1985年に、エアジョーダン1と同時期に発売されたナイキ ダンク。バッシュながら現在はストリートのアイコン として定着している。今回は、スニーカーヘッズの聖地「スニーカーショップSKIT」の代表、鎌本勝茂さんにナイキ ダンクの歴史をはじめ、その逸話や魅力まで伺ってきた。
1985年に誕生した「ナイキ ダンク」。バスケットボールシューズとしてデザインされたシューズは当時、バッシュといえば白が当たり前だった時代に大胆なカラーを配したことでかなり斬新なモデルだった。全米でNBAに勝るとも劣らない人気を誇るNCAA(全米大学体育協会)に所属する強豪チームに支給し、シェアの拡大を狙ったプロダクトだっただけに、そのチームのカラーを「ナイキ ダンク」に配したというわけだ。その歴史を鎌本さんはこう語る。
「 その当時、サンフランシスコの大学に通っていて、その後スニーカーショップの店主になった知り合いの話によると、ダンクはNCAAの大きな大会の試合がある会場でもナイキがテントなどのブースを出して販売していたこともあったそうです。このカラーブロックの斬新さは大きな魅力でしょうね。
当時の大学生選手の意見を聞いて、ソールの形状を変えたモデルもあったそうなのですが、基本的にはその界隈の人たちが履いていたシューズなので、現在のように大ヒットとなるスニーカーではなかったみたいで、その人気も徐々に落ち着いていったそうです」
スポーツを応援したことのある人ならわかるが、基本的に贔屓のチームを応援する際は、そのチームのカラーをまとって観戦するのがお約束。例えば、赤とグレーのカラーはネバダ大学のチームカラーを意識したもの。そうした背景から、コートに立つ選手が履くバッシュと同じカラーが発売されたら、ファンとしては買わずにはいられない。
そんな感じでNCAA界隈では、かなり人気を呼んだモデルとなりセール スも好調だったようだが、流通量の多さゆえに最終的にはワゴンセールとして売り出されたシューズもあったという。そんなシューズに目を付けたのがスケーターたちだった。
スケーターにとってスニーカーは消耗品。ダンクはアッパーに耐久性に優れるレザー素材を使用し、トリックなどでダメージを受けやすい部分やホールド性が求められる箇所に補強パーツを装着していた。ワゴンセールでプライスも手頃になれば、スケーターがダンクを選ぶのは必然だったのだ。
「NCAAでの人気が落ち着いたところで、ワゴンセールになっていたシューズに目を付けたのがスケーターでした。日本でも有名どころでいうと、1980年代後半ぐらいには、藤原ヒロシさんがスケートをするときに履いていたと証言しています。それが、日本での人気の起爆剤となったようです。そして、後にそれが『ダンクSB(スケートボーディング)』へと繋がっていくのですが 、それはまた少し先の話ですね」
日本でダンクが注目されたのは、1992年ごろから盛り上がった古着ブームだった。ヴィンテージの“リーバイス501”にオールドスクールなバッシュを合わせるアメカジブームで、一気にダンクは主役の座を獲得した。ビッグサイズのダンクをシューレースをギュッと締めて履く姿は、90年代のストリートではよく見られた光景だ。その当時、所ジョージ氏がアイコンとなって、そんなブームを牽引していたのが記憶に残っている人も多いだろう。
そんなブームを経て、再びダンクが注目を浴びたのは、1998年に企画された“シティアタック”と呼ばれる日本でのダンクの復刻モデルの発売だ。鎌本さんが語ったように藤原ヒロシ氏が紹介したことから、日本では1995年頃からスニーカーカルチャーが誕生していくなかで、日本でもダンクを探し求める人が増えた。そこからナイキジャパンがこのモデルを復刻させるに至ったのだ。当時は世界的には見向きもされ ていなかったダンク。鎌本さんはこんなエピソードを語ってくれた。
「1998年に初めてアメリカに行きました。渡米する前に高円寺の古着屋でオリジナルの『ダンクLo』を買って、嬉しいから自慢げにアメリカに履いていったのですが、現地のフットロッカーで若いショップスタッフに“変わったスニーカーを履いているね”と声をかけられるぐらい、シューズに携わる人でもダンク自体の存在を知らなかったんです」
