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2024.07.02

きゃりーぱみゅぱみゅ、新しい学校のリーダーズ…日本の「原宿カルチャー」を築いたアソビシステムの次なるビジョン

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2010年代の原宿カルチャーを語る上で、絶対に欠かせないワードのひとつに「アソビシステム」がある。2000年代に入ると徐々に新しい流行を感じるようになってきたが、アソビシステムがその流れをさらに加速させる一翼を担っていたと言っても過言ではない。
2007年に創立されたアソビシステムは、日本が誇る原宿カルチャーをはじめとする、カルチャープロダクションだ。きゃりーぱみゅぱみゅや、中田ヤスタカ、増田セバスチャンなど、日本が誇るアーティストやクリエイター、モデルや俳優が所属している。
今回は、2010年代に新たな原宿カルチャーを切り開き、また世界に日本のカルチャーを発信し続けている、アソビシステム代表取締役社長・中川悠介氏にお話を伺った。
PROFILE|プロフィール
中川 悠介(なかがわ ゆうすけ)

1981年、東京生まれ
大学在学中から様々なイベントを主催し、2007年にアソビシステム株式会社を設立。「青文字系カルチャー」の生みの親。日本独自の文化である“HARAJUKU CULTURE”に焦点をあて、ファッション・音楽・ライフスタイルといった、原宿の街が生み出すコンテンツを成長させ、イベントプロモーションやアーティストマネジメントなどを通じて世界に向け発信している。内閣官房「クールジャパン官民連携プラットフォーム」構成員。

新たな原宿カルチャーを切り開いたアソビシステム

アソビシステムの代表・中川悠介氏は、世の中に「青文字系」という言葉を生み出し、世界で活躍するアーティスト・きゃりーぱみゅぱみゅを筆頭に、多くのアーティストやクリエイター、タレントを輩出してきた。
2010年の原宿に新しい風を吹かせただけでなく、世界中の人々が日本のカルチャーに驚き、注目するきっかけを作り、まさに原宿のシーンが変わるフックになった。
現在も新しい学校のリーダーズをはじめ、アソビシステムから発信されるアーティストやカルチャーは話題になっているが、どのような経緯でアソビシステムは生まれたのだろうか。
「2007年に会社を作ったのですが、当時はスタートアップという言葉がなかったので、自分たちのやりたいことを形にするために、『箱』として会社を作りました。
最初から事業計画があったとかはまったくなく、起業したというよりは、日々の日常の中身を形作っていた…という感じですね」
現在のオフィス
現在のオフィス
中川氏の活躍は、アソビシステムを設立する前から話題になっていた。2002年から火曜日が定休日である美容師に向けた月曜夜のイベント「美容師ナイト」を手がけてきた。
当時は、憧れの職種を中心に「カリスマ」のワードの認知度が高まり、美容師にもカリスマ美容師という言葉が生まれて人気を博していたが、「美容師ナイト」が開催されることによってそのカリスマ性はさらに高まった。
また、服飾系の学生を集めたファッションショーも中川氏の手腕を物語る要素のひとつだ。
当時『Zipper』などで活躍していた読者モデルも、このファッションショーなどのイベントにより、ブームとしてだけの存在ではなく、服飾学生としてのクリエイティブな一面がフォーカスされて、新たな局面を迎えるきっかけとなった。
「美容師の中にはDJを務める方もいらっしゃいましたし、来場者も美容師や美容学生、スタイリストなど、業界関係者が中心となりました。そうしたことから、自然と美容関連のカルチャーが集まるイベントへと発展していったのです」

原宿における人出の増加と、新旧の街並みの対比

きゃりーぱみゅぱみゅの登場により、2010年代の原宿は「KAWAIIカルチャー」の場所として、世界から注目されるようになった。これまでの元気な若者が集まる場所としての原宿ではなく、「クールジャパン」の言葉とともに、カルチャーの中心地としての認識が高まっていったのだ。
80年代のマンションメーカーの登場や、90年代後半の裏原ブランドのブームなど、それまでの原宿はさまざまなブームによって街が形成されていたが、2010年代にはクリエイティブな側面がよりフォーカスされ、ブームはカルチャーに変化を遂げた。
当時の原宿といえば、街全体がポップでカラフルな印象が強かったが、現在の原宿はどのように変化してきていると感じているのだろうか。
「現在の原宿は、インバウンドの影響がさらに強まっています。コロナ禍が終息してからは、平日の昼間からでも歩行者で混雑し、2010年代と比べると状況が大きく異なっていますね。
観光客の数が格段に増えたことで、原宿に多種多様な人々が集まる光景が日常的なものとなり、インバウンドの街として認識されるようになってきました。かつてはそうした印象はあまりありませんでしたが、今や原宿は外国人観光客が集まる街というイメージが定着してきていると感じます」
東京の中でも、原宿ほどスピードを感じる街もそうないだろう。2010年から振り返っても、原宿はかなりの変貌を遂げてきた。
その過程の中で、東日本大震災、コロナ禍と大きなダメージを経て今の原宿の姿がある。
現在の原宿の竹下通りは、韓国と日本のカルチャーがミックスされ、今年の4月には新商業施設として、東急プラザ原宿「ハラカド」が表参道と明治通りが交差する神宮前交差点にグランドオープンし、新たな盛り上がりを見せている。
東急プラザ原宿「ハラカド」
東急プラザ原宿「ハラカド」
「原宿が特殊に感じられるのは、表通りにはビルが立ち並ぶ一方で、裏手にはストリートがいくつも残されているという対照的な街並みにあります。このように、不老的な価値観が共存する街が原宿の特徴です。ラフォーレ原宿のビルが街を象徴するランドマークとなっているのも原宿らしさといえるでしょう。
最近は『ハラカド』がオープンするなど、街自体は発展を続けていますが、裏手のストリート地区は変わらず残されています。変化する場所と変わらない場所が共存し続けるところに、互いへのリスペクトのようなものを感じます。
日本の都市開発は、建物を次々と建て替えて街を拡大していきますが、原宿の場合は、昔ながらの街並みと新しい街並みが共存しながら成長を続けています。そうしたなかで、時代とともに新しいカルチャーが生まれ続けているのが原宿の良さなのではないでしょうか」
2010年代の原宿は、「原宿系」というカテゴリーがあったように、ファッションカルチャーの発信地としてのイメージも強かった。
原宿竹下通り
原宿竹下通り
ロリータファッションやデコラなど原宿を代表とするファッションが多種多様に生まれたが、現在は以前ほどのイメージは強くない。ファッションカルチャーとしての原宿はどのように変化してきたのだろうか。
「原宿に来る人の絶対数が増えていることは間違いありません。昔に比べて人出が激しくなり、以前ほどそういったファッションの方が目立つことがなくなりました。かつては路上でスナップ撮影をしたり、座り込んで交流したりすることができましたが、今では人が多すぎてそうしたことも難しくなっています。
一方で、裏原宿のお店は家賃が安価で出店しやすい環境が残されています。そのためタトゥースタジオなどの新しいカルチャーが次々と生まれている様子がうかがえます。原宿は人出が増えても、常に新しいカルチャーが生まれやすい土壌があるのです。
原宿のファッションや裏原宿の街並みは、あえてカルチャーを残そうとするのではなく、ずっと自然に続いてきたものです。新しいものと古くからあるものが共存し、時代とともに変化を続けている。そこに人々を引きつけてやまない原宿という街の熱気が感じられます」
世界中のファッションやカルチャーを飲みこみ、オリジナル文化を生み出す街・TOKYO、HARAJUKUを体現したエンターテインメントレストラン「KAWAII MONSTER CAFE」
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