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国井栄之のKICKS OF THE WEEK

NIKE史上もっとも売れたスニーカー! ナイキ「AIR FORCE 1(エアフォース 1)」

2026.04.22
「ミタスニーカーズ」のディレクターである国井栄之さんが、毎週、独自の視点で気になるスニーカーをピックアップして率直な主観で語る動画「国井栄之のKICKS OF THE WEEK」との連動企画。
第22回は、前回好評だった読者からの質問に答えていく企画を実施。今回の質問は「『NIKE(ナイキ)』史上もっとも売れたスニーカーを教えてください」。数ある「NIKE」の名作の中でも、今も売れ続けているモデルとは? 国井さんに詳しく回答してもらった。

革新的な「NIKE AIR」の搭載

前回の国井さん流のシューケア術が好評だったので、今回も引き続き視聴者や読者からの質問に答えていきたい。今回のお題は「『NIKE』史上もっとも売れたスニーカーを教えてください」だ。国井さんはまずこう答えてくれた。
「ブランド史上、一番売れたモデルとは『AIR FORCE 1(エアフォース 1)』です。1982年に誕生したこのモデルは、デザイナーのブルース・キルゴア氏の手によって設計されました。
「NIKE」における不朽の名作として現在も人気の「エアフォース 1」。現在の正式なモデル名は「エアフォース1 ’07」だ。16,500円(税込)
バスケットボールシューズとして、初めて『NIKE AIR(ナイキ エア)』のクッショニングシステムを搭載したモデルとしてリリースされました。『AIR APPROACH(エアアプローチ)』というハイキングブーツをヒントに、その構造をバスケットボールシューズに応用しています」
国井さんは、このモデルが発売された当時のバスケットボールシューズ事情についてもこう言及する。
「当時、各ブランドからはさまざまなバスケットボールシューズがリリースされていました。ですが、いずれも耐久性重視のバルカナイズド製法だったため、クッション性があまり高くありませんでした。
バスケットボールシューズとして初めてヒール部分に「NIKE AIR」を搭載した画期的なモデルだった
当時は、ソックスを2枚重ねばきしてクッション性を補っていたNBAプレイヤーもたくさんいたと聞いています。課題になっていたクッション性を、『NIKE AIR』を搭載することで解決した『NIKE』のアプローチは本当に画期的だったのです」
まさに「エアフォース 1」の出現が、バスケットボールシューズの歴史を変えたといっても過言ではないだろう。

ファッションシーンでも受け入れられた「エアフォース 1」

そんなスポーツシューズが、どのようにしてファッションシーンに受け入れられ、「NIKE」におけるベストセラーモデルとなっていったのか。その理由に関しても国井さんはこう語ってくれた。
「2000年代にはラッパーのJay-Z(ジェイ・Z)の影響から『ニューヨーク・ヤンキース』のキャップと真っ白の『エアフォース 1』がストリートファッションの象徴となったのは紛れもない事実です。
ただ、それ以前に発売当時からバスケットボールシューズとしてはもちろん、タウンユースのモデルとしても人気がありました。
真っ白な「エアフォース 1」は、少しでも汚れたら新しいものに替えるという、一種の成功者のステータス的なモデルにもなった
それを裏付けるかのように、『エアフォース 1』生産終了時において、ボルチモアの3ショップ(ダウンタウン・ロッカールーム、チャーリー・ルドー・スポーツ、シンデレラ・シューズ)通称『スリーアミーゴス』が『NIKE』に限定カラーの『エアフォース 1』製作を直談判し、販売を成功させました。この伝説的なエピソードは、まさにタウンユースでの人気を物語っています」
国井さんが個人的に思い入れのある「エアフォース 1」について伺うと、こう答えてくれた。
「個人的には2004年にリリースした『エアフォース 1“温故知新”』と上野シティアタックという企画で作った『エアフォース 1“UENO SAKURA”』です。どちらも企画から携わり、製作過程でいろいろなエピソードがあるモデルなので、思い出深いです」
上/NIKE×mita sneakers「AIR FORCE 1“温故知新”」。2004年に「温故知新」をコンセプトに掲げ、80年代・90年代・2000年代の各時代を象徴するマテリアルを前足部、中足部、後足部に3分割で配し、スニーカーマテリアルの進化過程をアッパー上で表現したスペシャルエディション。(参考商品) 下/「AIR FORCE 1 “UENO SAKURA”」。上野のスニーカーショップだけで桜の開花宣言と共にゲリラリリースされた上野シティアタックモデル。アッパーはレーザー加工によって日本の国花であり、sneakerwolfが描いた「桜」の花びらがレーザー刻印される。ヒールには“UENO”の刺しゅう。ボックスはスライド式の木製仕様。(参考商品)
国井さんにとっても「エアフォース 1」は、スニーカーを語る上で重要な存在なのだ。