ダンクを復刻した“シティアタック”に続いて「ダンクSB」が発売される前には、「ダンク Lo PRO」というモデルが発売された。そのモデルは今の「ダンクSB」のようにタンが厚く、少し横幅が大きくなったフォルムだったことから「ダンクSB」のプロトタイプのような存在。そこから2002年に、正式に「ダンクSB」が発売されたという時系列になっている。
「“シティアタック”によってダンクが復刻された当時、そのカラーを反転させた通称“裏ダンク”も人気を呼び、メディアにも頻繁に登場していました。その逸話として当時のナイキジャパンでそのムーブメントに携わった人に聞いた話では、実はとある業者が裏ダンクを製造した工場に発注し作らせた分がアウトレットに流れ、さほどダンクに興味のない人達まで手にして、結果それが日本におけるダンクの認知度アップにも貢献したと。
またダンクSBが発売された2002年頃も、リアルスケーターというよりは、自分たちより少し世代が上のアメカジブームでダンクを通ってきた人たちがこぞって買っていた記憶がありますね」
今回撮影させていただいたカレッジカラーのオリジナルダンクを鎌本さんが手に入れたのは2000年代に入ってからだそう。
「このオリジナルのダンクは90年代にブレイクして、ヴィンテージブームが落ち着いた2000年代初期に購入しました。実は90年代にそのブームで、アメリカからダンクを買い付けてきて販売していたショップが、その時期、次々に潰れていきました。その時の閉店セールなどで購入したモデルもありますね」
その当時、手に入れた中で苦労したのは、青×白カラーのケンタッキー大学モデルでシュータン部分にタイガーのイラストが入るローカットのダンクだそう。それはケンタッキー大学のチームの愛称である“WILD CATS”仕様のモデルとのこと。
「当時のナイキは、NCAAの有望な選手に寄り添うモデルも発売していたと聞いています。チームや選手側の声を聞き入れて、ソールにエアを入れたり、チームの愛称のイラストをシュータンに入れるなど自由度の高いダンクもあります。そういったモデルは球数が少ないのですが、オリジナルのダンクは流通量も多かったので、デッドストックでも意外と手に入ることはありました。」
現在では、ヴァージル・アブローが手掛けたオフホワイトがダンクを個性的な形でフックアップしたり、コム デ ギャルソンもコラボモデルを販売。スニーカーシーンに大きな影響力を持つアーティストのトラヴィス・スコットもダンクを履くなど、ファンの感性を刺激している。そんな現状を鎌本さんはこう語ってくれた。
「プレミア価格になっているのは一部のモデルだけですね。日本ではそうでもないですが、アメリカでは再販分として、かなりの在庫が市場に投入されています。そうするとダンクの魅力的なカラーが適正価格で買えるようになってきます。
『ナイキ エアフォース1』みたいに通年で発売されるようになれば、アウトレットにも在庫が流れて、その中にもいいカラーが出てくるようになります。それが後々評価されて、スニーカーシーンを作っていくことになるんですよ。そのなかのおまけとして“コラボモデル”を見ているので、これからも通常のダンクが市場に流通されるようになれば、嬉しいですね」
最後に鎌本さんがダンクの今後に願うことを聞いてみた。
「アメリカではNCAAのカレッジカラーとしてスタートし、浸透したダンクなので日本も例えば“早稲田大学カラー”とか“明治大学カラー”とか、発売当時のルーツやそのカルチャーに沿うようなカラー展開をすれば面白いなと思います。ダンクに関してはシンプルな2色が魅力だし、それが映えるので、もっとそこを打ち出した方がいいと思いますね」
1978年青森県生まれ。高校卒業と同時に上京し、スニーカーショップでの販売を経て、2001年にSKIT一号店を吉祥寺にオープン。スニーカーに関する豊富な知識と、業界屈指の目利き力でショップには多くのスニーカーファンが訪れる人気店に。そして映画『スニーカーヘッズ』にも出演するなど、その動向は海外のスニーカーヘッズからも注目されている。現在は吉祥寺の他、大阪、仙台、福岡にも出店する。
スニーカーショップSKIT 東京・吉祥寺店
東京都武蔵野市吉祥寺南町1-18-1 D-ASSET吉祥寺1F
TEL:0422-47-6671
営11:00~19:00
https://www.k-skit.com/
Photo by Hiroyuki “Lily” Suzuki(Studio Log)
Text by Yasuyuki Ushijima(NO-TECH)