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2023.09.28

パリで開催、スポーツとファッションの特別展「La mode en mouvement」を巡る

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オリンピック開幕まで1年を切ったパリで、スポーツとファッションの重なりについて焦点を当てた特別展「La mode en mouvement(ラ・モード・アン・ムーヴモン)」が開かれている。
ファッションは常に身体の動きと共鳴してきた。その時代の人の動きに合わせて、服は形を変え、ときにそれは流行として社会を席巻した。18世紀、イギリスの貴族階級において、今の私たちが捉えているような「スポーツ」という概念が生まれ、その後大衆化。19世紀に入ると、スポーツは健康面から社会で推奨され、それに伴い人々が着る服のシルエットも影響を受けた。
それまで窮屈だった婦人服が、19世紀終わりから、どのように身体運動の要素を取り入れていったのか。婦人服に紳士服の要素がいかに取り込まれたのか。身体の解放は、その時代の精神性や美の基準に影響を与え、水着、乗馬服、サイクリングウエア、カーコート、ランニングウェア、スニーカーといったアイテムは、人々の関心を集めた。
19世紀のドレスと水着
19世紀のドレスと水着
今回の特別展は、パリ市立モード美術館が所蔵する約200点のコレクションを用い、2023年6月16日から2025年9月7日までの約2年間を3つの期間(2023年6月16日〜2024年3月15日、2024年4月20日〜2025年1月5日、2025年2月8日〜2025年9月7日)に分けて開いている。展示品を入れ替えながら、18世紀から現在までの服飾の変遷をたどる。

現在へと続くスポーツウェアの萌芽

現在行われている展示は第1期。フロアの入り口をくぐると、左手にまず20世紀初頭と同半ばの水着が展示され、その先に進むと美しいカラコとフロックコートが出迎えてくれる。
カラコとフロックコート
カラコとフロックコート
カラコとは18世紀半ばから19世紀初めにかけて着られていた婦人服の一種。フロックコートとは18世紀末から19世紀後半にヨーロッパの男性が着ていた一般的な表着である。見た目は私たちがよくイメージする中世の装い。女性のウエストは細く絞られ、男性のジャケットは身体にぴったりとしたシルエットで、裾が流れるように延びている。
傍らに展示されているのはハイヒールである。ハイヒールが最初に現れたのは16世紀に遡る。1730年代までハイヒールは男女ともに貴族階級の象徴だったが、1730年代以降は女性に限定された。
1730年頃のハイヒール
1730年頃のハイヒール
ここから今回の特別展における「衣服の変化」が始まる。
19世紀初頭というと、ナポレオンが政権を樹立した第1帝政の時代。フランス北部ノルマンディー地方の町ディエップに代表されるような、海浜リゾートが整備された。海水浴が健康に良いとされたからだ。鉄道が整備されてパリからのアクセスも確保され、ホテルやカジノ、スポーツ施設が建てられた。そこでフォーカスされたのが水着だ。
当時の水着は、全身を覆う長袖のチュニックで、ボトムはふくらはぎまでの長さがあった。ウールの綾織り、リンネルまたはフランネルが素材として使われた。
ナポレオン3世の第2帝政期(1852〜1870年)終わり頃になると、それまでの婦人服において象徴的だったクリノリンが使われなくなる。クリノリンとは、スカートを広げるためにスカート中に鯨のひげなどで作った張りを使ったもの。それが無くなることにより、服のシルエットは変化を遂げた。
19世紀は、靴の歴史においても転換期のひとつだった。それはラバーソールの採用。スポーツの分野では特にテニス用シューズとしてラバーソールは人気となり、競技のパフォーマンスを高めた。
移動手段の変化も服のデザインに影響を与えた。19世紀後半、1861年にフランスのミショー親子によって、ペダルが前輪に直接固定された自転車「ボーンシェーカー」が発明されると、1870年代からはハイホイール自転車が流行。1879年になるとイギリスのハリー・ジョン・ローソンがチェーンで後輪を回す「ビシクレット」を発明。新しい移動手段として定着し、それに伴う服装も広がり出した。
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