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2023.09.05

平成の愛すべき流行、厚底靴を振り返る

平成に流行した靴…というと世代によって違いはあるかもしれないが、どことなく厚底ブーツや厚底サンダルを思い浮かべる方は多いのではないだろうか?
当時の厚底靴の画像へのSNS上での反響は大きく、若い世代から筆者と同年代、はたまた海外の方まで、いろいろな思い思いの感想が飛び交う。それだけ平成の厚底靴はインパクトの強い流行だったのだろう。
現在でも再注目されている厚底靴だが、なぜ厚底靴は幅広い世代で愛されているのだろうか。
平成の厚底靴は90年代後半~2000年代にかけて青春時代を過ごした筆者からしても愛すべき流行だった。今回は平成を代表とする流行アイテムのひとつでもある厚底靴について振り返りたい。

厚底靴の歴史

そもそも厚底靴とはなんなのだろうか?
身長を高く見せるという点では、ハイヒールと同じ印象を持つかもしれないが、厚底靴とハイヒールの形状は大きく異なる。踵の高さがつま先の高さよりも7cm以上持ち上げられる形状のハイヒールに対して、踵だけでなくつま先にも厚みがあるのが厚底靴だ。
平成の厚底靴の画像を見ると、一見ただのサブカルチャーのひとつに見えるかもしれない。しかし、厚底靴には深い歴史がある。
海外での厚底靴の歴史は古く、最初は古代ギリシアの劇場に登場する重要人物を目立たせる為に履かれていた。また16世紀のベニスでは、高貴な生まれの男娼や高級娼婦を目立たせるのにも使用され、18世紀のヨーロッパでは裏道の泥や汚物を避ける為に履かれていた。ヨーロッパだけではなく、古代中国での京劇でも厚底履は履かれていた。
日本における代表的な厚底靴は三枚歯の花魁下駄がある。花魁下駄は18世紀中頃、京都島原発祥といわれ、その後江戸吉原遊郭の高級花魁が用いた下駄だ。
時代劇などで花魁道中のシーンで花魁下駄を見たことがある方もいるのではないだろうか?
高級花魁用の下駄は、黒塗りで非常に重く、花魁道中で転倒するとその前の茶屋に上がって総振舞を行わなければならない慣わしがある。転倒は最も恥ずべきこととされ、歩く練習が必要だった。
転倒に気をつけて歩き、そして自分を目立たせる…という点では、現代の厚底靴との感覚とリンクしているようで面白い。
そして時は流れ、「ロンドンブーツ」が、1970年に細野勝氏により考案された。ロンドンブーツは、その名の通り、ロンドンでハードロックやヘヴィメタルのアーティストの間で流行していたブーツが元になったブーツだ。
ロンドンブーツは90年代後半のような厚底ブーツと似た形をしており、底が厚めのブーツだ。当時流行していたベルボトムのパンツ(パンタロン)と組み合わせて脚を長く見せるファッションとして流行した。また野口五郎や沢田研二がこぞってこのファッションを取り入れたこともあり、さらにロンドンブーツの流行に拍車をかけた。
また靴デザイナーの久我浩二氏も、80年代後半に厚底ブーツを提案していた。厚底靴は意外にも90年代以前から単発的に厚底靴は繰り返し流行していたのだ。

全身のバランスを意識し始めた90年代

ディスコやボディコンが世の中のトレンドだった頃。ファッションに合わせてハイヒールが人気だった(1990年ViVi8月号 / 講談社)
ディスコやボディコンが世の中のトレンドだった頃。ファッションに合わせてハイヒールが人気だった(1990年ViVi8月号 / 講談社)
厚底靴が本格的に登場する前は、脚を長く見せる為の必須アイテムは主に「ハイヒール」だった。
ハイヒールの流行はバブル期のディスコブームも要因のひとつだろう。1991年に「ジュリアナ東京」が登場したことにより「ハイヒール」も流行の的となった。当時、「お立ち台」に上がり、ジュリ扇(羽付き扇子)で踊り狂う時のドレスコードはミニスカやボディコンだったが、より脚を長く見せる為にそこに「ハイヒール」が仲間入りしたことは言うまでもない。
ジュリアナ東京が盛り上がりを見せるなか、1993年からは女子高生も徐々に「コギャル」として世間から注目を浴び始める。しかし、まだ厚底ブーツが流行していない当時のギャルファッションはウエスタンブーツやサーファーブームから流行したシープスキンブーツが主流だった。
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