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葉山の“履く文化遺産”! 「げんべい」が町の日常に根づいた理由
三浦半島の西岸に位置する神奈川県葉山町では、「げんべい」のビーチサンダルを履く人をあちこちで見かける。海へ向かう人もいれば、買い物帰りの人、家の前で立ち話をしている人もいる。色とりどりの一足は、葉山を象徴する足元の風景になっている。
なぜこの一足は、ここまで町の日常に根づいたのか。その背景には、江戸時代から続く商いの歴史、履くほどに足になじむ工夫、そしてビームスをはじめとするファッションブランドとの長年の関係がある。今回はげんべい商店を訪れ、5代目の店主・葉山英三郎さんから同店のビーチサンダルが愛され続ける理由を聞いた。
PROFILE

葉山 英三郎(はやま えいざぶろう)
有限会社ゲンベイ商店
妻の葉山邦子さんとともに、5代目としてげんべい商店を切り盛りする。定番のビーチサンダルを守り継ぎながら、ECデータを活用した色・サイズ展開の見直し、コラボレーション、Tシャツやアロハシャツなどの企画にも取り組む。

葉山の足元にある、げんべいという日常
葉山の一色に店を構える「げんべい商店」に足を踏み入れると、まず目に飛び込んでくるのは壁一面に並ぶビーチサンダルだ。

ただし、ビーチサンダル専門店というわけではない。店の奥には今も、長靴、赤白帽、肌着、じょうろ、ウォーターシューズなど日用品の売り場が健在している。
「昔から通ってくれている地元の人のために、こういったものも残しておかないと。それにこういうのを売らなくなったら、ビーチサンダルも売れなくなると思うんです」
江戸の足袋屋から、ビーチサンダルの店へ
店の始まりは江戸時代にまでさかのぼる。文久3年(1863年)ごろ、現在の葉山町あたりで足袋屋として創業したとされ、当時の店名は「相刕屋源兵衛」だった。相刕は相模国、源兵衛は創業者・葉山源兵衛の名に由来する。当時のロゴは、「┓」に「サ」の文字を組み合わせた“カネサ”。「┓」は曲尺を表し、まっすぐな商売を意味した。現在の「マルげ」にも、間違った商売をしないという思いが込められている。

江戸から明治へと時代が移り、足袋や草履を履く人が減ると、げんべい商店は衣服や日用品を扱うよろず屋へと姿を変えていく。ビーチサンダルと出会ったのは太平洋戦争の後だという。
「当時、アメリカ人のレイ・パスティン氏が、日本の草履をヒントに兵庫県神戸市の内外ゴム株式会社にサンダルの製作を依頼しました。1953年にハワイで販売された後、1955年から、日本人の足型に合わせた『ブルーダイヤ』が国内でも販売されるようになりました」
げんべい商店も早い時期からブルーダイヤを扱っていたが、生産体制の変化で入荷が安定しない時期があった。そこで、思い切って自分たちのビーチサンダルを作ることにした。
オリジナルを開発したのは、5代目の葉山國光さん。現在げんべいのビーチサンダルは、台湾の工場で製造されている。
「大切なのは産地名ではなく、ゴムの質と仕上がりです。ソールの素材を決めるまでに4年、鼻緒の穴の位置を決めるまでに6年かかりました」
ゴムと鼻緒の設計が履き心地を決める
ソールに天然ゴムと合成ゴムを組み合わせていることも、げんべいのこだわりだ。天然ゴムだけでは重くなりやすく劣化もしやすいが、合成ゴムだけにすると足になじむ柔らかさを出しにくい。試作品は実際に履くだけでなく、煮る、焼く、切る、引きちぎる、噛むといった方法でもゴムの具合を確かめたという。対して、足の甲に直接触れる鼻緒には天然ゴムを使用している。「足の甲に直接触れる部分なので、天然ゴム100%の柔らかい素材を使っています。足になじみやすく、長時間履いても痛くなりにくいんです」

鼻緒も重要なパーツだ。穴の位置だけでなく、履いたときに自然に足の形になじむ角度まで調整されている。

また、げんべいのビーチサンダルは、歩くときに独特の音がする。
「足の裏の空気が抜けるような、パタッという乾いた音です。聞いたら、ああ、うちの音だなと思います」
履き続けるほどにフィット感が高まる
葉山さんいわく、げんべいのビーチサンダルは、「育てるビーチサンダル」であるという。「履いているうちに、鼻緒は足幅や甲の高さに合わせて少しずつ伸びてきて、ソールには足指やかかとの位置にへこみが生まれていきます。そうするとまた鼻緒がいい感じに伸びてきて、自分の足にピタッと合ってくるんです」
実際に、親から子へ、兄弟姉妹へと受け継がれることもある。
「長く履けることは信用にもつながると思っています。買い替えのサイクルを早めるよりも、きちんと長く使っていただける方がいいですから」

132通りから選ぶ、葉山の宝探し
ソールは12色、鼻緒は11色の全132パターンを展開している。店頭には常時1万足以上が並び、壁一面に広がる色の中から一足を選ぶ時間も楽しみのひとつだ。カラーは毎年少しずつ入れ替わる。売れ筋だけに絞れば黒やネイビーばかりになってしまうため、あえて動きの少ない色も残す。発注にはECサイトの販売データも活用し、サイズや色のバランスを見ながら調整しているという。

ローカルなブランドでありながら、外のカルチャーともつながってきた。有名なファッションブランドやアニメ作品、企業など、さまざまなコラボレーションを手がけてきたが、代表的なのがビームスだ。
「先代には『顔を知らない人とは取引をしない』という考えがありました。そのため、ビームスさんとの取引も、担当の方が直接店に来てくださったことがきっかけで始まりました。コラボレーションだけでなく、店頭イベントなどでもお付き合いさせていただいています。
一方で、こちらから積極的に営業をかけることはしていません。基本的には店頭販売を大切にしていることに加え、人手にも限りがあるからです。ただ、現在はお問い合わせをいただいた際には、面識のない方であってもプリントして出荷しています」
2025年には横尾忠則さんとのコラボレーションも手がけた。
「後日、横尾さんご本人からお電話をいただき、『自分で挨拶したかったんだけど』とおっしゃったんです。とても気さくな方でした」
ジョン・レノンがオノ・ヨーコとともに店を訪れたという逸話もある。
「私が入るずっと前のことですが……。噂を聞いてSNSで町の人に尋ねてみたら、『うちの親が案内しましたよ』と教えてくださった方がいたんです。ただ店の者は誰も気づいていなかったらしいです(笑)。うちは有名人の方が来店されても、こちらからはお声がけしないようにしているので」
大きくしすぎず、葉山に根を張る
テレビや雑誌に取材されることも増え、店の知名度は全国区になりつつある。「でも、今のところ葉山から出る気はありません。あまり規模を大きくしない方が、結果的に長く続けられるんじゃないかと思っているんです。それに、店をカッコよくしすぎると、気軽に入りづらくなってしまいますからね」
ECサイトを通じて全国から注文が入るようになった今も、実際に葉山の店に足を運び、店頭で色を見て選ぶことの意味は大きい。

げんべいのビーチサンダルは、地元の人にとっては生活必需品であり、葉山を訪れる人にとってはこの土地の記憶を持ち帰るスーベニアでもある。
葉山の人が履き続け、訪れる人が持ち帰る。その積み重ねが、「げんべい」のビーチサンダルを、この町を象徴する文化へと育ててきたのだ。
Text by Ryota Osujo















