2005年にAKB48グループ専属の衣装制作からスタートし、現在はアイドルや2.5次元舞台など の衣装制作、スタイリング、ヘアメイクのほか、学校制服ブランド「O.C.S.D.」や医療制服ブランド「O.C.M.D.」、アパレルブランド「Acuite」まで手がける、株式会社オサレカンパニー。
今年で法人化10周年を迎えたオサレカンパニーを設立し、AKB48をはじめとするさまざまな衣装を生み出してきたのが、クリエイティブディレクターを務める茅野しのぶさんだ。
今回、茅野さんにAKB48の衣装制作にまつわるエピソードから、自身のターニングポイント、衣装がもたらす力などについて聞いた。
株式会社オサレカンパニー
クリエイティブディレクター
AKB48創設当初より総合プロデューサー秋元康氏の下で衣装担当として活動。
その後、デザイン・衣装・ヘアメイクなどの事業を担うオサレカンパニー社のクリエイティブディレクターに就任。
これまでに制作した衣装はおよそ35,000着。メンバーの個性を引き出す豊富な衣装デザインとバリエーションに定評があり、AKB48以外にも、=LOVEや≠ME・≒JOYといったアイドルから、声優、コスプレイヤー、2.5次元アーティストの衣装、さらに近年では学校制服・医療制服のプロデュースなども行う。
私がデザイナーという職業を意識したのは高校生の時です。当時、デニムのリメイクが流行っていたのですが、お店で買うとすごく高かったので、自作して着ていたんです。
すると、それを見た友達から「すごい!」と言われて、その流れで文化祭のダンス衣装を作ることになりました。当時の私の中では、あくまで遊びの延長線上でした。
ところが、学校の担任と親との三者面談をした際に、文化祭の衣装を見た先生から「茅野さんは洋服を作る才能があると思う」と興奮気味に言われたんです。私は先生に褒められるタイプではなかったので、その言葉が強く残りました。
それがきっかけとなり、服飾専門学校に進学することにしました。親からは「成功するなんて一握りだから」と反対されたんですけれど。
その後、進学した専門学校で、「一夜限りのヘアメイク&ファッションショー」という企画を実施する機会がありました。その経験から、一般的なアパレル製品よりも、誰かのために作り、見た人の琴線にも触れる「衣装」を手がけたいと思うようになりました。
そこで在学中から、アイドル衣装を制作していたスタイリストのアシスタントとして働くことにしました。その方が、私の衣装デザイナーとしての師匠です。
何年か経験を積んだ頃、偶然AKB48というアイドルグループが立ち上がるという話を聞いて、自分から売り込みに行きました。いつか師匠を超えるためにも、自分一人でやってみたいという気持ちがあったからです。
当時22歳の私には、アシスタントという肩書きしかなかったので「衣装はもちろん、マネージャー業務もやりますし、一石二鳥ですよ」と売り込み、ありがたいことに秋元康さんに採用されて今があります。
基本は変わらないと思います。AKB48に関してはプロデューサーである秋元康さんと運営側のイメージを理解した上で、メンバーと楽曲のイメージを第一に考えて衣装を制作しています。
そのとき大切にしているのは、メンバー本人たちが自信を持ってステージに立てる衣装で、なおかつ、ファンの人たちがメンバーをもっと好きになるような衣装であること。着る側と見る側、その両方に喜ばれる衣装作りを常に意識しています。
AKB48が発足した当初、秋元さんとお話ししたなかで、「等身大の彼女たちを生かした方がいい」ということで、AKB48の代表的な衣装といえる「制服スタイル」が生まれたのですが、実は制服をそのまま衣装に置き換えると、地味でステージ映えしません。制服をモチーフにする際は、煌びやかではない一般的なアパレル素材を用いるなかで、彼女たちをいかに可愛く見せるかを考え続けました。
そして、衣装について一番重視していたのが「安っぽさ」を出さないこと。安っぽさは、大雑把な作りから生まれます。そこで、仕様や素材などを細かく決めて、セーラー服でもペラペラ感が出ないように立体感を大切にしていました。
AKB48にとって象徴的なチェック柄も、通常の裁断ではなく斜めに裁断するバイアスカットを取り入れて動きを出しています。ポケットも省略した「なんちゃってポケット」ではなく、作り込んでいるほか、細かい仕様でも、袖口に細めのパイピングコードを入れるなどしています。
メンバーには本当にスタイルがいい子もいますが、特に初期は標準体型の女の子も多かったので、スタイルをより良く見せるために、ステージでの動きやすさを大切にしながらも、細く出せるところは出すなど、パターンも計算していました。
そして、一人ひとりの身長や、今で言う骨格やパーソナルカラーに合わせて、丈感やデザインなどを微調整していました。
たとえば、たかみな(高橋みなみ)は全体のフォルムが小さいので、襟ひとつとっても、みんなと同じサイズだと、すごく襟が大きく見えて、顔も大きく見えてしまいます。そこで、彼女だけ襟を小さくしていました。
