研究を行っている文化学園大学の田中里尚准教授にインタビューを行い、リクルートスーツの歴史と現代社会での受容について伺った。
PROFILE|プロフィール
田中 里尚(たかな のりなお)
田中 里尚(たかな のりなお)

文化学園大学服飾学部准教授。早稲田大学文学研究科修士課程を修了後、暮らしの手帖社などで編集の仕事に携わりながら、立教大学文学研究科比較文明学専攻にて博士(比較文明学)号を取得。共著に藤田結子ほか編『ファッションで社会学する』(有斐閣、2017)、高野光平・飯田豊・加島卓編『現代文化への社会学』(北樹出版、2018)など。

ファッション研究に取り組まれた経緯を教えてください。
もともと、文学や小説が好きということもあって、学生時代に文学と歴史の横断分野として「女性雑誌の研究」をしようと思い立ちました。ちょうど女性史のゼミにいたこともあって、戦前の女性雑誌『主婦之友』に目が留まり、1番面白い記事ジャンルは何かと探していたときに、服飾の記事に惹きつけられました。
そこで行ったのが服飾の表象分析です。読者欄を読むと、服の作り方や着こなし方とは違う別種のメッセージを服飾から受け取っている読者がいることがわかったので、そこを深堀りしました。
その後、ファッション研究に関する著作も多い北山晴一先生のもとで研究をしました。戦中から戦後の高度経済成長期直前まで、『主婦之友』の服飾記事のなかでメッセージとしての女性表象がどのように変化していったのかを調査し、博士論文にまとめています。
一連の研究を通じて興味深かったのは、「書かれた服飾」が単に服それ自体の情報を伝達するだけではなく、読者が理想像やアイデンティティを託すことのできるイメージとして読み解けるということです。
それ以降、総合誌の服飾記事群から分岐したファッション雑誌を「モノとしての服」と「メディアとしての服」が合流する場として認識するようになりました。そうした場を歴史的に研究しようと思い、現在に至ってます。
リクルートスーツの研究に取り組まれた理由は何ですか。
出版社に入った卒業生から「リクルートスーツをテーマに書いてくれませんか」と依頼されたことがきっかけです。当初は、あまり関心がなく、検討してみようくらいの感覚だったのですが、すぐに興味深い現象だと気づきました。
最初は男性のリクルートスーツの形態の変化だけを追いかけようとしていたのですが、調べていくと、スーツの着用過程とその意味形成にもジェンダーに関する問題が含まれていることに気づくことになります。
社会が期待する価値観や規範がより明快な形で表現されているのがリクルートスーツだとわかり、結果として長大な論考になったというわけです。
リクルートスーツはどのように受容されてきたのでしょうか。
1960年代前半、学生は学生服を日常的に着ており、大学生の就職活動においても、基本的に学生服で行われていました。1963年に上映された川端康成の名作『伊豆の踊子』の映画の回想へと至るシーンを見ていただければ、学生服が日常だったことがわかります。
ところが60年代後半になると、若者のファッション意識の高まりもあって学生服を着用する習慣が失われていきます。最近観た映画では『三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実』(2020)に出てくる若者は、もう学生服を着ておりません。
言ってしまえば、学生の大衆化の中で特権的な着衣であった制服の象徴性が失われたのです。男子大学生はふだん着で登校するようになります。ところが、そうしたなかで就職活動が始まると、学生服を着用していないのに、普段から着用しているように見せかける人が多くなります。年配の人にとってはまだ学生服は大学生らしさを示していたからですね。当時、学生服をレンタルで済ましたり、友達に借りたりする人の話がちらほら史料にはみえました。
一方、そこに疑問を投げかける人もいて、あえてスーツを着用して就活を成功させた経験談が『就職ジャーナル』などの雑誌に載るようにもなりました。すると、そうした人たちの談話を次世代の学生が読むことで、学生服派とスーツ派の2つが併存する状況が生まれたわけです。
学生たちがどちらを選択すれば良いのか判断に迷うなか、1976/1977年頃から生協が伊勢丹と協力して就活におけるスーツ販売キャンペーンを行いました。ここだけがやったというわけではなくて、他の紳士服店でも、この波に乗ったようです。
リクルートスーツが集団的な現象として可視化された、この最初のシーンを「始まり」として記述しています。
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