日本人はマスクをつけることに、大きな違和感を抱くことはない。風邪を引けばマスクをし、インフルエンザや花粉症の予防で欠かせない人も多いはずだ。コロナ禍が続く昨今では、もはやマスクは顔の一部になりつつある。
だが、欧米では日本ほどマスクを着用する習慣はなく、特にコロナが猛威を振るう以前は、マスクをして出歩く日本人に対して違和感を抱く人も多かった。では、なぜ私たちはこれほどまでにマスクに馴染みがあるのだろうか。
それを紐解くために、今回マスクの歴史を研究されている住田朋久さんにお話を伺った。日本のマスク受容、そしてファッションとの関係性まで、歴史的な視点から語っていただいた。
PROFILE|プロフィール
住田 朋久 (すみだ ともひさ)
慶應義塾大学大学院社会学研究科 訪問研究員
東京大学大学院博士課程満期退学(科学史・科学論)。日本学術振興会特別研究員(DC1)、東京大学大学総合教育研究センター特任研究員、丸善出版、東京大学出版会などを経て、現在、科学技術振興機構研究開発センターフェロー 。
はじめに、住田さんのご研究を教えてください。
科学と社会の関わりに興味があり、「環境・生命・科学の社会史」と称して研究してきました。一例を挙げると、大気汚染対策における研究者のネットワークの組織化を調べたことがあります。その後、多くの人が関わる問題について考えたときに、やはり花粉症は外せないだろうと思い研究を始めました。すると、1980年代ごろに花粉症の患者会があったことがわかりました。患者たちが仲間を募っていき、さまざまなマスクを試して、効果の大きかった防塵マスクのメーカーに対しては、街中でも使えるようなデザインに改良してほしいと要望したそうです。
この患者会についてのエッセイを2020年に『現代思想』に寄稿したところ、ゲラが送られてきたときに、編集者が次の号に「マスクの歴史について書いてみないか」と提案してくださったんです。それがきっかけで、この2年はマスクの研究を行っています。
マスクは、いつ発明されたものなのでしょうか。
ひとまず仮面は除外して、マスクを鼻と口を覆うものと定義します。そうすると、一番古い記録 は紀元1世紀の大プリニウスによる『博物誌』のようです。そこには、鉱山でヤギの膀胱を頭に被っていたことが書かれています。また不殺生を信条とするジャイナ教徒の白衣派では、口を覆って虫が入らないようにしていますが、5世紀以前まで遡れるようです。もちろん、歴史的な資料に残る前にも、防寒や防塵のために鼻口を覆うことはあったでしょう。日本の場合、近代以前から作業の際に布や紙で口を覆っていたことが確認できます。たとえば、19世紀中頃に徳川家の御用菓子を作る際に、口に紙を当てていたことが資料からわかります。もう1つ例を挙げると、江戸の将軍のために熱海で温泉を汲む人たちも同じように口を覆っています。いずれも偉い人が接するものを汚さないという配慮です。
私たちが想像するようなマスクは、19世紀前半にイギリス人医師ジェフリーズが発明した「レスピレーター(呼吸器)」が起源です。これは金属が組み込まれており、特許を取った機能的なものでした。
これについてジェフリーズは、「ポータブル・クライメット」という表現を用いています。すなわち、「気候を持ち運ぶ」を発明したと主張しています。肺病の患者が暖かく湿った空気を吸えることを目的にしていました。ジェフリーズはインドで育ち、イギリスで医学を修めた人物です。インドとイギリス の両方で生活したからこそ、寒いイギリスで肺を患っている人を救うにはどうしたらいいのか考えたのでしょう。
これが1870年代(明治初期)に、日本にも輸入されて流行しました。ところが、当時の主流の医者はマスクの着用を薦めていませんでした。1884年に大日本私立衛生会が作成した『衛生寿護禄(すごろく)』には、マスクをつけた唯一の人物は「虚弱」のコマに描かれており、「うまれつき よわきはあれども 心から 身をよわくする 人ぞかなしき」と詠まれています。当時の専門家から見ると、マスク着用は人を虚弱にするものであり、「健康な人はわざわざマスクをつける必要はない」と考えられていたようです。
それでも、一部の市民は積極的にマスクをつけていたようです。当時のマスクの広告には、寒さを防ぐことによって風邪を予防するということがうたわれています。
1899年から1900年に大阪でペストが流行したときには、新聞記事で、検疫官全員がマスクするようになったことや、ある医者が役所にマスクを寄付したことなどが伝えられています。これが1910年ころの満州のペスト対策でも用いられ、さらに1918年からのインフルエンザ対策にも使われていきました。