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2023.11.22

最高峰の靴職人が集結する「FERRAGAMO」の工房をレポート:生涯を靴づくりに捧げた創業者のDNAが息づく場所

イタリアを代表するラグジュアリーブランド「FERRAGAMO(フェラガモ)」は、現在も創業者一族が経営を引き継ぐ数少ないビッグメゾンである。
筆者は先日、イタリア・フィレンツェ郊外にあるFERRAGAMOの工房を取材。工房内の様子や、FERRAGAMOの歴史を辿っていく。

Salvatore Ferragamoの創業まで

創業者サルヴァトーレ・フェラガモ(Salvatore Ferragamo)は、イタリア南部の田舎町ボニートで1898年に生を受けた。6歳のときに、妹が洗礼式のために履いていく靴を作ったのが全ての始まりだ。
裕福な家庭ではなかった彼は9歳(小学校3年生)で退学し、両親の反対を押し切ってナポリの靴職人のもとで修行した後に、11歳で故郷ボニートに靴屋を開業。さらに大きな夢を描いていた彼は、兄や従兄弟が暮らしていたカリフォルニアに渡米して、靴の修理とオーダーメイドの店を開店した。
ハリウッドの映画関係者の間で評判を呼び、映画の衣装としての靴を手がけたり、ハリウッドの名優たちを顧客に抱えて、“スターの靴職人”とまで称されたりするほどに大成功を収めることになる。
しかし、当時アメリカで量販していた靴に疑問を抱き始めた彼は、“職人技術を生かした靴を世界に届けたい”という新たな情熱に駆られ、イタリアに戻って職人の街であるフィレンツェで、1927年に靴工房「Salvatore Ferragamo(サルヴァトーレ フェラガモ)」を創業した。
世界恐慌と戦争という時代の荒波に揉まれるも、デザイナーとしての感性と独自の発想力、卓越した職人技術で1960年にこの世を去るまで靴を作り続けた。
彼の死後、事業を引き継いだのが専業主婦だった妻ワンダ(Wanda)。6人の子どもを育てながら、仕事と家庭のどちらをも大切にした彼女は、60年代のイタリアでは非常に先進的な存在だった。
いつでも洗練された装いを欠かさず、90代になっても仕事を続け、ミラノでのファッションショーにも参加。イタリア国内外で多くの名誉ある勲章などを多数受章した。創業者が生前に抱いていた、靴だけではなく総合ファッションブランドへと躍進させたいという想いを具現化するために、1965年には長女フィアンマ(Fiamma)によりハンドバッグが、次女ジョバンナ(Giovanna)によりプレタ・ポルテ・コレクションが発表される。
1970年にメンズラインを展開し始め、ビジネスで手腕を発揮した次男のレオナルド(Leonardo)が成長させ、彼は現在「FERRAGAMO」の会長を務めている。

市庁舎としても使われていた由緒正しき建物

創業者がフィレンツェで最初の靴工房を構えたのが、歴史的建造物であるスピーニ・フェローニ宮殿内の一室。ここはフィレンツェのランドマーク、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂よりも古く、かつては市庁舎としても使われていた由緒正しい歴史を辿る建物だ。
トスカーナ地方の腕利きの靴職人が60人近く集められ、手作業での靴の製作が行われていた。1938年からは建物全体をメゾンが所有し、本社オフィス兼フィレンツェ本店、そしてフェラガモ美術館を構えている。
現在、世界に389店舗の直営店を持つ「フェラガモ」の工房はトスカーナ地方にいくつも点在しており、その中核を担うのがフィレンツェ郊外に位置する今回訪れた工房である。
ガラス張りで自然光が差し込む明るい建物内には、「フェラガモ」に関する数多くの著書やフォトブック、靴制作に関する書籍を集めたライブラリーと、貴重なアーカイブを保管する貯蔵庫、デザインチームのためのアトリエも設けられている。
前述したように創業者は小学校3年生で中退しているが、アメリカで靴職人として活躍し始めた頃に南カリフォルニア大学の夜間コースで人体解剖学を学び、修士課程を修めた。
デザイン性に富んだ作品を作るだけでなく、足にフィットする履き心地のよい靴づくりを追求するために、生涯を通して人体解剖学について熱心に学び続けたという。足の構造を研究したからこそ生まれた、土踏まずを支えて体のバランスを安定させたシューズはたちまち人気を博し、368にも及ぶ特許取得という素晴らしい功績にも繋がった。
そんな彼の靴づくりの哲学に触れることができるライブラリーには、人体解剖学に関する書籍も多く並ぶ。ここはメゾンの関係者だけでなく、靴職人や美術大学に通う学生にも開放されており、デザインチームの貴重な着想源にもなっているようだ。
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