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【リレーコラム】予備校文化の黄昏、受験勉強のテクノロジー(藤村達也)

PROFILE|プロフィール
藤村達也
藤村達也

1992年、大阪府生まれ。京都大学大学院教育学研究科助教。京都大学教育学部卒業。京都大学大学院教育学研究科博士後期課程退学。専門は教育社会学、歴史社会学、文化社会学。

かつて、予備校文化なるものが語られた時代があった。予備校とは大学入試合格を第一の目的とし、そのために必要な知識や技術を合理的に指導するための場であると一般的には考えられている。それは間違いではないだろう。だが他方で、予備校ではそうした受験対策にとどまらない独自の文化ともいうべきものもまた広がっていた。正規のテキストやカリキュラムを無視して哲学や文学、人生論を語る教養主義的な講師、学生運動の経験を語り生徒をデモへと動員するかつての全共闘闘士、奇抜なファッションに身を包み卓越した話芸や派手なパフォーマンスで生徒を魅了するタレント的講師など、多種多彩にして玉石混淆、教育というにはあまりに混沌としたアングラ感すら漂う空間であった。
こうした側面は、合理的な受験対策という観点からすればある種の余剰、無駄とさえいっていい。しかし翌春の捲土重来を目指して勉強を続けるには、浪人生の一年は長く、孤独である。学歴や職業といった地位達成は遅延報酬である。遠くに見えるニンジンを追うだけでは、必ずしも受験生の意欲は持続しない。ここから予備校文化が持つ裏の機能が透けて見えてくる。哲学や文学に触れさせてくれる教養主義的な授業は「少し先の未来」に待つ大学への憧れをかき立てる。学生運動の経験談は学校や受験勉強の「外」に広がる葛藤に満ちた社会へと視線を差し向ける。あるいはファッションや話術で生徒を魅了する劇場型の授業は、努力と勤勉の世界からこぼれ落ちそうな受験生たちを「いまここ」の学習へとつなぎとめる。こうした文化こそが、学歴獲得という目標、努力と勤勉という規範文化の裏で、不安で孤独な浪人生を支えてきたのだろう。
また、受験生が頼るのが入試問題を効率的に解くための「受験テクニック」であったとすれば、多彩な講師による授業も、それが意識的であれ無意識的であれ、かれらの生存をかけたテクニックであったといえるだろう。予備校は市場原理が働く場であり、講師や授業は商品である。生徒から支持されない講師は教壇を去るしかない。しかしこうした市場的空間としての予備校において、学校と違って学習を強制する制度的根拠が存在しないからこそ、生徒を惹きつけ、勉強へと向かわせる独自の文化がある種の必然として誕生した。
かくして予備校文化は学歴社会や努力主義の伏流として受験勉強を支えてきた。しかしこのような文化は、受験生数が減少し、また現役進学志向が強まった1990年代以降、徐々に薄らいできた。三大予備校の一つと呼ばれ、予備校の華やかなりし日々の中心であった代々木ゼミナールが2014年度末に大半の校舎を一斉閉校したことは、予備校文化の黄昏を告げていた。それに替わって近年、受験勉強においても台頭しつつあるのがEdTech(エドテック)、すなわち教育における最新テクノロジーの活用である。いまや駿台予備学校では講師による授業と合わせてAI教材が導入されており、城南予備校にいたってはクラス授業を廃止し、少人数での個別指導とAI教材の組み合わせによる個別最適化された学習を中心とする事業形態へと大きく舵を切った。
洗練された映像授業には対面授業と違って余剰がない。集中力を切らさず視聴できるようにデザインされた授業動画では、授業に注意を向けるための雑談のような要素は最初から省かれている。また、AI教材や学習アプリにおいて受験生のモチベーションを引き出し学習へと水路づけるのは、心理学や教育工学などの領域に属する、人間の行動に直接働きかける技術知である。従来の受験文化が学習者の内なる意欲を焚きつけるものであったのに対して、テクノロジーが支える学習にはそれがない。メリトクラシーを支える力が、努力文化と規律訓練の組み合わせから、テクノロジーによる管理と監視へと移行しつつあるのかもしれない。
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