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2023.04.07

平成の人気ブランドBETTY'S BLUEが今でも私たちを惹きつける魅力

令和になった今でも皆の記憶とともに愛されているBETTY'S BLUE(べティーズブルー)。

「BETTY'S BLUE」のブランド名を耳にしたとき、世代によってその印象もだいぶ変わってくるだろう。90年代に青春時代を過ごした者は、ストリートやラフォーレ原宿でひときわ目立つ、斬新なデザインのレディースラインに憧れを抱いた。そして、ジュニアラインに転向した2000年代初頭に幼少期を過ごした者は、ジュニア雑誌やテレビなどのメディアを通してBETTY'S BLUEを知り、憧れを抱いたのではないだろうか。世代によって印象は違っても、BETTY'S BLUEのカラフルでポップなデザインが私たちを魅了したことは間違いない。

平成の幕開けを感じさせる斬新なデザイン

1990年べティーズ・ブルーブック「月刊キューティー�特別編集 べティーズブルーBOOK」1990年11月1日発行 JICC出版局
1990年べティーズ・ブルーブック「月刊キューティー特別編集 べティーズブルーBOOK」1990年11月1日発行 JICC出版局
BETTY'S BLUEは、デザイナー・あべ真司によって、1985年にスタートしたブランドだ。
「カラフルな洋服は気持ちがいい。カラフルな洋服は元気にもなれる。だから私たちはみんな、ベティーズ・ブルーが大好き!」
ブランドムックに記載されていた文章通り、BETTY'S BLUEの色使いはデビュー当時から多くの女の子の心を掴んだ。そして、BETTY'S BLUEのカラフルでポップなデザインは瞬く間にストリートで話題になる。
原宿から発信される「原宿系」というと、90年代後半のような服飾学生を中心とした個性的な服装や奇抜な服装でカルチャーを発信している印象が強いが、90年代前半の原宿系は主にクラブカルチャーが人気だった。
80年代後半から90年代初めは「明るいバブル時代」想起する人も多いだろう。
ボディコンシャスで派手なドレスに身を包み、六本木や西麻布のディスコで踊る印象だ。
同じような現象は原宿でも起こっており、原宿では人気DJを中心としたクラブが盛り上がっていた
実際には、バブル時代は91年で終了していたが、若者のカルチャーにはバブル時代のどこまでも明るく陽気で自由な雰囲気が、90年代前半には残っていた。
クラブやライブハウスで目立つ服…ファッションの感度が高い若者が集まる原宿でひときわ目立つBETTY'S BLUEの洋服はまさにうってつけだったのだ。
「CUTIE別冊宝島vol.6」1989年8月31日発行 JICC出版局(宝島社の前衛の会社名)
「CUTIE別冊宝島vol.6」1989年8月31日発行 JICC出版局(宝島社の前衛の会社名)
89年に雑誌の『CUTiE』で特集された「90’sデザイナーを探せ!!」では、BETTY'S BLUEのアニマルコートに問い合わせが殺到したという。また同誌では、BETTY'S BLUE以外にも、メンズラインの「Mr.SHINJI」の特集も組まれており、レディースラインのBETTY'S BLUEとのコンビネーションも評価されていた。
「東京から発信するFASHIONのNEW WAVE」「トビキリ過激で自由なスタイルを作り出しているデザイナー」「未来派デザイナー」…。
それは、サブタイトルの「GOIN’ TO 1990」のタイトル通り、昭和から平成に切り替わる「新時代」を予感させる紹介文だった。

あべ真司が作る、キュート&ラブリーな世界

CUTiE No.101 1997年  3月31日発行   宝島社
CUTiE No.101 1997年 3月31日発行 宝島社
「キュート&ラブリー」のコンセプト通り、あべ真司の手掛けるデザインは、魅力的な雰囲気で溢れていた。可愛いだけではない、エネルギッシュで元気いっぱいの女の子に似合う服。
新しい時代に女の子が求める理想像がデザインにも反映されていた。
アメリカン古着の伝統的スピリットと最新のストリート・トレンドをミックスした世界観は、今まで見たことのない斬新なデザインだった。そして、デザインだけではなく、BETTY'S BLUEの個性的なカラーハーモニーは、私たちの心をときめかせた。
それは、女の子だけではなく、男の子たちの間でも話題になっていった。
初期のBETTY'S BLUEのTシャツはメンズでも人気になり、メンズラインの「Mr.SHINJI」の他に「BETTY'S BLUE BOY」も注目の的になる。
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