アパレルと衣装を作るときの大きな違いは、「その人を知る」ことです。衣装は着ることによってステージで100%の力を発揮できて、自信がつくものじゃないと役目を果たしていないと考えているので、本人のコンプレックスも把握するようにしていました。
本人が嫌いでも、私から見るとチャームポイントだと思うこともあります。コンプレックスを好きになるか、隠すか、そのどちらにするかコミュニケーションしていました。
たかみなは自分が「いかり肩」だと思っていて、肩を出したくないと言っていました。でも、「全体でバランスを取れば似合う衣装もあるよ」とオフショルダーを提案したことがあります。すると、その形を気に入って最後の卒業ドレスもオフショルダーになりましたね。
今回の衣装について、秋元さんからは「制服がいい」というお話をいただきました。ただ、前のシングルも制服をモチーフにした衣装だったんです。そこで、新しい見え方にした方がいいと考えて、「出演番組ごとに衣装を変えるのはどうですか」と提案しました。
ファンの人たちも「推し」の衣装が違うとすべての番組を見たいという気持ちになりますし、出演するたびに話題になってSNSも拡散されます。
私は衣装を作る際には「AKB48を見てもらうための戦略」を考えるのですが、今回はSNSがあるからこそ生まれた衣装だなと思います。その意味で、時代によって衣装作りで変化している部分もあるなと思います。
実は、衣装デザイナーを辞めたいなと本当に悩んだことがあります。それは、ちょうどAKB48が大ブレイクして国民的アイドルになった時期です。
忙しくなるにつれて作る衣装がものすごい量になり、関わるスタッフも多くなり、余裕がなくなっていたのに、仲間に仕事を任せられない自分がいたんです。
私は完璧主義者なところがあったので、自分一人の力には限界があるのに、メンバー一人ひとりの衣装を完璧に作ろうと、期待に応えようとしていました。でも、今までのように一人ひとりとコミュニケーションを取る時間も少なくなり、これまでのような衣装が作れていないのではないかと思うようになりました。私がデザイナーじゃない方が、AKB48にとって良いのではないかとさえ思うようになり、挫折感を覚えるようになっていました。
そうしたなかで、2010年に行われたAKB48の代々木公演で衣装に関わる大きなミスが起きてしまいました。あっちゃん(前田敦子)の衣装にセッティングミスが生じて、ステージに出られなくなってしまったんです。髪飾りだったと記憶していますが、それをスタッフが紛失してしまい、結局登場のタイミングも失ってしまいました。
今考えると、出演を優先する選択肢もあったと思います。でも、当時は問題が起きたときの対応をきちんと決められていなかったんです。
本人もすごく落ち込んでしまいましたし、「前田敦子が嫌われていて、メンバーから衣装を隠された」というネットニュースにもなって、悪い噂だけが広まる結果となりました。実際は単なる裏方のミスなんです。
自分自身にすごくがっかりすると同時に「変わらなきゃ」と思いました。衣装を作ることはもちろん、スタッフへの指示出しや、間に合わないときの最終ジャッジ、メンバーのフォロー含め、すべてできていなかったことを痛感したんです。
この経験が、2013年に会社を立ち上げる大きな理由となりました。仲間を信じないとダメだ、人材も育てなきゃいけないと考えたのです。
それは今だから言える話ですね。あのとき、それでも一人でやり続けようと思っていたら、どこかで限界がきて、衣装デザイナーを本当に辞めていたと思います。
会社設立当初は、どう人を育てればいいのか悩む時期もあったのですが、現在ではクリエーションに対して情熱を注げられる魅力的な衣装デザイナーがたくさん生まれました。
今年卒業した、AKB48 岡田奈々ちゃんや、HKT48 矢吹奈子ちゃんの卒業ドレスは、私一人では到底できないハイブランドのオートクチュールみたいなクリエーションを社員がやっているんです。
近年では、学校制服や医療制服にも取り組んでいます。身につける人にとって、着やすく、動きやすいだけでなく、魅力が発揮されて毎日が楽しくなってほしい。そして、その制服を見る世間の人たちから好印象を持ってもらいたい、という想いで製作しています。これはアイドル衣装の概念から導かれた考え方です。
私たちが制服を製作する際は、それぞれの学校や病院から特色などをヒアリングして、自分たちの良いところや世間に伝えたいメッセージなどをベースに、デザイン画を何パターンも作ってお見せします。既製品のカタログから微調整する程度を想像しているクライアントさんも多いため、とても驚かれると同時に喜んでいただいています。
ジェンダーレスに限らず、私はファッションとして選択肢があっていいと思ったんです。
フェリシア高等学校にヒアリングをすると、個性を大事にした自由な校風であることがわかりました。さらに、先生から生徒の話を聞いていくなかで、「私服はパンツなのに、学校制服がスカートで恥ずかしいと言う生徒もいるんですよ」とおっしゃったんです。「スカートかスラックスか、リボンかネクタイか、生徒が選べるようにしたいです」と。
そこで、単に男性用のスラックスを女性サイズにするのではなく、女性の体に合わせたパンツを一から制作して、どちらのスタイルも選べるようにしました。