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2024.01.26

パリで活躍する刺繍アーティスト杉浦今日子が生地に創り出す、オートクチュール技術の世界

パリ、オートクチュールのコレクションを支える刺繍の技術。その第一線で活躍する日本人がいる。刺繍アーティストの杉浦今日子さんだ。
オートクチュールとは、パリ高級衣装店組合に加盟する店が手がける仕立て服のこと。同組合はナポレオン3世の妻、ウージェニーの専属衣装デザイナーだったシャルル・フレデリック・ウォルトにより19世紀後半に創立され、20世紀前半に改組されたフランスのファッション業界の根幹をなす団体である。
現在に至るまで、そこで表現・発表されてきた豪奢で圧倒的な美しさを持つ服は、フランスをファッションの中心地たらしめてきた。その生地を彩るのが職人による精緻な刺繍である。
その本場フランスで杉浦さんは針一本でゼロからキャリアを築き、外国人としてフランスで渡り合ってきた。その杉浦さんとフランスをつなぐのが「クロッシェ・ド・リュネビル」というフランス東部のリュネビルという場所で生まれ、オートクチュールで主に用いられてきた刺繍の技法である。
PROFILE|プロフィール
杉浦 今日子(すぎうら きょうこ)
杉浦 今日子(すぎうら きょうこ)

東京で刺繍作家、講師として活動ののち、2009年に渡仏。世界第一線のファッションブランドのオートクチュール刺繍を手がける職人としてパリで仕事をしながら、その技法を自身の創作に取り入れ、世界でも他にない芸術表現を生み出す日本人工芸アーティスト。
©Takeshi Sugiura

2年間のパリ滞在が、いつの間にか10年を超える

「最初はフランスで、仕事で刺繍をやろうとはまったく思っていなかったんです」
パリ市内にある杉浦さんのアトリエ、中庭から午後の光が差し込む一室で、杉浦さんは渡仏のきっかけを静かに語り始めた。
パリで暮らし始める前、杉浦さんはコピーライターの夫・岳史さんと、東京でお互いに多忙な日々を送っていた。大学を卒業し、働きながら趣味で始めた刺繍だったが、刺繍した生地を何か形にしたいと思い、仕事をしながら文化服装学院の服装科へ。夜間部で洋裁を学んだ。
Série : Sleeping, Sleeping spring, 20x20cm 2017 ©Takeshi Sugiura
Série : Sleeping, Sleeping spring, 20x20cm 2017 ©Takeshi Sugiura
その後、自ら手がけたバッグに刺繍を施した作品を発表したところ、反応が良く、刺繍は趣味から次第に仕事になっていった。しかしそれは、次第に杉浦さんを押し潰していった。
「夫婦でバーンアウト寸前でした。夫は書き続け、私は縫い続け。毎日深夜まで仕事をしていました。体力的に厳しい、このまま仕事していたらいずれ体を壊してしまうと夫婦で話し合い、一度リセットして2年くらい休もうかとフランスに来たんです」
フランスは杉浦さんにとって親しみある国だ。バッグ作りの生地や素材を購入するために訪れていた場所であるとともに、洋裁と刺繍の本場でもある。夫婦で取る人生の休日にとって、候補に挙がらないわけがなかった。
「今年で約15年。日本に戻るつもりで来ましたが、まだいます(笑)」
杉浦さんにとっての刺繍はクロッシェ・ド・リュネビルというフランス独自の技法と共にある。ヨーロッパにおける刺繍技術は、王侯貴族や教会との歴史でもあった。その中世から積み重なってきた土台に、現在のオートクチュール刺繍の歴史がある。
「クロッシェ・ド・リュネビルとの出会いは、確か刺繍を扱った本か何かだったと思います。本場の技術に触れたくて、旅行でフランスを訪れた際にリュネビルの刺繍学校で開かれていた2日間の体験講座を受けたんです。そうしたら『うわー、難しい』と思って。しかもフランス語で習っているから、コツをつかむまでフランス人の生徒よりさらに時間がかかるんです」
刺繍風景(クロッシェ・ド・リュネビル) ©Takeshi Sugiura
刺繍風景(クロッシェ・ド・リュネビル) ©Takeshi Sugiura
パリにあるオートクチュールのアトリエも見学し、杉浦さんはさらに驚いたという。そこには見たことがないような素材の使い方があり、立体表現がなされていた。技術的に触れたことのないものがたくさんあった。
「ある程度刺繍をやっていれば、完成品を見て、これはどうやって刺しているのか分かります。でもまったく想像がつかない。人間の手でこんなことができるんだと、衝撃でしばらくしゃべれなくなりました」
パリでの暮らしは刺繍学校に通うことから始まった。オートクチュールを扱う刺繍のアトリエでスタージュ(企業研修)を終えた時、杉浦さんに働かないかと声がかかった。当初予定していた2年という期間はあっという間だった。
「外国人にもかかわらずパリの刺繍アトリエで働けるというのは、なかなか得難い機会でしたから」
帰国か継続か、再び決断の時がやってきた。「日本に帰っても、またかつての忙しい生活に戻っていくだけ」。杉浦さん夫妻はパリに残る選択をした。
©Takeshi Sugiura
©Takeshi Sugiura

刺繍職人から工芸アーティストへ

現在の杉浦さんの活動は幅広い。オートクチュール向けの刺繍を職人として担う他に、刺繍技術を使ったアーティストとしての活動や、他業種との協働、フランスの学校でフランス人向けに教鞭を執ることもあった。実際に針を刺す他に、コンセプトとなるデザインを提供することもある。
日本でも広く露出し注目を集めたのが、香水メーカー「ゲラン」とのコラボレーションである。同社の「チェリー ブロッサム」というフレグランスがある。
ゲラン4代目調香師であるジャン・ポール・ゲランが、日本を訪れた際に満開の桜に深く感銘を受けたことから誕生した香水だ。その夜桜をイメージしたデザインボトルに、杉浦さんがビーズのデコレーションを施した限定オードトワレが2022年2月に発売された。
翌2023年2月にも、同じくゲランから杉浦さんの特別デザインにより、桜の花が描かれたケースに入るリップスティック「ルージュ ジェ チェリー ブロッサム」が限定発売された。
「オートクチュール向けの刺繍は、チームの一員として担う仕事ですが、ゲランとのコラボは私個人としての仕事でした」
書籍も出した。2021年に『オートクチュールのビーズ刺繍』を、2023年に『オートクチュールのビーズ・スパンコール刺繍』を出版した。いずれもクロッシェ・ド・リュネビルと針のパターンおよびモチーフ集である。
一番左はオートクチュールのビーズ刺繍のフランス語版 ©Takeshi Sugiura
一番左はオートクチュールのビーズ刺繍のフランス語版 ©Takeshi Sugiura
「少しずつクロッシェ・ド・リュネビルの刺繍も日本で広まってきていて、基礎ができる人も増えているので、その先に行けるような本を作ってみてもいいかなと思って」
刺繍の入門書というよりは、基礎を終えた人が、さらに技術を発展させていけるような内容の本である。
「今見せますね」とアトリエでテーブル越しに向かい合う私の前から立ち上がり、本棚からそれら2冊を取り出してきてくれた。そして「でも」と杉浦さんは付け加えた。
「私、刺繍の歴史にすごく興味があって。本当はそれに関した本を出したいと出版社さんにはアピールしているんですが、売れないからダメだって言われたんです」と笑いながら、少しだけ裏側を教えてくれた。
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