言葉は時代を反映する。それゆえ、ある時代の共通認識を理解するためには、言葉の使い方に注目していけば良い。ところが、感性はどうだろう。ある時代の人々に共通の感じ方はあるのか。
たとえば、ある対象を「美しい」と感じたとき、他の人も同じように「美しい」と感じるだろうか。私たちは、一方で共感を期待する。他方で、自分だけの感じ方だからこそ尊いのだと自負してもいる。そもそも「美しい」という言葉で、私たちが感じる美しさを表現できるのか。そうした引き裂かれをともなう感性の問題を扱うのが、「美学」と呼ばれる研究領域である。
そこで今回、美学を専門にする春木有亮さんに、感性を表す言葉と私たちの生活、人生との関わりについて、お話を伺った。
PROFILE|プロフィール
春木有亮(はるき ともあき)
1977年、兵庫県生まれ。専門は、美学・芸術学。北見工業大学准教授。20世紀フランスの美学者エチエンヌ・スーリオの研究から始め、近年は「かっこいい」「かわいい」「いかす」などの言葉を分析しつつ日常語と感性のかかわりを論じている。 著書『実在のノスタルジーースーリオ美学の根本問題』(2010)、音楽アルバム《No Recto, No Berso》(2020)など。
ご専門の「美学」とは、どのような学問なのでしょうか。 「美学」は哲学の一分野です。西洋では紀元前から、「人間とは何か」を探求してきました。その答えは様々であれ、現在に至るまで概ね一貫して人間に固有の特性であるとされてきたのは、論理(言葉)に基づいて考える力(理性)です。それに対して感じる力(感性)は、中世までは人間の価値を損なう能力だとされ、排除すべき対象でした。ところが近代に向かうにつれ、人間にとっての感性の意義があらためて見直されるようになります。 この記事は会員限定です。 登録すると続きをお読みいただけます。 会員登録でできること
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