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2022.12.06

老舗インポートショップ『ハナカワ』に聞いた、夢のアメ横センタービル

アメ横センタービルは、1982年に誕生したショッピングビルだ。通りを挟んで、JRのガードのちょうど真向かいに、並行して建っている。かつては『SHIPS』の前身であった『ミウラ』など、伝説のショップが存在し、現在でも『守屋』『ヤヨイ』『ミタスニーカーズ』など、アメ横を語るうえで絶対に欠かすことのできないショップがいくつも入っている。その中でも最古参のひとつが、2階にある『ハナカワ』だ。
『ハナカワ』の店頭は、いつも趣味のよいカラートーン。ちょっと渋みのある色味や、味わいのある質感のアイテムが美しく並べられている大人のためのカジュアルが揃っている。個人的には1点残らずツボに入るアイテムばかりで、まさしく"セレクトされているショップ"だと思える品揃えだ。
急逝した先代に代わって社長を務めており、以前はアメ横センタービルの商店会の理事も兼ねていた2代目・花川利郎さんに話を聞いた。
『ハナカワ』の店頭。アメ横センタービルのエスカレーターを2階で降りる服好きっぽい人は、ほぼ全員このお店目当て。
『ハナカワ』の店頭。アメ横センタービルのエスカレーターを2階で降りる服好きっぽい人は、ほぼ全員このお店目当て。

「アメ横」という呼び名の由来でもある、飴屋が『ハナカワ』の前身だった

「ハナカワという名前で店を始めたのは1946年、終戦の翌年ごろで、父の代に闇市の飴屋からスタートしています。当時は甘いものが不足していたからか、常磐線や宇都宮の奥のほうからも朝早くから仕入れの人が来ていたようです。
私の幼い頃の記憶では、1950年代後半にはおいなりさんとか巻き寿司なんかを商う店がまだけっこう残っていましたね。アメリカものを扱うからアメ横だ、という人もいますが、やっぱりウチのような飴屋が多かったから「アメヤ横丁=アメ横」なんだよ、というふうに聞いています。
父の飴屋はその後、衣料品を扱う商売に変わっていきます。私は1953年生まれなのですが、物心ついた4〜5才のころは、すでに舶来品の衣料品や雑貨を扱う店になっていました。
最初は米軍の払い下げ品をはじめ、いろいろ扱っていたようです。たまに入ってくれば、電化製品とか、GE(ゼネラル・エレクトリック)の冷蔵庫なんかを置いていた時もありました。あとは日本では手に入らないような大きなピローケースとか、ダブルのシーツとか、そういった生活雑貨も取り扱っていて、当時のお金持ちが買いに来ていたようです」
後述する理由から、よりよい商品を求めて取り扱うブランドは変わっているが、米国産を貫く『シエラデザインズ』の60/40マウンテンパーカは定番で置いているものの一つ。
後述する理由から、よりよい商品を求めて取り扱うブランドは変わっているが、米国産を貫く『シエラデザインズ』の60/40マウンテンパーカは定番で置いているものの一つ。

小さな問屋さんが仕入れてくる、グッチやヴィトンも人気の的に

「母が女性ものを担当していて、ヨーロッパからの『グッチ』とか『ルイ・ヴィトン』のバッグなども置いていましたね。今で言うハイブランドも、アメ横に来ないと買えないというので探しに来る人は多かった。正規の代理店が無かった時代ですので、小さな問屋さんとか、個人でそういったブランドものを取り扱う人がいたようで、そこから仕入れていたのだと思います。
特に関西には小規模の問屋さんが多くて、その繋がりでいろいろ面白いもの、珍しいものを扱っていました。『ナイキ』なんかも個人で扱っている人がいましたね。
問屋さんは、2〜3人でやっているような、本当に小さい規模のところが多かった。自分でじかに買いつけに行って、ちょっと気の利いた小物を探してきてくれたりする。"ルイ・ヴィトンが人気らしい"と聞くと、向こうのお店に行って探してきてくれたり。もちろんそういったブランドだけでなく、新しいものをいろいろ持ってきてくれていたんです」
現在でもTシャツやスウェットのセレクトは絶妙。国産にこだわる上質な『BARNS OUTFITTERS』など、インポートよりもインポートらしいアイテムが。
現在でもTシャツやスウェットのセレクトは絶妙。国産にこだわる上質な『BARNS OUTFITTERS』など、インポートよりもインポートらしいアイテムが。

日本で初めて扱った『ヘインズ』の3枚パックTシャツが大ヒット

『ハナカワ』自らが直輸入をして大人気になり、求められて全国に卸していたものもある。舶来の面白いもの、新鮮なものを見定め続けることによって培われた、審美眼のなせる技だろう。
「アメリカの本社とやりとりをして、ローファーやデッキシューズの『セバゴ』やスニーカーの『ケッズ』などは、直接輸入していました。『ヘインズ』は、父が親しくしていた神戸の小さな問屋さんが取り扱っていたのですが、その方が早く亡くなってしまい、そのあとはウチがアメリカ本社から直接輸入することになったんです。
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