まさに“市民権を獲得した”モデル

なぜここまで「エアフォース 1」は人気なのか。その理由に関しても国井さんはこう考察する。
「『エアフォース 1』がなぜここまで万人に愛されているかというと、まずはバスケットボールシューズとしてスポーツシーンに革命をもたらしたというところ、そして同時にタウンユースとしてもでいろいろな人に自由な形で愛されたというのが大きいですね。
NBAやヒップホップカルチャーはリンクするためわかりやすいところではありますが、一方で日本では90年代のアメカジや古着ブームの足元に合わせられ、市民権を得たというのも大きいと思います。
ヒール部分にはスウッシュと“NIKE AIR”の刺しゅうが入るのもお馴染み
ひとつのスポーツやカルチャーだけに紐づいているわけではなく、老若男女に履かれたという部分も大きかったと思いますよ」
最後に国井さんは、モデル名に関しての豆知識も語ってくれた。
「一番ベーシックなモデルは『AIR FORCE 1 ’07』と表記してあって、“’07”ってなんだろうと不思議に思っている方も多いと思います。
2007年以前は、それぞれのリージョンによるシーズナル企画によって『エアフォース 1』のスペックやディテールが若干異なっていました。25周年を前に自分たちのアイコニックなモデルを作り直そうということで、新たにモールドも起こし直し、統一した規格で作ったのが2007年だったので、“’07”と表記されているわけです。
シューレースに通された“AF1”というデュプレも高級感を醸し出す
90年代の『エアフォース 1』はライナーのパッドが厚くてホールド性を担保していたのですが、素材などいろいろなものが進化していくなかで、タウンユースではそこまでのパッドのボリュームは必要ないということで、パッドがやや薄くなっていたり、同じモールドを使い続けていたので、つま先の星柄の意匠の出方が甘くなっていたりなど個体差があったので、それも刷新したかったということです」
「NIKE」史上、一番売れた「エアフォース 1」。スニーカー好きじゃなくても知っているその知名度はもちろん、普遍的なデザインはこれからも歴史的な名作として語り継がれていくだろう。

PROFILE

国井 栄之(くにい しげゆき)

mita sneakers ディレクター

東京の下町である上野から世界へ向けて独自のスニーカースタイルを提案するmita sneakersでディレクターを務める。数多くのブランドとのコラボモデルや別注モデルを手掛け、その手腕を発揮。現在は虎ノ門ヒルズにオープンしたショップ「Herringbone Footwear(ヘリンボーン フットウェア)」の外部ディレクターも務める。世界的プロジェクトから国内インラインのディレクションまで多岐にわたり、スニーカープロジェクトに携わるスニーカー業界の最重要人物。

mita sneakers

東京都台東区上野4-7-8 アメ横センタービル1F路面店TEL:03-3832-8346 営業時間(平日)11:00~19:30、(土日・祝日)10:00~19:30

https://www.mita-sneakers.co.jp/

Photo by Hiroyuki“Lily”Suzuki(StudioLog)

Text by Yasuyuki Ushijima(NO-TECH)

Original Movie

国井栄之のKICKS OF THE WEEK #22  NIKE「AIR FORCE 1」

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