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2022.08.23

「かっこいい」とは何かーー言葉が導く人々の感じ方と生き方(春木有亮)

言葉は時代を反映する。それゆえ、ある時代の共通認識を理解するためには、言葉の使い方に注目していけば良い。ところが、感性はどうだろう。ある時代の人々に共通の感じ方はあるのか。
たとえば、ある対象を「美しい」と感じたとき、他の人も同じように「美しい」と感じるだろうか。私たちは、一方で共感を期待する。他方で、自分だけの感じ方だからこそ尊いのだと自負してもいる。そもそも「美しい」という言葉で、私たちが感じる美しさを表現できるのか。そうした引き裂かれをともなう感性の問題を扱うのが、「美学」と呼ばれる研究領域である。
そこで今回、美学を専門にする春木有亮さんに、感性を表す言葉と私たちの生活、人生との関わりについて、お話を伺った。
PROFILE|プロフィール
春木有亮(はるき ともあき)
春木有亮(はるき ともあき)

1977年、兵庫県生まれ。専門は、美学・芸術学。北見工業大学准教授。20世紀フランスの美学者エチエンヌ・スーリオの研究から始め、近年は「かっこいい」「かわいい」「いかす」などの言葉を分析しつつ日常語と感性のかかわりを論じている。
著書『実在のノスタルジーースーリオ美学の根本問題』(2010)、音楽アルバム《No Recto, No Berso》(2020)など。

ご専門の「美学」とは、どのような学問なのでしょうか。
「美学」は哲学の一分野です。西洋では紀元前から、「人間とは何か」を探求してきました。その答えは様々であれ、現在に至るまで概ね一貫して人間に固有の特性であるとされてきたのは、論理(言葉)に基づいて考える力(理性)です。それに対して感じる力(感性)は、中世までは人間の価値を損なう能力だとされ、排除すべき対象でした。ところが近代に向かうにつれ、人間にとっての感性の意義があらためて見直されるようになります。
この流れのなかで、ドイツの哲学者バウムガルテン(1714-1762)が「感性的認識の学Aesthetica(Aesthetics : 英)」を提案し、「感性」ならびに「美」と「芸術」を、その学問のテーマとします。このAestheticaを日本では「美学」と訳し、受容してきました。
美学が感性に対してとるスタンスには、2つのベクトルがあります。感性を理性の対立項だとみなすベクトルと、感性をもう1つの理性だとみなし、感性も理性と同じように深めたり発展させたりできるものだと捉えるベクトルです。なので美学は、感性に対する逆方向のスタンスを同時に孕む学問であると言えます。
これは、美学の営みそのものが感性を積極的に作動させるということでもあります。たとえば、絵を見ることの延長で絵を考え、絵を考えることの延長で絵を見る。感じることについて考えるときに、感じるように考えている。美学者は、一方で哲学者に憧れ、他方で芸術家に憧れているようなところがあります。その意味で美学は、半学問あるいは反学問だとも言えます。じっさい美学の研究者には、芸術家崩れのような人が少なくない。
そのこととも関わりますが、時代を下るにつれ、「芸術(アート)」、それも具体的な実践や作品を扱う研究が多くなってきます。最近で言う「芸術」は多岐に渡っていて、絵画や音楽、映画などカテゴライズしやすいものから、芸術と言えるのかどうか判断しにくいものまで含んでいます。総じて、感性を刺激しコントロールしていくような技術全般を、芸術に類するものと捉えて分析することが、いまの美学研究の主流です。
他方で、美学の発端のテーマである「感性」を掲げる研究が、20世紀終わりぐらいから復権してきました。人々が生きるうえで、どこでどのように感性をはたらかせているかを、芸術にとどまらず、ひろく文化の営みというコンテクストにおいて考えるというものです。そのアプローチは歴史学的であったり社会学的であったりさまざまですが、「感じるとは何か」を問う原理論への関心を含むことが、それをわざわざ「美学」と呼ぶことの条件だと考えてます。僕自身がいまやっている研究も、この感性の研究に属します。
春木さんは、どのような問題意識から「かっこいい」という言葉について研究されるようになったのでしょうか。
僕が博論で扱ったのは、20世紀のフランス人哲学者・美学者エチエンヌ・スーリオ(1892-1979)の思想です。彼が残した「芸術とは何か」をめぐる抽象理論を解読し、再構成するというものです1。それだけ聞くと、今日お話しする「かっこいい」の美学とはかなり毛色の違う研究と思われるかもしれないですが、根底では繋がってます。
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