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2023.10.05

キム・ジョーンズが蘇らせた「DIOR」歴代デザイナーの創造性:クチュールメゾンを支えた3人のデザイナーの美学に触れる

ファッションの世界はかつてないほどに、性別の境界線が曖昧になっている。
好例なのが、2023−24年春夏シーズンの「DIOR(ディオール)」メンズコレクションだ。
キム・ジョーンズは就任して5年目を迎え、ムッシュ ディオールと歴代デザイナーの仕事と自身のスタイルを融合させた。それも素晴らしく巧みに、違和感ない方法で。
「DIOR」は言わずもがな、ウィメンズのクチュールメゾンとして誕生した。
創設から約半世紀後の2001年に、「DIOR HOMME(ディオール オム)」という名でメンズラインを発足。“洗練されたモダニティ”というの美学は踏襲しつつも、これまでウィメンズとメンズはクリエイティブ・ディレクターを共有することもなく、まったく異なるコレクションとメッセージを届けてきた。
変化が現れ始めたのは、ジョーンズが加入してからだ。デビューコレクションである2019年コレクションでは、メンズとウィメンズ、ビューティも全て一つのブランドの下にあるべきという考えのもと、名称の“HOMME”を取り除いてブランド名を「DIOR」に改めた。
クチュールメゾンでしかなし得ないエレガンスとウィメンズとの親和性を追求し、デザインを取り入れてムッシュ ディオールの私生活にまっすぐなオマージュを捧げるコレクションを発表した。
2022年/「Dior, la légende du 30, avenue montaigne」/ Rizzoli Flammarion
2022年/「Dior, la légende du 30, avenue montaigne」/ Rizzoli Flammarion
アーカイブの再解釈やクラシックとストリートの融合、現代的な表現は、重厚な歴史を持つビッグメゾンが常に掲げるテーマであり、宿命的な課題でもある。
ジョーンズが高く評価される所以は、メゾンの歴史を深く理解し、そこに敬意を払いながらも、新鮮さとユーモア、時代性をバランス良く組み立てる感性にある。
その才能は、「DIOR」以前に務めた「DUNHILL(ダンヒル)」と「LOUIS VUITTON(ルイ ヴィトン)」メンズ、そして現在「DIOR」とともに兼任する「FENDI(フェンディ)」ウィメンズでも発揮されている。
前述したように、「DIOR」で彼が主軸に置くテーマは、“ウィメンズとの親和性”。クチュールメゾンとしての歴史を、いかにメンズで表現するか。それはジェンダー・ノンコンフォーミングの思想が強くなる現代の潮流とも共鳴するようだ。
「DIOR」に加入して5年目となる一つの集大成であるコレクションは、各時代を率いた歴代デザイナーの足跡を辿り、クチュールメゾンとしての歴史を紐解くような内容でもあった。彼が参照した3人の歴代デザイナーが生み出したデザインを振り返りながら、「DIOR」の歴史を覗いてみよう。

“モード界の帝王”が生んだシルエット

上記に次ぐデザイナーは、ムッシュ ディオールの一番弟子にして唯一の弟子であり、その後“モード界の帝王”と称された。
アルジェリアの港町オランで生まれ、幼少期にパリに引っ越した彼は、17歳のときにパリのシャンブル・サンディカル・ド・ラ・オート・クチュールファッションデザイン学校に入学する。
ここでの3ヶ月のコースが終了する頃に、IWS(国際羊毛事務局)主催のデザインコンクールでドレス部門最優秀賞を獲得。これを機にムッシュ ディオールは無名のデザイナーであったサンローランに早くも目をつけ、「DIOR」に迎え入れた。3年後に心臓発作で急逝したムッシュ ディオールの遺志により、弱冠21歳という若さでサンローランは「DIOR」というビッグメゾンの主任デザイナーに就任したのだ。
重圧がのしかかるなか、デビュー作となった1958年春夏コレクションで、裾が広がった “トラペーズライン”を世に送り出し、大好評を博して自身の才能を証明したサンローラン。当時の50年代のドレスには見られない、ウエストの開放と簡潔なシルエットが際立ち、オートクチュールの高度な技術に裏打ちされた明快なフォルムが表現された。
2021年/「Christian Dior Designer of Dreams」/ Rizzoli USA
2021年/「Christian Dior Designer of Dreams」/ Rizzoli USA
ジョーンズは、サンローランの出世作である“トラペーズライン”をメンズのテーラリングへと変容させるとともに、ジョーンズのルーツであるイギリスの伝統的な仕立てをミックス。
ランウェイでは、モデルがジャケットに手を通さず、肩に掛ける装いで、 “トラペーズライン”の特徴である台形シルエットを強調していた。
若くして才能を開花させたサンローランだったが、 「DIOR」に在籍したのはわずか3年程。1960年にはアルジェリア独立戦争に徴兵され、モード界から去ることとなった。
徴兵後の1961年に、恋人であったピエール・ベルジェとアメリカの実業家マック・ロビンソンと組み、自身のオートクチュールメゾン「YVES SAINT LAURENT(イヴ サンローラン)」を設立。ここから天才と呼ばれたサンローランの快進撃が始まるわけだが、それはまた別の機会に。
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